まずパン
宗教都市の東門をくぐった輸送隊は、中心部の大聖堂へは向かわず、そのまま城壁沿いの広い通りを南へ進んだ。荷物の届け先は慈善地区にある共同倉庫で、病院、孤児院、無料食堂、地方教会が必要な物資をそこから分配する仕組みになっているという。
街の中心へ近づくほど石造りの建物は立派になったが、慈善地区へ入ると雰囲気が変わった。戦争で片脚を失った男が杖をついて歩き、簡素な衣服を着た家族が配給所の前へ並んでいる。修道服を着た者だけでなく、普通の市民服を着た職員も忙しそうに行き来し、荷車から薬箱を降ろす者、子供たちへ食事を配る者、患者を担架で運ぶ者がいた。
カイは少し意外に思った。
もっと祈りの言葉が飛び交っているかと思っていたが、耳に入ってくるのは「包帯が足りない」「次の鍋を持ってきて」「この箱は第2倉庫へ」といった実務的な声ばかりだった。
共同倉庫の前で輸送隊を出迎えたのも、立派な祭服を着た聖職者ではなかった。袖をまくった中年の修道士と、帳簿を抱えた女性職員が2人で待っていた。
「遠路ありがとうございます。輸送証を確認します」
商人が書類を渡し、カイたちは周囲を警戒しながら荷車の封印確認に立ち会う。数量と外装に問題がないと確認されると、護衛契約上の目的はほぼ達成だった。
「ここまででいいんだよな」
カイが商人へ尋ねる。
「ええ。荷下ろし中の外周警戒までお願いできれば契約完了です」
「了解」
その言葉を聞いた直後、シアが倉庫の中を覗いた。
「いっぱい」
中では15人ほどが荷物を運んでいたが、それでも明らかに人手が足りていない。医薬品の箱は慎重に扱う必要があり、保存食の袋は重い。さらに別の荷車から古い寝具まで運び込まれている。
シアがカイを見る。
「手伝う?」
「俺たちは護衛だ」
「でも遅い」
ヴァレナも倉庫を見る。
「確かに、この人数では日没までかかります」
カイは少し考えた。
「外周の見張りは現地護衛と交代でやる。勝手に箱を開けるなよ」
シアはもう荷車へ向かっていた。
「聞いてるのか」
「聞いてる」
ヴァレナも袖をまくる。
「重量物は私が運びます」
「竜化するなよ」
「この程度で必要ありません」
3人が荷下ろしへ加わると、作業は目に見えて速くなった。シアは小柄な身体で驚くほど大きな袋を担ぎ、倉庫と荷車の間を何度も往復する。ヴァレナは力だけでなく、荷物の種類ごとに置き場を変え始めた。
「医薬品を入口近くへ積みすぎです」
帳簿を抱えた職員が振り返る。
「え?」
「後から出す保存食が塞がれます。薬は左列、食品は右列、衣類は奥へ。使用頻度の高いものを手前にした方がいい」
「分かるんですか?」
「補給計算なら」
ヴァレナは倉庫の在庫表を1度見ただけで配置を組み替え、さらに届いた数量と現在庫を照合し始めた。
カイが箱を運びながら言う。
「お前、もう職員みたいだな」
「非効率なのが見えると気になります」
「軍でもそんな感じだったのか」
「もっと厳密でした」
「部下は大変だったろうな」
「必要なことです」
「否定しないところが怖い」
その時、倉庫の入口側から子供の笑い声が聞こえた。
シアが振り向く。
数人の子供が柵の向こうからこちらを見ている。年齢はシアの外見より幼い者が多く、灰銀色の髪と金色の瞳が珍しいのか、遠慮なくじろじろ見ていた。
1人の少年が声を上げる。
「お姉ちゃん、どこから来たの?」
シアは荷袋を下ろして考えた。
「遠い」
「どこ?」
「分からない」
「迷子?」
「違う」
シアは迷わずカイを指した。
「カイいる」
少年たちは意味が分からない顔をしたが、シア本人はそれで説明が終わったと思っている。
カイは何も言わなかった。
シアにとって、出身地や帰る場所より、今誰と一緒にいるかの方が重要なのだろう。そのことを嬉しいと思っていいのかは分からなかったが、少なくとも迷子ではないという本人の認識だけは本物らしかった。
子供たちがさらに近づこうとしたところで、若い女性の声が止めた。
「倉庫の中は危ないから、線より先に入らないで」
振り返ると、簡素な訓練服の上に白い短外套を羽織った若い女が、大きな木箱を抱えて歩いてきた。年齢は20歳ほどで、肩甲骨近くまで伸びた淡いアッシュブラウンの髪を低い位置で一つにまとめている。やや丸みのある顔立ちは親しみやすく、青緑色の瞳にも柔らかな印象があったが、細身の身体には無駄なく筋肉がつき、重い箱を抱えていても歩調はまったく乱れていなかった。胸元には聖騎士候補生を示す小さな徽章があり、飾り気のない革靴と実用一辺倒の服装からは、騎士というより現場仕事に慣れた若い兵士のような印象を受ける。
女は箱を指定された場所へ置く直前、一度だけ倉庫の出入口と周囲の人の流れへ視線を走らせた。ごく自然な動作だったためカイは気にも留めなかったが、少し離れた場所にいたヴァレナだけは、その視線の順番を見ていた。
