普通の契約へ
護衛依頼を終えた後、三人は同じ地方都市に数日滞在し、街道巡回などの短い仕事と休息を挟んだ。古代軍事遺跡でヴァレナが完全現界してから十日ほどが経った朝、三人は地方都市にある召喚契約管理局へ向かった。《特例同行管理措置》では三十日以内の定期検査に加え、正式鑑定を受けられる設備へ到着した時点で現界状態を確認することになっていた。
建物は役所というより病院に近く、待合室には契約召喚生命を連れた人間が何組もいた。小型の鳥に似た召喚獣を肩へ乗せた老人、腕ほどの長さの水棲生命を透明な容器へ入れている商人、人型の召喚生命らしい青年と並んで書類を書いている女性もいる。
シアは椅子へ座り、机に置かれた説明書を逆さまに眺めていた。
「分かるのか?」
カイが聞く。
「分からない」
「何で見てる」
「暇」
カイは紙を正しい向きへ戻した。内容は召喚契約者向けの一般注意事項で、公共区域での能力使用、契約状態の変更、戦闘業務へ参加する際の申告などが書かれている。
「シアも検査する?」
「今日は必要ない」
「何で?」
「お前は通常登録済みだし、今のところ異常もない」
シアは少し得意そうに胸を張った。
「私、普通」
「そこだけ聞くと違和感あるな」
「普通」
「食費以外はそういうことにしとく」
検査室へ入ったヴァレナが戻ってくるまで一時間ほどかかった。扉が開くと、本人より先に白衣の技術者が出てきて、手元の記録板を見ながらカイへ近づく。
「現界位相は安定域です。原界側への異常な引き戻しもありません」
ヴァレナも後ろから出てくる。
「カイから離れた状態でも?」
「問題ありませんでした」
技術者は記録を示す。
「先ほど別棟で三時間ほど完全に独立した環境へ移動してもらいましたが、契約経路と現界核の変動は誤差範囲でした。初期同調は終了したと判断できます」
カイは少し肩の力を抜いた。
「つまり、もう俺の近くにいなくても平気?」
「はい。今後は遠距離へ離れても現界そのものに影響はないと考えています」
「よかったな」
ヴァレナがカイを見る。
「嫌だった?」
「俺から離れられない奴が二人になったら困る」
シアが顔を上げる。
「私は離れられる」
「そういう意味じゃない」
ヴァレナは小さく笑った。
「では次から飛行偵察もできますね」
「街の外でな。いきなり竜になって飛ぶなよ」
「規則は確認済みです」
「そうだったな」
次に行政担当者が現れ、《特例同行管理措置》について説明した。正式鑑定で現界が安定し、仮契約にも異常がないことが確認されたため、予定の三十日を待たず特例を終了できるという。
今後ヴァレナは既存の戦闘召喚契約制度の枠で登録される。高位竜系であるため、人口密集地域での完全竜化や大規模火力の使用には通常より厳しい申告義務が残るが、カイが《同行責任者》として特別に管理する必要はなくなる。
担当者が新しい契約証をヴァレナへ渡した。
ヴァレナは表と裏を見比べる。
「これで私は通常扱い?」
担当者は少し考えた。
「能力規模まで通常とは言いにくいですが、制度上は一般の戦闘召喚契約と同じ枠です」
「十分です」
「所有者の欄がない」
シアが横から言った。
担当者が頷く。
「契約者と契約生命の双方を記録する制度です。所有を証明するものではありません」
ヴァレナはその説明を聞いてから、改めて契約証を受け取った。
「その方がいい」
カイも自分の傭兵証を返してもらった。担当者が何も言わず差し出したため、一応確認してみる。
「俺の方の変な登録は?」
「《古代遺跡特別接触者》ですか?」
「それ」
「継続です」
「終わらないのか」
「古代施設があなたへ反応しなくなった場合、または原因が特定された場合に再検討されると思います」
「いつになる」
担当者は真顔で答えた。
「こちらが聞きたいです」
隣でヴァレナが笑った。
「楽しそうだな」
「少し」
「性格悪くなってないか」
「この世界への適応かもしれません」
「それはシアだけで十分だ」
管理局を出ると、昼を少し過ぎていた。
シアが市場の方へ顔を向ける。
「肉」
「検査終わっただけで祝いじゃないぞ」
「普通になった祝い」
ヴァレナが言う。
「制度上だけです」
「じゃあ制度祝い」
「何ですか、それは」
結局、串焼きを買うことになった。
カイは一本、ヴァレナも一本。シアは三本持って歩いている。
市場には野菜、香辛料、布、金属工具、薬草などが並び、種族の違う商人たちが声を張り上げていた。人型のシアもヴァレナも、その中へ入ってしまえば特別目立つ存在ではない。
