蒼海の盾
翌朝まで、海域封鎖は解除されなかった。
《アルデア号》は海軍指定の臨時停泊港へ入り、予定していた中央諸島行きを中断した。乗客たちは不満を漏らしたものの、夜のうちに軍艦が十隻近く集まったと聞けば、さすがに船を出せと強く要求する者はいなかった。
カイは甲板から港を見渡した。
通常の商港とは違い、ここは軍民共用の補給拠点らしく、岸壁の半分を海軍艦艇が占めている。
特に目を引いたのは、水際で作業する兵士たちだった。
「人?」
シアが隣で聞く。
「中身はな」
兵士たちは身体を覆う青黒い装備を身につけていた。
大型の鎧というほど厚くはない。背中から腰にかけて細い魔導機構が伸び、脚部と腕部へ補助骨格が接続されている。水中用らしく関節は密閉され、背面には推進器らしい二本の筒が備えられていた。
数名が岸壁から海へ飛び込む。
着水後も沈むことなく、青い光を残して水中へ高速で消えた。
「速い」
「海軍の外骨格だろうな」
カイは王国軍で見た旧式の戦術外骨格を思い出した。
あちらは重い装備を持って地上を進むための補助が中心だったが、目の前の装備は明らかに水中を自由に動くことへ特化している。
港湾兵が近くを通ったため、カイが聞いた。
「あれは?」
「《マリナー》です。水中偵察と対海獣戦闘用」
「全員が使えるのか」
「無理ですよ。魔力制御と水中訓練が要ります。あれに着られて溺れる奴もいるくらいです」
兵士は笑ったが、すぐ表情を戻した。
「今日は近づかない方がいいですよ。外海が封鎖されてます」
「何があった」
「知りません」
言い方から、本当に知らないのか、知っていて話せないのかは判断できなかった。
昼前、船長からカイたちへ連絡が来た。
航路再開の見込みが立たないため、契約はここで一度終了となる。ただし船底事故の早期発見分として追加報酬が支払われるという。
カイは異論なく受け取った。
シアは報酬袋を見た。
「魚何個?」
「全部食費に換算するな」
「服の分返せる?」
カイが少し驚いた。
「気にしてたのか」
「高かった」
「返さなくていい。仕事した分はお前の食費にしろ」
「いっぱい食べていい?」
「やっぱり返せ」
そんな話をしている時、岸壁側が騒がしくなった。
海軍兵たちが道を空け、数人の士官を伴った男が歩いてくる。
年齢は四十代後半ほどに見えた。軍服は簡素だが階級章は高く、歩き方に無駄がない。周囲の兵士が一斉に姿勢を正す様子から、現場指揮官ではないことはすぐに分かった。
船長が先に敬礼した。
「レイン提督」
男は軽く返礼した。
「損傷船はこれか」
「はい。応急修理済みですが、本格修理が必要です」
提督と呼ばれた男は、船の外板を確認した後、船長から簡単な報告を受けた。
その途中で視線がカイとシアへ向く。
「最初に異常を見つけたのは?」
「彼女です」
船長がシアを示した。
男が近づいてくる。
「カシウス・レインだ」
「カイ・レイヴァン」
名乗った後、カイは肩書を付けなかった。
カシウスも気にしない。
「あなたが船底の異常を?」
シアは一瞬カイを見てから頷いた。
「音、違った」
「音?」
「揺れ」
カシウスはシアの足元を見た。
「振動感知か」
「昨日覚えた」
カイが横から口を挟む。
「正確には昨日から使えるようになった」
「それはまた急だな」
興味は見せたが、何の種族か、どこで得た能力かとは聞かなかった。
「おかげで百人以上の乗客が危険を避けられた。海軍を代表して礼を言う」
シアは褒められることにまだ慣れていないらしく、返事に困った。
「魚もらった」
カシウスが一瞬黙り、それから小さく笑う。
「船長、追加で魚を用意してやれ」
「提督まで甘やかさないでくれ」
カイが言うと、カシウスは初めて彼へ正面から視線を向けた。
「元軍人か」
「よく言われる」
「立ち方で分かる」
「軍人は全員他人の経歴を当てる遊びでもしてるのか」
「暇な軍人だけだ」
想像していたより話しやすい。
その時、遠くの海上から低い轟音が届いた。
遅れて海面が震え、港の係留索がわずかに鳴る。
シアの表情が変わった。
カシウスもすぐ沖を見た。
士官の一人が近づく。
「提督、第三封鎖線から連絡です」
「ここで言え」
「反応が再上昇。水中探知網の一部が焼き切れました」
