傭兵の戦い
翌朝、カイの嫌な予感は、予想していたものとは少し違う形で当たった。
もっとも、朝起きた時点では何も起きていなかった。
昨夜見えた青白い光について宿場で騒ぎになった様子もなく、夜の間に警備隊が駆け込んできたわけでもない。宿の主人に聞いてみても、「たまに旧戦線の方で魔力光が見えることはある」と言われただけで、それが珍しいことなのか危険なことなのかすら分からなかった。
戦争が終わって間もない地域では、放棄された魔導設備や処理されていない兵器が突然動くこともあるらしい。それを聞いた商人は、あっさり興味を失った。
「なら問題ないだろう。今日は予定通り進むぞ」
問題がないと判断した根拠が、かなり雑な気もしたが、カイは何も言わなかった。そもそも自分にも、それが何なのか分かっているわけではない。ただの旧軍設備かもしれない。
誰かが大規模な魔法を使っただけかもしれない。あるいは、まったく別の何かかもしれない。
分からないものを気にしていても仕方がない。今回の依頼は輸送隊の護衛であって、光の正体を調べることではない。
それに昨日から余計なことへ首を突っ込む場面が少し多い気がする。パン泥棒の子供に金を使っただけでも、今回の報酬の一部が消えた。これ以上面倒事を増やしては、何のために仕事をしているのか分からなくなる。
そう考えたカイは、宿を出る前に装備を確認した。魔力の状態も悪くない。体調も普通。
「今日は何も起きるなよ」
誰に言うでもなく呟いたところで、昨日から何度も話しかけてくる若い護衛が横から顔を出した。
「そういうこと言うと起きるぞ」
「聞いてたのか」
「聞こえた」
「忘れろ」
「無理だな。傭兵が出発前に『何も起きるな』って言ってるの、普通に不安なんだけど」
「なら祈ってろ」
「神様に?」
「好きなものに」
「元軍人ってもっと頼もしいと思ってた」
カイは若者を見る。
「俺は頼もしいなんて言った覚えはない」
「確かに」
妙に納得されると、それはそれで腹が立つ。
ほどなくして輸送隊は宿場を離れた。今日の道は昨日までより人通りが少なかった。
街道そのものは整備されているが、周囲には戦争で放棄された集落が点在し、ところどころに壊れた塀や崩れた建物が残っている。右手には低い丘陵が続き、さらに先へ進めば、道が少し狭くなる。
カイは歩きながら周囲を見た。昨日までと同じように見える。ただ妙に静かだった。
カイは足を止めなかった。視線だけを動かす。鳥が少ない。まったくいないわけではない。
だが前方の林だけ、妙に静かだ。それだけなら偶然かもしれない。次に地面を見る。街道脇。草が何本か折れている。
「おい」
カイが小さく声をかける。
隣を歩いていた若い護衛が振り向いた。
「何だ?」
「前を見るな」
「え?」
「そのまま歩け」
若者の顔から笑みが消える。
こういう時のカイの声が冗談ではないことくらいは、二日一緒に歩けば分かるらしい。
「何かいるのか?」
「分からない」
「分からないのに?」
「だから確認する」
カイは視線を前へ向けたまま続ける。
「左の林。三十歩くらい先」
若者は顔を動かさず、目だけをわずかに向けた。
「……何も見えない」
「見えないようにしてるんだろ」
「盗賊?」
「だと楽だな」
「楽?」
カイは答えなかった。
ただの盗賊なら目的は分かりやすい。目的が分かれば、対処も考えやすい。
一番面倒なのは、目的が分からない相手だった。
カイは歩きながら荷車の位置を確認する。六台。前に二人。中央に三人。後方に自分を含めて数人。御者と商人。護衛の数は十分とは言えない。襲う側がこちらの人数を把握しているなら仕掛ける場所としては悪くない。前方で道が狭くなる。右は緩い斜面。左は林。退路は広い。逃げるなら後ろ。
「…後ろもいるな」
カイが呟く。
「え?」
「振り返るな」
「今度は何だよ」
「さっきから同じ距離を保ってる奴がいる」
若者が息を呑む。
「いつから?」
