遠回り
航路封鎖によって、港は翌朝からさらに混乱した。
出港予定だった商船が岸壁へ残り、行き場を失った貨物が倉庫へ積み上がり、海路を使えなくなった商人たちが陸路輸送の確保へ走り回っている。
仕事を探す傭兵にとっては、こういう混乱は稼ぎ時でもあった。
カイは朝食を終えると、シアを連れて港湾掲示所へ向かった。
「船乗らない?」
「封鎖されてる」
「別の船」
「同じ海を通る」
「泳ぐ?」
「お前一人で行け」
シアは本気で考えている顔をした。
「やめろ。冗談だ」
掲示所の壁には昨日までなかった依頼票が何十枚も増えていた。
港から内陸倉庫への緊急輸送、海軍物資の代替輸送、商人護衛、馬車隊警備。どれも通常より報酬が高い。
「これ」
シアが指差したのは、食料輸送だった。
「理由は?」
「肉」
「分かってた」
カイは別の紙を見る。
港湾当局と海軍共同の押収物護送。
行き先は内陸の検査施設を経由し、都市国家同盟方面の管理拠点まで。期間五日から七日。危険手当付き。
報酬は十分だった。
「こっちだな」
受付へ持っていく。
係員が書類を確認した後、カイの傭兵証とシアの登録を見た。
「ちょうどいいかもしれません。召喚戦力を扱った経験者が欲しいという条件が追加されています」
「何を運ぶ」
「押収品です。密輸船から回収した古代部品、違法魔導具、召喚器具、危険生物。詳細は契約後に」
「危険生物?」
「生きた物もいます」
カイは少し嫌な予感がした。
「護送先で処分か?」
「私には分かりません」
契約書を読む。
通常の警備契約より免責条件が多い。特に「収容対象へ独断で接触しないこと」という項目が何度も繰り返されていた。
「随分念入りだな」
「一度、押収品の魔獣が逃げたんですよ」
「それなら分かる」
契約へ署名し、集合場所を聞いた。
北側の軍用倉庫だった。
昼前に向かうと、すでに十台以上の大型荷車が並び、その周囲を武装した港湾警備兵が固めていた。
積荷は木箱、金属箱、封印容器と様々で、中には魔力遮断布を何重にも巻かれた物もある。
シアは入口を通った直後から落ち着きを失った。
「臭い」
「何が?」
「いろいろ」
召喚器具や魔獣由来素材があるなら、彼女にしか分からない匂いも多いのだろう。
護送責任者から説明を受ける。
「第一から第七荷車は古代部品と違法兵器。八、九は魔獣素材。十号車は生体収容物です。触らないでください」
「何匹?」
「三体です」
「危険度は?」
責任者は書類を見る。
「二体は中型魔獣。残り一体は……」
言葉が止まった。
「何だ」
「分類上は魔獣ではありません」
カイの嫌な予感が強くなった。
「見せろ」
「書類だけです」
差し出された紙を受け取る。
押収場所、管理番号、封印状態、搬送先が並び、その一番下に分類が記されていた。
《戦略級召喚生命資産》
カイは数秒その文字を見た。
「これは何だ」
「書いてある通りです」
「生命なのか、資産なのか、どっちだ」
責任者は露骨に困った顔をした。
「私に聞かないでください。押収時の分類をそのまま使っています」
「誰が付けた分類だ」
「密輸組織側の帳簿です。海軍の正式分類ではありません」
その説明で多少は納得した。
少なくとも海洋国家自身が召喚生命を資産と呼んでいるわけではない。
「状態は?」
「拘束下。意識があるかは不明。非常に高い魔力を持っている可能性があります」
シアが近づいてくる。
「何?」
カイは書類を折りたたんだ。
「生き物を運ぶらしい」
「どこ?」
「十号車」
シアはそちらを見た。
十号車だけは他と違い、四頭立ての大型車両だった。荷台の上には箱ではなく、黒い金属板で覆われた巨大な収容檻が固定されている。外側から中を見ることはできず、表面には幾重もの封印文字と魔力抑制具が取り付けられていた。
シアが一歩近づく。
警備兵が手を上げた。
「近づかないでくれ」
「見るだけ」
「駄目だ」
カイが肩を掴む。
「言われた通りにしろ」
シアは不満そうだったが戻った。
護送隊は午後に出発する。
それまで装備を確認し、担当区画を決めた。
カイとシアは後方警戒を任され、十号車からもそれほど離れない位置になった。
