自由には書類がいる
翌朝、結局三人が宿を出たのは日の出から十五分後だった。シアは日の出と同時に歩き出したがり、ヴァレナは朝食と荷物確認を終えてから出発すべきだと譲らず、カイが両者の中間を取った結果だった。
「どっちつかず」
シアが言う。
「妥協です」
ヴァレナが答える。
「同じ」
「違います」
「朝から始めるな」
宿場町を出て二時間ほど進むと、街道の先に都市国家同盟の地方検問所が見えてきた。戦争中の軍事検問所を転用した建物で、石造りの門の左右に監視塔があり、現在は兵士よりも税関吏や治安担当者の姿が目立つ。一般旅客の列とは別に、武装者、傭兵、大型商隊、召喚契約者用の窓口が設けられていた。
「並ぶの?」
シアが聞く。
「仕事をするならな」
カイは傭兵証を出しながら答えた。
「黙って通ったら?」
「普通の旅行だけなら人型のお前を見ただけで召喚生命だと分からない奴も多い。でも傭兵として戦うなら、契約戦力を申告する必要がある」
「何で?」
「事故を起こした時に補償や責任の話が面倒になる。最悪、依頼料より高い金を払う」
シアの表情がすぐ変わる。
「言う」
ヴァレナが小さく息を吐いた。
「お金が絡む規則だけは理解が早いですね」
「大事」
「そこは否定しません」
窓口でカイが自分の傭兵証、シアの通常契約登録証、ヴァレナの《特例同行管理措置》に関する書類を順番に提出すると、係官は最後の一枚で姿勢を変えた。ヴァレナ本人に前へ出るよう求め、魔力波形、仮契約経路、現界位相を簡易測定器で確認していく。
「本人確認、問題なし。現界安定化期間中。完全竜化は人口密集区域で要事前申告。高出力攻撃は緊急時を除き禁止」
係官が読み上げる。
シアが横から覗く。
「私ない」
「お前はもう通常登録だからな」
「ヴァレナ、面倒」
ヴァレナが振り返る。
「あなたが初めて登録された時も同じような確認があったのでは?」
シアは考える。
「いっぱい聞かれた」
「同じでしょう」
「忘れた」
係官が笑いを堪えながら書類へ印を押した。ヴァレナは逆に確認事項をいくつか質問し、完全竜化の範囲、部分竜化の扱い、都市外での飛行許可まで聞いた。係官も途中から、検査される側より検査する側の方が質問されているような顔になっていた。
「これで通過できます」
「ありがとう」
ヴァレナは素直に礼を言い、書類を受け取る。
カイも自分の傭兵証を返してもらうつもりで窓口へ手を伸ばしたが、係官が端末へ証を通した瞬間、小さな警告音が鳴った。
係官の目が画面へ落ちる。
次にカイを見る。
「レイヴァン氏、少しこちらへお願いします」
「今度は俺か」
ヴァレナが言う。
「人気者ですね」
「嬉しくない」
案内されたのは検問所奥の小さな部屋だった。カイだけでいいと言われたが、シアが当然のようについて来て、ヴァレナも「同行者として状況を把握します」と続いたため、結局三人とも入ることになった。
中には都市国家同盟の治安担当官が一人待っていた。
机には何も置かれていない。
「時間は取りません」
「だったら助かる」
カイが座ると、担当官は端末を操作し、表示をこちらへ向けた。
一般画面には何も出ていない。さらに内部権限を通すと、小さな注記が現れた。
《古代遺跡特別接触者》。
カイは見覚えのある文字を見てため息をつく。
「もう地方まで回ってるのか」
「公開情報ではありません。治安・古代遺物・一部の安全保障担当だけが閲覧できます」
「宿屋の主人まで知ってたら国を出ようと思ってた」
「そこまでの扱いではありません」
「今のところは?」
担当官は答えなかった。
カイはその沈黙だけで十分だった。
「現在の目的地を確認させてください」
「仕事次第だ」
「しばらく都市国家同盟内へ滞在していただけると助かるのですが」
カイは相手を見る。
「命令か?」
少し間がある。
「要請です」
「なら考えておく」
言葉だけなら柔らかいが、実質的には断っている。担当官にも分かったらしく、それ以上は押さなかった。
代わりに、古代施設へ接触した場合の報告要請、魔力波形に急な変化があった場合の任意検査、国境を越える際には通常の傭兵手続きに加えて所在を記録することなどを確認された。
「新しい遺跡を見つけたら報告してください」
「見つけたくて見つけてるわけじゃない」
「承知しています」
「向こうから勝手に開いた場合は?」
「特にその場合は」
「俺が理由を聞きたいくらいなんだがな」
担当官は少しだけ笑った。
「こちらもです」