「宿を出て少ししてから」
「何で早く言わなかった!」
「ただの旅人かもしれなかった」
「今は?」
「違うと思う」
若者は少し青ざめた。
「どうする?」
カイは前を見る。このまま進めば、おそらく仕掛けてくる。引き返しても後方の人間が動く。
まだこちらが気づいていないと思わせたまま、先に位置を変える。
「商人に言え」
「何て?」
「次の曲がりで荷車を止めろ」
「理由は?」
「馬の調子が悪いとでも言え」
「俺が?」
「俺が言ったら警戒される」
「分かった」
若者は自然な足取りで前へ進み、商人へ近づいていった。
カイは少し歩調を落とす。その間にも周囲を見る。
林。一人。二人。いや。もっといる。枝の揺れ。影。反射。銃身。少なくとも五人。右手の丘にも何か動いた。挟むつもりか。
「…思ったより多いな」
小さく呟いた。予定通り、前方の曲がり角で輸送隊が止まった。
「何だ?」
商人が不機嫌そうに声を上げる。若い護衛が馬の脚を確認するふりをしている。
「少し様子を見ます。変な歩き方をしてる気がして」
「今朝は問題なかっただろう」
「今、気づいたんです」
商人は露骨に嫌そうな顔をした。
「時間がないんだが」
「馬が潰れたらもっと遅れる」
カイが言った。
「またお前か」
「今日は俺じゃない」
「十分口を出している」
商人が文句を言っている間に、護衛たちも自然と荷車周辺へ集まってきた。
カイはそれを確認すると、近くにいた元兵士の護衛へ近づく。昨日、カイが王国軍にいたことを見抜いた男だ。
「気づいてるか」
男は表情を変えなかった。
「左に六。右に三。後ろは二だと思う」
カイは少しだけ男を見る。自分より先に数えていたらしい。
「やるな」
「元兵隊だからな」
「聞いた」
「覚えてたか」
「名前は覚えてない」
「まだ名乗ってない」
「なら問題ない」
男が小さく笑う。
「どうする?」
「荷が目的なら出てくる」
「違ったら?」
「その時考える」
「随分適当だな」
「情報がないのに立派な作戦を作る方が危ない」
男はそれに納得したようだった。
「後ろは俺が見る」
「任せた」
カイは外套の下で銃の位置を確認した。
次の瞬間。乾いた音が響いた。銃声。同時に先頭の荷車の横にある地面が弾けた。
馬が驚いて鳴き声を上げる。
「伏せろ!」
カイが叫んだ。今度は左右から銃声。弾丸が荷車の木板へ食い込む。御者が悲鳴を上げる。
「襲撃だ!」
護衛たちが武器を抜いた。
「荷車の陰へ!」
カイは叫びながら若い護衛の肩を掴み、無理やり地面へ引き倒した。その直後、さっきまで若者の頭があった場所を弾丸が通過する。
「うわっ!」
「死にたいなら立ってろ!」
「いや、今のは助かった! ありがとう!」
「礼は後でいい!」
カイは銃を抜き、荷車の車輪の陰から林を見る。敵が二人、位置を変えようとしている。
撃つ。一発。外した。正確には外したのではなく、相手が頭を引っ込めた。それでいい。
倒す必要はない。動きを止める。次の一発を別の木へ撃つ。その間に。
「一台目と二台目を寄せろ!」
カイが叫ぶ。
「何?」
御者が混乱する。
「間を塞げ! 射線を切る!」
理解した護衛が馬を引く。荷車が斜めに動き、簡易的な壁ができた。
「負傷者は?」
「まだいない!」
「ならそのまま頭を下げろ!」
右手の斜面から男が三人下りてくる。
剣。短銃。一人は弓。
「右!」
誰かが叫ぶ。護衛二人が対応する。カイは林を見る。こちらを撃っている連中の目的は注意を左へ集めること。右側が本命。
「右に寄りすぎるな!」
カイが叫んだ。
「林から来る!」
言った直後左の林から四人が飛び出してきた。荷車へ向かって走る。荷を奪うつもりだ。
なら話は簡単。少なくとも、全員を殺す必要はない。カイは銃を構え撃つ。男が倒れる。
二人目がこちらへ銃を向ける。カイは身体をずらした。
銃声。
弾が荷車へ当たる。カイは息を吸う。魔力を流す。風が動いた。派手なものではない。