箱を指定場所へ置いた後、彼女はカイたちへ軽く頭を下げた。
「輸送隊の護衛の方ですよね。お疲れさまです」
「そっちは?」
「ミナ・ラゼルです。聖騎士候補生で、今週は奉仕実習としてここの警備と手伝いをしています」
シアがミナを上から下まで見る。
「強い」
ミナが瞬きをする。
「それ、挨拶?」
「うん」
「この国ではたぶん違うと思う」
「候補って弱い?」
「初対面でそこまで聞く?」
シアは真剣だった。
ミナは少し考え、「少なくとも箱は運べる」と答えた。それでシアは納得したらしい。
カイは笑いながら次の箱へ手を伸ばした。
ミナは特にカイへ興味を示すでもなく、そのまま作業へ戻った。子供の1人に呼ばれると、箱を運ぶ途中でも返事をし、転びかけた少女の肩を支える。聖騎士候補生という肩書きから想像していた堅さはなかった。
ヴァレナだけが、ミナの動きを何度か見ていた。
休憩時にカイが理由を尋ねる。
「気になるのか?」
「候補生にしては周囲をよく見ています」
「訓練されてるんだろ」
「そうかもしれません」
ヴァレナはそれ以上言わなかった。
カイも気にしなかった。聖騎士になる者なら、周囲へ注意を配る訓練くらい受けていて当然だった。
昼を過ぎると、共同倉庫から病院と無料食堂へ物資を分ける作業が始まった。カイたちの契約はすでに終わっていたが、ヴァレナが在庫表を見て眉を寄せた。
「保存食が足りません」
女性職員が驚く。
「今日かなり届いたはずですが」
「現在の配給人数と予定分を合わせると、5日後に不足します。次回便は?」
「8日後です」
「3日分足りない」
職員の顔が曇る。
カイが聞く。
「そんなに増えたのか?」
「戦争帰りの負傷者と、その家族が先月から増えていて……予定より配給人数が多いんです」
ヴァレナは帳簿を見直す。
「1人あたりを減らす?」
シアがすぐ反応した。
「駄目」
ヴァレナを見る。
「理由は?」
「腹減る」
「それは分かります」
ミナが近くで聞いていて、会話へ加わった。
「近隣の教会に余剰がないか確認してみます。先週、北区の収容人数が減ったと聞きました」
「確認できるの?」
ヴァレナが聞く。
「奉仕実習の連絡網は使えます。私が頼めるのは照会までですけど」
「十分です」
ミナはすぐ伝令板のある事務所へ向かった。
30分ほど後、北区の倉庫から2日分、別の小教会から1日分を融通できる見込みが立った。
ヴァレナは少しだけ感心した顔をする。
「早いですね」
ミナが笑う。
「困ってる時は、祈るより先に聞いて回った方が早いですから」
カイが思わず見る。
「聖騎士候補がそれ言っていいのか」
「祈るなとは言ってません。神様にお願いしながら、自分の足も使えばいいんです」
「それなら話は分かる」
夕方、病院へ最後の薬箱を届けた時、カイは治療室の入口で足を止めた。中では聖職者らしい男が患者の腕を押さえ、医師が傷口を縫っている。
患者が苦しそうに祈りの言葉を口にすると、聖職者はその手を握りながらも、隣の助手へ厳しい声を飛ばした。
「祈りは続けていい。だが先に止血帯を締めろ。血は神学を待ってくれない」
カイは少し笑った。
自分の中にあった宗教国家への印象が、来てから何度も外されている。
建物を出ると、シアが孤児院の庭で子供たちに囲まれていた。走る速さを競っているらしく、わざと人型のまま少しだけ手加減している。ミナも混ざり、転んだ子供を起こしていた。
ヴァレナは倉庫の入口で帳簿を書き直している。
カイは壁へ背を預け、その光景をしばらく眺めた。
「護衛の仕事はとっくに終わってるんだけどな」
隣にいた中年修道士が笑った。
「では、これは善行ですね」
「勝手に働いてるだけだ」
「呼び方は何でも構いません。助かっています」
カイは返事をしなかった。
修道士も説教はしなかった。
日が傾く頃、作業はようやくひと区切りついた。カイがシアを呼ぶと、子供たちが「明日も来る?」と尋ねた。
シアはカイを見る。
「来る?」
「仕事は終わったぞ」
ミナが横から言う。
「明日は古い診療棟の整理があります。人手は歓迎します」
「仕事なの?」
シアが聞く。
「奉仕だから、お金は出ないかな」
シアの顔が曇る。
ミナが付け加える。
「昼食は出る」
「来る」
決断は速かった。
カイはため息をつき、ヴァレナを見る。
「お前は?」
「倉庫の配置を直し切っていません」
「俺だけ帰る流れにはならないよな」
ヴァレナが少し笑う。
「自由ですよ」
その言い方が、絶対に帰らないと分かっている相手へのものに聞こえた。
カイは空を見上げる。
この国へ来たのは荷物を届けるためだった。それなのに、気づけば翌日も慈善施設へ来ることになっている。
面倒に巻き込まれているというより、自分たちから足を止めているだけなのが、いつもと少し違っていた。




