ヴァレナ
召喚装置が発した音は、機械の駆動音というより、空間そのものが軋んでいるようだった。
中央に浮かぶ赤金色の光膜が大きく膨らみ、向こう側の巨大な影が一歩近づく。
技術者たちは制御盤へ張りついていた。
「接続率が上がっています!」
「停止できないのか?」
「できません。というより、こちらが起動させている状態ではありません!」
「じゃあ誰が動かしてる」
技術者が答えるより早く、光膜の向こう側で巨大な翼が開いた。
魔力が爆発的に増える。
カイは反射的にシアの前へ出た。
その直後、赤金色の光が部屋全体を埋めた。
視界が戻った時、中央装置の上に巨大な竜が立っていた。
頭部だけでも人間の背丈ほどある。
赤褐色の鱗は金属のような光沢を帯び、首から背へ向かって硬質な突起が並んでいる。折り畳まれた翼は広げれば部屋の半分を覆いそうで、長い尾の先がゆっくりと床を擦った。
赤金色の縦長の瞳が、一人ずつ人間を見ていく。
恐怖で動けなくなった護送兵が一人いた。
カイは止めなかった。
下手に武器を向ける方が危険だ。
竜はまず出口を見た。
次に天井。
左右の人数。
武器。
魔力反応。
最後に中央装置。
明らかに状況を確認している。
シアとは違う。
あの時のシアは傷つき、飢え、何も分からないまま周囲すべてを警戒していた。
目の前の竜は、知らない世界へ突然出された直後なのに、恐怖より先に情報を集めている。
竜の口が開いた。
聞いたことのない音が響く。
意味は分からない。
直後、中央装置の外周に光が走った。
次に同じ声が聞こえた時、言葉になっていた。
「ここは、どこです」
誰もすぐには答えなかった。
カイが周囲を見る。
「誰か説明した方がいいんじゃないか」
護送責任者が一歩出る。
「ネレイア海洋国家とセプティム都市国家同盟の境界付近です」
竜の瞳が動く。
「その名称に記録がありません」
「古い施設らしいからな」
カイが言った。
赤金色の目がこちらへ向く。
「この施設を再起動したのは誰です」
カイは嫌な予感を覚えた。
技術者たちの視線が一斉に集まる。
「……結果だけ言えば俺らしい」
「自覚なく起動した?」
「そうなる」
竜は数秒カイを見た。
「危険ですね」
「初対面でそれを言われたのは初めてじゃない」
シアが横から言う。
「カイ、変」
「お前まで乗るな」
竜はさらに質問した。
「現在、この地域は戦争状態ですか」
カイは少しだけ表情を変えた。
「停戦中だ」
「停戦」
「大きな戦争が終わった直後だと思えばいい」
「戦力配置は?」
「知らん」
「所属軍は?」
「もっと知らん」
竜の瞳が細くなる。
カイは肩をすくめた。
「質問が軍人みたいだな」
「軍人?」
装置の翻訳機構が言葉を補ったらしく、竜は少し間を置いた。
「戦闘において指揮と責任を担う者を意味するなら、近いでしょう」
「やっぱりそうか」
「あなたも」
「何が」
「兵を率いたことがある」
カイは少し黙った。
「何で分かる」
「武器の位置。立つ場所。周囲へ視線を配る順序。それに、先ほど私が現れた時、あなたは隣の少女を庇いながら、後方にいる者の退路も確認した」
竜の視線がカイの足元から肩へ上がる。
「指揮経験のない戦闘者は、自分の攻撃範囲を最初に確認することが多い」
「よく見てるな」
「必要ですから」
「昔は軍人だった」
「今は?」
「傭兵」
竜が少し首を傾けた。
「降格ですか」
「退職だ」
シアが小さく笑った。
「何がおかしい」
「カイ、怒った」
「怒ってない」
巨大な竜がいるという状況にもかかわらず、わずかに空気が緩んだ。
竜は自分の身体を見る。
次いで周囲の狭さを確認した。
「この姿では不便ですね」
赤褐色の鱗の間から魔力が立ち上った。
護送兵が再び身構える。
カイが手で止める。
竜の巨大な輪郭が急速に縮小していく。
数秒後、中央装置の上に一人の顔立ちが整っている凛とした女性が立っていた。
外見は二十五歳前後。
カイより少し低い程度の長身で、細身ながら肩や脚には鍛えられた筋肉の線がある。赤褐色の長髪を後頭部でひとまとめにし、瞳は竜の時と同じ赤金色だった。首筋から鎖骨にかけてだけ、薄い鱗が残っている。
服装は現界時に魔力によって形成されたらしく、身体へ密着する黒と赤褐色の簡素な戦装束だった。
シアが見上げる。
「でかい」
女性がシアを見る。
「あなたが小さいのでは?」
「私、速い」
「身長の話でしょう」
「速い方が強い」
「そうとは限りません」
カイは額を押さえた。
「会って三分で張り合うな」
女性は再び中央装置を見る。
「説明を求めます。私はなぜここへ?」
技術者が《位相拘束核》について説明した。
古代軍事遺跡から盗み出された装置。
密輸組織。
《戦略級召喚生命資産》という帳簿上の分類。
自分との接続が売買対象として扱われていたことを聞いても、女性は声を荒らげなかった。
ただ、赤金色の目から温度が消えた。
「つまり彼らは、私自身を売るだけではなく、この接続を再利用しようとしていた」
「その可能性が高い」
「何度も?」
技術者は黙った。
答えは分かっている。
女性は中央装置へ手を置いた。
「この施設を再利用可能な状態で残すべきではありません」
「壊す気か?」
カイが聞く。
「必要なら」
「待て。まだ分かってないことが多い」
「だからといって、誰かが再び接続装置を盗むまで保管しますか?」
「そうは言ってない」
女性はカイを見る。
「では、どうする?」
「調べて、使えないようにして、必要な記録だけ残す。全部燃やすのは最後だ」
「合理的ですね」
「初めて褒められた気がする」
「褒めてはいません」
その時、警報音が鳴った。
赤い古代文字が壁面へ次々に浮かぶ。
技術者が制御盤を見る。
「別区画で起動反応!」
護送責任者が通信器を取る。
『地上班、状況を――』
雑音。
続いて銃声。
「戻ってきたか」
カイは剣を抜いた。
密輸組織の残党が、別の入口から遺跡へ侵入したらしい。
女性は一瞬で状況を切り替えた。
「敵の数は?」
シアが床へ手を当てる。
「前、いっぱい。上にも」
女性がカイを見る。
「あなたが指揮する?」
カイは少し考え、
「いや」
と答えた。
「お前が何をできるか教えろ。俺たちもできることを言う。その方が早い」
女性の口元が、ほんのわずかに動いた。
「ヴァレナ」
「何?」
「私の名前です」
カイは頷いた。
「カイだ。こっちはシア」
「知ってる」
シアが先に自分を指していた。
カイは剣を構える。
「じゃあヴァレナ。何ができる」
遺跡の奥から複数の足音が近づいてくる。
ヴァレナは音の方向へ顔を向けた。
「飛べます。焼けます。金属へ干渉できます。遠距離射撃も可能です」
「最後の二つを先に言え」
「なぜ?」
「ここで全部焼いたら俺たちまで死ぬ」
「その程度は分かっています」
シアが低く姿勢を落とす。
「来る」
ヴァレナの赤金色の瞳が細くなる。
「なら、確認しましょう」
「何を」
「あなたたちが、この世界でどの程度戦えるのか」
密輸組織の最初の兵が通路の角から姿を現した。