突風で人間を吹き飛ばすような大魔法でもない。ほんのわずか敵の銃口がずれる程度の風。
それだけで十分だった。二発目が外れる。カイは距離を詰める。
「は?」
相手が反応するより早く。身体強化。筋肉と魔力を噛み合わせる。
一気に踏み込んだ。銃を持つ敵の手首を蹴り上げる。銃が宙を舞う。そのままカイは自分の銃を腰へ戻し、剣を抜いた。敵が短剣を出す。遅い。刃と刃がぶつかる。金属音。相手の力は強い。
だが重心が高い。
カイは正面から押し合わず、剣を滑らせるように外した。身体が前へ流れた敵の腹へ、膝を叩き込む。
「ぐっ…!」
倒れかける。
剣の柄で側頭部。男が地面へ崩れた。殺してはいない。その必要がない。
次。
横から斬りかかってくる。カイは半歩下がる。剣が外套を掠めた。速い。少し驚いた。相手も素人ではない。
「傭兵か?」
カイが聞く。
「死ね!」
「会話は苦手らしいな」
剣を受け流す。相手の足を見る。踏み込み時右へ出る。なら、三度目は予想通り右脚が前。
カイは身体を捻り、相手の剣を外へ流し空いた胴を蹴る。
そこへ足元だけに風を呼び、相手の身体がさらに傾き、完全に転ぶ。カイは剣先を喉元へ突きつけた。
「動くな」
男が歯を食いしばる。
「殺せ」
「嫌だ」
「何?」
「面倒だから寝てろ」
剣の柄を額へ叩き込む。
男は気を失った。
「カイ!」
声。振り返る。若い護衛。背後から敵が近づいている。
「前を見ろ!」
「え?」
「お前の前!」
若者が慌てて振り向く。遅い。敵の剣が振り下ろされる。カイは地面を蹴ると同時に銃を抜き、敵の肩を撃つ。敵の肩が弾け、剣が落ちる。
若い護衛が呆然とする。
「何してる!」
カイが怒鳴る。
「戦ってる時に他人を見るな!」
「いや、あんたが」
「後!」
「また!?」
若者が振り返り、今度は自分で剣を受けた。
「そう、それでいい!」
「教官かよ!」
「知らん!」
戦場が動き始めていた。最初は不意打ちを受けた護衛側だったが、荷車を盾にしたことで態勢を立て直している。襲撃者は十人を超えている。こちらより多い。
しかし、連携が悪い。左右から挟んではいるが、指揮が統一されていない。おそらく急造の集団。元兵士、傭兵崩れ、そういった連中が混じっている。だったら、崩す場所は一つ。
「中央の三人!」
カイが声を上げる。元兵士の護衛がこちらを見る。すぐに意味を理解した。敵の中心。少し離れた位置から指示を出している男。指揮役。
「行くぞ!」
元兵士が二人の護衛を連れて動く。その動きを見た襲撃者たちが混乱する。カイは銃で林側を牽制。
敵の頭を下げさせる。そこへ護衛側が前へ出る。攻守が変わった。
「何であいつらが出てくる!」
襲撃者の一人が叫ぶ。
「荷を取れ!」
別の声。
「退け!」
さらに別の声。
やはり指示がバラバラだ。カイはその声を聞きながら、一人を剣で牽制し、もう一人の足元へ銃弾を撃ち込んだ。狙って殺す。それが一番簡単だ。だが、簡単だからといって毎回そうする必要はない。
逃げるなら逃げさせればいい。目的は輸送隊を守ること。盗賊を全滅させることではない。
やがて、敵の指揮役らしい男が、元兵士の護衛に倒された。その瞬間、襲撃者側の動きが完全に乱れた。
「退け!」
誰かが叫ぶ。一人が林へ戻る。それを見て、残りも次々と逃げ始めた。
「追うぞ!」
護衛の一人が叫ぶ。
「追うな!」
カイが止めた。
「でも!」
「森の中に何人いるか分からない!」
「逃がすのか!」
「護衛の仕事は荷物を守ることだろ!」
その言葉で、男は止まった。カイは林を見る。逃げる影。少なくとも五人。
追えば何人かは捕まえられるかもしれない。
だが、その間に別働隊が戻ってきたら、荷車が襲われる。
「負傷者を確認しろ!」
カイが声を上げた。
戦闘が終わったと理解した人間たちが、ようやく周囲を見る余裕を取り戻す。
幸い、護衛側に死者はいなかった。腕を切られた者が一人。銃弾が脚を掠めた者が一人。御者が一人、倒れた拍子に肩を痛めている。