カイは歩きながら、ふとシアを見る。
「お前、最近そっちの姿が長いな」
シアが串を噛みながら首を傾げる。
「何?」
「獣型へ戻る時間が減った」
「こっち、便利」
「疲れないのか」
「前より疲れない」
「獣の方が楽?」
シアは少し考えた。
「楽。でも、こっちも楽になった」
ヴァレナが興味を示す。
「現世界への適応が進んでいる?」
「分からない」
シア自身は難しい理屈を考えていないらしい。
カイも断定はしなかった。シアは環境や獲得した性質へ適応していく能力を持つ。人型維持に身体が慣れていても不思議ではない。しかし、それだけではない気もした。
列車の座席。
船の食堂。
宿の部屋。
市場。
人型なら、カイと同じ場所へ入れる。
以前シアが「こっちなら一緒に行ける」と言ったことを思い出す。
「その方がいいなら好きにしろ」
カイが言った。
シアが頷く。
「好きにする」
ヴァレナが横から言う。
「それは最初からしているでしょう」
「うん」
「否定しないのですね」
宿へ戻る前、ヴァレナは契約証をもう一度取り出した。
「一つだけ気になります」
「今度は何だ」
「ここに『戦闘時能力申告:火、金属干渉、飛行、部分竜化』とあります。射撃は?」
「火の中に含まれてるんじゃないか」
「精密射撃と広域火力は運用が違います」
「役所に戻る気か?」
ヴァレナは本気で戻ろうとしたため、カイが止めた。
「次に更新する時でいい。今日中に世界の制度を完成させなくていい」
「でも誤解が生じるでしょう」
「誤解が事故につながるなら直す。今は登録担当が内容を分かってるし、使う時は依頼主にも説明する。それで十分だ」
ヴァレナは少し考え、契約証をしまった。
「あなたは曖昧さを許容するのですね」
「必要ならな」
「私は苦手です」
「知ってる」
シアが言う。
「私は平気」
ヴァレナが見る。
「あなたは曖昧なのではなく、考えていないだけでしょう」
「違う」
「何が?」
「考える前に分かる」
ヴァレナは言い返しかけて、やめた。
カイにはシアの言葉が完全な強がりとも思えなかった。振動、匂い、動き、空気の変化。シアは説明できない情報を身体で先に拾う。だから本人にとっては、長く考えるより動いた方が正しい場面が実際に多い。
「たぶん、それが昨日の原因だな」
カイが言う。
二人が見る。
「シアは分かった瞬間に動く。ヴァレナは分かったことを一度整理してから動く。どっちも間違いじゃないけど、相手が何を分かってるか知らないまま動くから噛み合わない」
ヴァレナはしばらく考えた。
「では、情報共有の速度を上げる必要があります」
シアが言う。
「長く話すの嫌」
「短くすればいい」
カイは答えた。
「そこは次で試す」
ヴァレナが頷く。
「分かりました」
シアも串の最後の肉を食べてから頷いた。
「短いなら」
三人の間で初めて、連携について同じ問題を同じ言葉で認識できた気がした。解決策はまだ粗い。それでも昨日までは、シアはヴァレナが遅いと思い、ヴァレナはシアが無計画だと思い、カイは二人へ命令すれば済むと思っていた。そこから少しだけ前へ進んでいる。
市場を抜けたところで、ヴァレナが急に歩調を落とした。
「昨日の件ですが」
「盗賊か」
「ええ」
カイも足を緩める。
「現界安定が終わったので、今後は私が遠距離へ離れることもできます」
「戦い方は増えるな」
「その分、昨日より連携は難しくなる」
カイは返事をしなかった。
それは自分も考えていた。
ヴァレナが空から戦えるなら、地上のカイとは数百メートル、場合によってはそれ以上離れる。シアは地形に沿って高速で動く。三人の距離が広がれば、カイがその場で「右」「左」と叫ぶだけでは届かない。
能力が増えれば強くなる。
強くなれば簡単になる。
そう思っていた。
実際には、できることが増えるほど、互いが何を考えているのか分からない危険も増える。
「次の仕事までに少し決めるか」
カイが言った。
「何を?」
「最低限の動き方」
ヴァレナが少し意外そうな顔をした。
「計画を作る気になりました?」
「お前みたいに十項目も二十項目も作る気はない」
「では何項目?」
「まだ決めてない」
「そこから?」
「考えるって言っただろ」
シアが先から振り返る。
「飯食べながら?」
「お前はそれしかないのか」
三人は宿へ向かって歩いた。
ヴァレナの特例は終わった。シアの人型も少しずつ安定している。制度上も生活上も、三人旅は普通に近づいている。
それでも戦闘だけは、まだ普通には程遠かった。