「面倒が起きそうだな」
カイが言う。
シアは十号車を見ていた。
「何かいる」
「書類に書いてある」
「違う」
「何が?」
「起きてる」
カイは眉を寄せた。
「分かるのか」
シアは靴底を地面へ押し当てた。
十号車までは十数メートルある。車輪、木枠、金属製の収容檻を通し、その中の振動を拾っているらしい。
「ドンってする」
「鼓動か?」
シアは頷いた。
「遅い。でも強い」
カイは収容檻を見た。
静かだった。
外からは何の音も聞こえない。
警備兵たちも普段通り準備を続けている。
「話せそうか?」
「分からない」
「なら今は何もするな」
「でも生きてる」
「分かってる」
カイはそう答えながら、折りたたんだ書類の文字を思い出した。
戦略級。
召喚生命。
資産。
三つの言葉が同じ行へ並んでいることに、どうしても違和感が残る。
シアも最初は危険な正体不明の召喚生命として扱われた。商業共和国では金額まで付けられた。本人が何を望んでいるかとは無関係に、周囲が先に価値や危険度を決めていく。
檻の中の存在も同じなのかもしれない。
ただし、それだけで解放していい理由にはならない。
本当に危険な存在かもしれず、何人も殺している可能性もある。事情を知らないまま善意だけで拘束を壊すほど、カイは自分を正義の人間だとは思っていなかった。
「見るだけにしろ」
もう一度言うと、シアは頷いた。
出発時刻が近づく。
馬が繋がれ、護衛が配置につき、荷車の固定具が最終確認される。
港湾責任者が号令をかけ、先頭車両が動き始めた。
海を離れ、内陸へ続く石畳の道へ護送隊が進む。
シアは新しく買った服を着てカイの隣を歩いた。
途中、暑くなったのか一度獣型へ戻る。衣服と靴は問題なく収納され、灰銀の獣が数百メートル走った後、また人型へ戻った。
「壊れない」
「高かったからな」
「便利」
「高かったからな」
「カイ、そればっかり」
「財布は忘れない」
港の建物が少しずつ遠ざかり、潮の匂いが薄くなる。
予定していた船旅は途中で終わり、結局また陸路を歩くことになった。
「海の国、遠い」
シアが言った。
「入ってはいる」
「島、まだ」
「そのうち行けばいい」
「また?」
「ああ」
旅をやめない限り、機会はいくらでもある。
カイがそう考えた時、後ろから低い金属音が聞こえた。
十号車だった。
護送兵が振り返る。
「何だ?」
馬車は止まっていない。
車輪も正常に回っている。
もう一度、金属が軋んだ。
シアが足を止める。
「カイ」
声が変わっていた。
カイも立ち止まり、十号車を見る。
黒い金属板の内側から、何かが一度だけ壁へ触れたような音がした。
叩いたというほど強くはない。
暴れているようにも聞こえない。
シアは金色の目を細めた。
「起きた」
カイは剣の位置を確認した。
周囲の護衛も収容檻へ注意を向ける。
責任者が御者へ速度を落とすよう指示したが、完全には止めなかった。
「封印値は?」
「正常です!」
「魔力反応は?」
「変化ありません!」
ならば、今の音は拘束を破ろうとしたものではない。
カイは収容檻の黒い側面を見つめた。
その向こうに何がいるのかはまだ分からない。
危険な怪物かもしれない。密輸組織に捕らえられた被害者かもしれない。その両方である可能性さえある。
ただ一つ確かなのは、書類の中で「資産」と呼ばれている存在が、実際には呼吸し、鼓動し、今この瞬間に目を覚ましているということだった。
護送隊は再び速度を上げた。
背後では海が少しずつ遠ざかり、前方には内陸へ続く長い街道が伸びている。
カイは十号車から完全には意識を外さないまま歩き出し、シアも隣で何度か振り返った。
海を見るために始めたはずの旅は、また予定とは違う方向へ曲がった。
それでもカイにとっては珍しいことではない。仕事を選び、金を稼ぎ、目の前で起きたことに必要な分だけ関わる。その繰り返しの先で、いつの間にか知らなかった人間や知らなかった生命との縁が増えていく。
黒い檻の中から、もう音はしなかった。
しかしシアには、その内部で続く重い鼓動だけが、街道の振動に混じることなく聞こえ続けていた。