襲撃者側には重傷者が数名。気絶している者もいる。
商人は荷物を確認していた。
「盗られた物は?」
「ありません!」
御者が答える。商人は明らかに安心した顔をした。次に壊れた荷車を見る。
弾痕。割れた木板。馬の一頭が軽い傷を負っている。
「修理代が…」
カイはその言葉を聞いて少し呆れた。
人が死ななかったことより先に、そちらを気にするあたりは実に商人らしい。嫌いではない。分かりやすい。
「カイ」
若い護衛が近づいてきた。
「何だ」
「…すごいな」
「何が」
「あんたの戦い方」
若者の頬には小さな切り傷がある。それ以外は無事らしい。
「別に」
「別にって」
若者はカイの剣を見る。次に銃。
「銃使ったと思ったら、次は剣で、魔法まで使ってただろ」
「使えるものを使っただけだ」
「普通、どれか一つじゃないのか?」
「そんな決まりがあるのか」
「いや…ないけど」
カイは剣についた血を布で拭う。血といっても、深く斬った相手はいない。
若者が続ける。
「もっと強い魔法も使えたんじゃないのか?」
カイは顔を上げる。
「使えたとして、何のために使う」
「何のためって、敵を倒すため」
「敵を倒すのが仕事じゃない」
カイは荷車へ視線を向ける。
「これを守るのが仕事だ」
「でも全員倒した方が安全だろ?」
「全員殺すまで戦って、こっちが三人死んだら?」
若者が黙る。
「逃げた奴を追って、別の奴に荷を取られたら?」
「…」
「勝つことと、目的を達成することは同じじゃない」
若者は何か考えているようだった。
「軍人みたいだな」
「元だ」
「あ」
カイはため息をついた。今日は随分、自分から認めてしまう。
まあ、今さら隠しても遅い。戦闘を見られた。それだけで十分だ。
「おい、カイ!」
昨日からカイの過去を察していた元兵士の護衛が呼ぶ。
「少しいいか」
「何だ」
男は地面に座らせた襲撃者を指した。気絶していた一人が目を覚ましている。
「こいつ、少し話せるらしい」
カイが近づく。襲撃者は二十代後半くらいの男だった。装備は寄せ集め。軍用品も混じっている。
「所属は?」
元兵士が聞く。男は答えない。
「盗賊か?」
沈黙。
カイはしゃがんだ。
「別に喋らなくてもいい」
男がカイを見る。
「……何だと」
「警備隊に渡すだけだから」
「なら聞くな」
「聞いてるのは俺じゃない」
元兵士の護衛が苦笑する。
「お前、尋問に向いてないな」
「やりたくない」
カイは襲撃者の装備を見る。王国製。帝国製。民間品。いろいろ混じっている。軍の正式部隊ではない。
少なくとも、そう見える。
男が吐き捨てるように言った。
「仕事がなかっただけだ」
周囲が静かになる。
「軍がなくなって、帰ってみたら家もねえ。畑も焼けてる。金もねえ」
男は笑った。
「だから荷を奪った。それだけだ」
若い護衛が険しい顔をする。
「だからって人を撃っていいのか」
「お前は飯があるから言える」
「何だと」
「やめろ」
カイが止めた。若者が振り向く。
「でも」
「こいつが可哀想だから無罪になるわけじゃない」
襲撃者を見る。
「それと、事情がないわけじゃないのも別だ」
男がカイを見た。
「説教か」
「俺が?」
カイは鼻で笑った。
「そんな立派な人間に見えるか」
襲撃者は黙った。
「警備隊に渡す。それで終わりだ」
「殺さないのか」
「殺してほしいのか?」
「…」
「なら黙ってろ」
カイは立ち上がった。戦争が終われば、兵士が余る。昨日、検問所で商人に言った言葉。
武器も余る、仕事もなくなる。そして、こうなる。理屈では分かっていた。目の前で見ると、特に驚きもしない。
「英雄様なら、俺たちも救ってくれたかね」
背後から襲撃者の男が言った。カイの足が止まる。
「何?」
「戦争中は散々聞かされたよ。王国の英雄だ、帝国の英雄だ、連邦の英雄だって」
男が笑う。
「戦争が終わったら、俺たちのことなんか誰も覚えてねえ」
