海が見える
翌日の昼過ぎ、応急復旧された迂回路を使って救援列車が動き始めた。破損した元の車両は回収され、乗客たちは別編成へ乗り換えている。死傷者は出たものの、橋梁から落下した二両には最後まで人を残さずに済んだ。襲撃者の一部は共和国側へ拘束され、残りは山間部へ逃走した。取り調べの結果、政治組織ではなく、復興物資と決済用貴金属を狙った武装犯罪集団である可能性が高いらしい。停戦後に失業した元兵士や傭兵も含まれていた。戦争が終わったからといって、そこで身につけた武器の使い方まで消えるわけではない。第一章で街道を襲った兵士崩れを思い出し、カイは少しだけ気分が重くなった。
「戦争ってのは、終わってからも長いな」
隣に座るシアが窓の外から顔を戻す。
「戦争?」
「知らなくていい」
「カイ、いた?」
「いた」
「嫌い?」
「嫌いだ」
シアはそれ以上聞かなかった。人型になってから一晩が経った。今のところ獣形態へ戻る方法は分かっていない。灰銀色の長髪、金色の瞳、小柄な身体という特徴はそのままで、感情が強くなると瞳孔が縦長になり、指先には一瞬だけ爪が現れる。服については停車地の鉄道職員から最低限のものを譲ってもらった。サイズが合っているとは言い難いが、カイの外套一枚よりはまともだった。靴だけは嫌がって履かなかった。
「港に着いたら服と靴だな」
「靴、嫌い」
「裸足で街を歩く方が面倒だ」
「獣、裸足」
「今のお前は獣だと言い張るには外見が難しい」
「シアはシア」
カイは少し黙った。
「それはそうだな」
人型になったから人間になったわけではない。獣の姿だったから獣でしかなかったわけでもない。シア自身が変わったのではなく、姿が増えただけなのかもしれない。今のところ学者に見せれば面倒なことになる未来しか想像できないため、詳しいことを考えるのは後回しにした。それより灰性の反動が気になっている。昨日の夜だけで普段以上の量を食べ、朝になっても空腹を訴えた。さらに床の振動を読む能力も残っている。一時的な適応なのか、身体へ定着したのかは分からない。強くなるたびに空腹も強くなるという王都での説明を思えば、喜んでばかりもいられなかった。列車が平地へ出た。窓の外の景色が徐々に変わる。塩気を含んだ風が換気口から入り始め、遠くに白い鳥が飛んでいる。シアが窓へ顔を近づけた。
「何」
「もうすぐ海だ」
「海?」
「でかい水だ」
「川?」
「川よりずっとでかい」
「湖?」
「湖よりでかい」
「どれくらい」
「面倒だな。見れば分かる」
しばらくして、丘陵の向こうに青い水平線が現れた。シアの動きが止まる。見える範囲すべてに水面が広がっている。金色の目を大きく開き、窓へ両手をついた。
「でかい」
「だから言っただろ」
「いっぱい」
「水は食えないぞ」
シアがカイを見る。
「魚」
「そっちか」
前方の車両から帝国使節団が移動を始める。終点が近いらしい。少ししてアシュレイが客車へ顔を出した。
「ここにいたか」
「何だ」
「我々は港で別の船へ乗る」
「そうか」
「そちらは?」
カイは鉄道会社から受け取った報酬袋を持ち上げる。
「ここまで来たから、海洋国家方面で仕事を探す。船の護衛なら乗船代を払わずに済む」
「合理的だな」
「傭兵だからな」
アシュレイはシアを見る。
「その姿で行くのか」
「戻り方が分からないらしい」
「便利そうだが」
「食費が増えた」
「そこなのか」
「重要だ」
列車が港駅へ入る。巨大な起重機、倉庫、軍艦、商船が見えてきた。海洋国家へ向かう船も何隻か停泊している。アシュレイが席を立つ。
「カイ」
「何だ」
「次は戦場で会わないことを祈ろう」
カイは一瞬だけ笑った。
「次に会ったら酒くらいは奢れ」
「昨日は私が出した」
「軍団司令官の方が金持ってるだろ」
「傭兵は図々しいな」
「今頃知ったか」
アシュレイは帝国使節団へ戻っていった。カイはその背中を見送る。戦時中なら、お互いの名前を知る前に武器を向けていたかもしれない。それが一日同じ列車に乗り、同じ人間を助け、同じ酒を飲んだ。停戦というのは、少なくともそういうことができる程度の意味はあるらしい。シアがカイの袖を引いた。
「魚」
「分かったから待て」
「お腹すいた」
「さっき食っただろ」
「今もすいた」
「人型になる前より悪化してるじゃないか」
列車がゆっくりと停止した。扉が開くと、潮風が車内へ入り込んできた。カイとシアは荷物を持ってホームへ降りる。これから先に何があるかは知らない。海洋国家へ向かう理由も、世界の謎や古代文明を調べるためではなく、単に仕事が多く、次の飯代を稼げそうだからというだけだった。それでも港の沖合では、海洋国家の海軍が数日前から特定海域への民間船進入を秘密裏に制限し始めていた。海底で観測された異常な古代魔力反応が、その理由だった。もちろんカイはそんなことを知らない。
「まず飯。その後で仕事を探す」
「魚」
「分かってる」
シアは人の姿になってから初めて見る海へ視線を向け、その隣をカイが歩いていく。一人と一匹として始まった旅は、いつの間にか並んで歩く二人の旅へ姿を変えていたが、カイにとって重要なのは呼び方ではなかった。獣の姿であろうと人の姿であろうと、シアが自分の意思で隣を歩いているという事実だけは、何も変わっていなかった。