話はそれで終わった。身体を拘束されることも、行き先を制限されることもない。だから表面上は自由だった。しかし検問所を出たカイは、自分の足跡の後ろへ見えない印が残っている感覚を拭えなかった。
ヴァレナが隣を歩きながら尋ねる。
「かなり警戒されていますね」
「二つも遺跡を開けばな」
「嫌ではない?」
「好きではない」
カイは前を向いたまま答える。
「ただ、牢屋へ入れられるよりはましだ。あいつらも拘束した方が得かどうか考えた上で、今は協力させる方を選んでる」
「国家そのものを嫌っているわけではない?」
「国も軍も必要だ。必要だからこそ、持ってる権限には理由がいる」
ヴァレナは少し黙った。
「理由なく自由を奪われることが嫌?」
「好きな奴はいないだろ」
「あなたは軍にいた」
「いたから余計に分かる。命令する側が『必要だから』だけで済ませ始めると、最後は何でも必要になる」
その言葉に、ヴァレナは返事をしなかった。ただ、カイの横顔を一度見てから前へ戻した。
少し先を歩いていたシアが振り返る。
「カイ、捕まる?」
「捕まらん」
「捕まったら?」
「何もしなくていい」
「助ける」
即答だった。
ヴァレナがシアを見る。
「理由を確認してからでしょう」
「カイ捕まったら助ける」
「犯罪をしていた場合は?」
シアがカイを見る。
「した?」
「してない」
「じゃあ助ける」
「今の質問の意味を理解してないだろ」
シアは気にせず歩き続ける。
ヴァレナはその背中を眺め、少しだけ口元を緩めた。
「単純ですね」
「だから分かりやすい」
「あなたは?」
「何が」
「分かりやすい?」
カイは答えなかった。
ヴァレナも追及しなかった。
昼過ぎ、三人は街道脇の休憩所で食事を取った。そこには同盟兵が二人おり、カイたちの傭兵証を見ても特別な反応を示さなかった。カイはそれを見て、《古代遺跡特別接触者》の情報が本当に限られた者にしか共有されていないことを確認した。
シアは兵士から乾燥果実をもらい、ヴァレナはその交換価格を聞いていた。
「何でも金額に直すな」
カイが言う。
「旅費管理には必要です」
「もらった物まで帳簿に入れる気か」
「現物収入として」
「やめろ。シアが味を覚えた物まで全部資産扱いされたら面倒だ」
シアが乾燥果実を飲み込む。
「もうない」
「そういう意味じゃない」
ヴァレナは少し笑い、帳簿を閉じた。
休憩所を出る前、ヴァレナは検問所でもらった控えをもう一度読み直した。
「この《古代遺跡特別接触者》という分類、期限は?」
「書いてないだろ」
「だから聞いています」
「俺に聞くな。解除条件も『反応しなくなったら再検討』とかいう曖昧な話だ」
「では、三つ目の遺跡が開けば解除から遠ざかる?」
「たぶんな」
「四つ目なら?」
「考えたくない」
シアが横から言う。
「いっぱい開けたら偉い?」
「偉くない」
「金になる?」
「なるかもしれんが、俺が売られる側になる」
「嫌」
「俺も嫌だ」
ヴァレナは冗談として流さず、少し表情を硬くした。
「その可能性を考えている?」
「国家全部が今の連中みたいに話を聞くとは限らない。だから、何に反応するか分からないうちは余計なことを喋らない」
「私のことも?」
「公的に登録が必要なところでは隠さない。でも酒場で自慢する話でもない」
ヴァレナは頷いた。
「合理的です」
「褒められた?」
「今回は」
シアがすぐ言う。
「私も合理的」
「どこが?」
「食べられる時に食べる」
「それは生存戦略です」
「合理的」
ヴァレナは言い返そうとしてやめた。カイは、その判断だけは正しいと思った。
検問所を離れてしばらくしてからも、カイは後ろを振り返らなかった。誰かが尾行している気配はない。それでも、今後は必要なら追えるよう記録だけ残されているのだろうと思った。監視されることを好む気はないが、国家が何も考えず放置するよりは、まだ筋が通っているとも思えた。
夕方には地方都市の城壁が見えてきた。門の上には都市国家同盟の旗が複数並び、一つの国というより複数都市の連合体らしい雑多さがある。
カイはそこへ向かいながら、自分が自由であることと、何も見られていないことが別なのだと改めて理解していた。
それでも歩けるなら十分だった。足を止めて国家の監視を気にしたところで、古代遺跡が自分へ反応する理由が分かるわけではない。むしろ旅を続ければ、また何かに出会う可能性がある。
その可能性を国家も同じように考えているのだろうと思うと、少しだけ気分が悪かった。