カイには意味が分からなかったが、カシウスの顔から先ほどまでの柔らかさが消えた。
「民間航路をさらに西へずらせ。漁船も全部戻せ」
「ですが、閉鎖範囲を広げれば――」
「補償の話は後だ。人命を先にしろ」
士官が走り去る。
カイは沖を見た。
「何がいる?」
「答えられない」
「知らない、じゃないんだな」
カシウスは否定しなかった。
「知っていることを全部話すのが親切とは限らん」
「役人みたいなことを言う」
「提督なのでね」
さらに別の士官が近づいた。
今度は小声で何かを報告する。
カシウスは数秒考え、
「起動準備だけ進めろ。ただし命令があるまで出すな」
と答えた。
何を起動するのかは聞こえなかった。
士官が離れる。
カイは視線だけで追ったが、カシウスは何も説明しない。
シアが海へ顔を向けた。
「下に何かある」
カシウスの目がわずかに鋭くなった。
「どこまで分かる?」
「でかい。遠い。動いてない」
カイはシアの肩を掴んだ。
「それ以上探るな」
「でも」
「分からない物へ頭突っ込むな」
カシウスも同意するように頷いた。
「その方がいい。この海には、知らないままでいた方が安全なものもある」
「海軍が隠してるものもか」
カイが聞く。
「特にそれはな」
答えは冗談めいていたが、目は笑っていなかった。
カイはそこで追及をやめた。
軍人時代、国家が抱える秘密をいくつも見てきた。秘密があること自体を悪だとは思わない。問題は、その秘密を何のために守り、誰へ向けて使うかだった。
港の外では《マリナー》部隊が次々と海へ入っていく。
軍艦も動き始めたが、奇妙なことに、これほどの戦力が集まっているのに攻撃態勢へ移った様子はない。何かと戦うというより、何かを見張り、外へ出さないようにしている。
「提督自らここにいる理由は?」
「部下だけ送って自分は安全な部屋で地図を見るのが嫌いなんだ」
カシウスはあっさり答えた。
「英雄らしいな」
「その呼び方は好きじゃない」
意外な答えだった。
カイが見る。
カシウスは海から目を離さない。
「大戦中に本土へ敵艦隊を近づけなかった。それで《蒼海の盾》だと。実際は、沈められた船も、守れなかった島もある」
「英雄なんて大体そんなもんだ」
「君も嫌いなのか」
「肩書に問題を解決させようとする連中がな」
カシウスが少し笑った。
「それなら気が合うかもしれん」
沖で再び青白い光が瞬いた。
今度は海面が大きく隆起し、その周囲へ円形の波が広がる。
港の誰もが一瞬作業を止めた。
しかしカシウスはすぐ声を上げた。
「仕事へ戻れ! この港は避難港でもある。海を眺めて船が直るなら好きなだけ見ていろ!」
兵士も船員も動き出す。
カイはその姿を見ていた。
英雄と呼ばれる人間を無条件に信用する気はない。軍の提督というだけなら、なおさらだった。
それでも、目の前の男が危険から離れず、民間船を先に逃がし、自分の部下へ必要以上の犠牲を求めないことくらいは見れば分かる。
「カイ」
シアが袖を引く。
「腹減った」
「緊張感がないな、お前は」
「いっぱい使った」
振動感知で海底まで探ろうとしたせいだろう。
カシウスが聞いて笑った。
「魚ならこの港には余るほどある」
「提督」
カイは少し睨む。
「これ以上餌付けすると、あんたを見つけるたび飯を要求するぞ」
「海軍の予算で落とせるか確認しておこう」
「税金を何だと思ってる」
今度はカシウスが声を上げて笑った。
その日の午後、封鎖区域はさらに広がり、カイたちが予定していた航路は数日以上使えないことが確定した。
港湾掲示所には大量の仕事変更と輸送依頼が張り出される。
海路が止まれば、物資は陸へ回される。
カイにとっては予定変更にすぎなかった。
しかし、沖合で何が起きているのか分からないまま、軍があれほど迅速に動けることだけは頭へ残った。
海洋国家には、他国へ知られていない何かがある。
それが兵器なのか、生物なのか、あるいは古代文明の遺産なのかは分からない。
カイは知りたいとは思ったものの、だからといって自分から国家機密へ首を突っ込むほど暇でもなかった。
旅を続けるには、まず次の仕事を探さなければならない。
その現実的な問題の方が、今のカイには海底の秘密よりずっと重要だった。