カイは振り返らなかった。
「英雄に頼むな」
「……何?」
「国がやることだ」
男は答えなかった。
カイは続ける。
「兵士を戦わせたなら、その後の面倒を見るのも国の仕事だろ。何でも英雄に押しつけるな」
「国がやらねえからこうなってる」
「なら国に文句を言え」
「言って変わるなら苦労しねえ」
「だろうな」
カイは歩き出した。
「だからって、他人の荷を奪っていい理由にもならない」
そこで話は終わった。襲撃の後始末には思った以上に時間がかかった。負傷者の応急処置。荷車の補修。
逃げた襲撃者が戻ってこないか周辺の警戒。結局、予定よりかなり遅れて再出発することになった。
商人は終始機嫌が悪かった。
「今日中に予定地へ着けるのか」
「無理じゃないか」
御者が答える。
「何とかならんのか」
「日が落ちてから、この辺りを走る方が危険です」
商人は不満そうに唸った。カイはその話を聞きながら、壊れた荷車の端へ腰を下ろしていた。若い護衛がまた隣に来る。
「なあ」
「今日はよく来るな」
「暇だから」
「怪我人手伝え」
「もう終わった」
「なら警戒しろ」
「してる」
「喋りながら?」
「口と目は別に動く」
カイはため息をつく。
「何だ」
若者は少しだけ真面目な顔をした。
「さっきさ」
「何だ」
「俺、あんたがいなかったら多分死んでた」
「そうか」
「……もう少し反応ない?」
「生きてるならいいだろ」
「まあ、そうだけど」
若者は頭を掻いた。
「ありがとう」
カイは返事をしなかった。少しして。
「次は自分で避けろ」
と言った。若者が笑う。
「ああ」
その時、遠くから低い音が響いた。地鳴り。誰かが顔を上げる。
「何だ?」
馬が落ち着かなくなる。カイも立ち上がった。音の方向。昨日と同じ、青白い光が見えた丘陵地帯。
ただし、今回は光ではない。地面そのものが震えた。
今度ははっきりと感じる。
「…」
カイの表情が変わる。商人が困惑したように周囲を見る。
「地震か?」
元兵士の護衛が首を振った。
「分からん」
若い護衛がカイを見る。
「また嫌そうな顔してる」
「今日はよく人の顔を見るな」
「だって分かりやすい」
カイは丘の向こうを見た。風が流れてくる。昨日より濃い魔力。今度は気のせいではない。
「……まずいな」
「何が?」
カイは答えなかった。
答えられるほどの情報がない。
ただ、はっきりしたことが一つだけある。昨日の光。今日の光。そして今の地鳴り。
何かが起きている。
しかも、少しずつ大きくなっている。
「今日は近くで泊まるぞ!」
商人が叫んだ。
「日が暮れる前に、どこか安全な場所を探せ!」
誰かが返事をする。輸送隊が再び動き始める。カイは少し遅れて歩き出した。丘の向こうが、妙に気になる。だが、まだ関係ない。少なくとも今のところは。
ところが、街道を進んで半刻ほどした頃。
前方から一人の男が走ってきた。服は泥だらけ。顔にも血がついている。息が切れている。
その男は輸送隊を見つけると、ほとんど転ぶように街道へ飛び出した。
「止まってくれ!」
御者が慌てて手綱を引く。荷車が止まる。男は何度も息を吸いながら叫んだ。
「頼む…!」
カイはその姿を見て、嫌な予感が完全に当たったことを理解した。男は丘陵地帯の方角を指す。
「あっちで事故が起きた!」
商人の顔が引きつる。
「事故?」
「集落が…遺跡の近くの集落が崩れて…!」
男の声が震える。
「まだ人が中にいるんだ!」
誰も答えなかった。男は続ける。
「子供もいる!」
その言葉を聞いた瞬間。カイは、心の中で深くため息をついた。
昨日までは、関係ないと言えた。仕事ではないと言えた。誰も助けを求めていないと言えた。
だが、もう無理だった。目の前で。はっきりと助けを求められてしまった。
「…最悪だ」
小さく呟く。若い護衛が横を見る。
「何が?」
カイは丘陵地帯へ視線を向けた。
「面倒事が、追いついてきた」




