シア
列車を襲った者たちは、脱線事故の混乱を待っていたらしい。最初の銃声は後方から聞こえた。カイは倒れた乗客を通路脇へ寄せながら、その音を数えた。少なくとも三種類の銃声がある。鉄道警備員が撃っているなら、敵は二種類以上の武器を持っていることになる。
「何人動ける」
アシュレイが帝国兵へ聞く。
「こちらは六名です。使節団側に負傷者二名」
「外交官を第五客車へ移せ。歩ける兵は一般乗客の避難を手伝え」
「閣下の護衛は?」
「私は歩ける」
「しかし――」
「命令だ」
兵士が動く。カイはそのやり取りを聞きながら、潰れた連結部を確認していた。
「そっちは?」
アシュレイが聞く。
「シアが後ろにいる」
「獣系の召喚生命か」
「契約はしてるが、呼び戻せる種類じゃない」
「こちらから後方へは抜けられない」
「分かってる」
連結部の扉は事故で変形し、人一人が横向きに通れる程度しか空いていない。獣形態のシアには無理だ。
「先に乗客を移す」
カイはそう言って立ち上がった。シアが自分で動けることは知っている。今は目の前にいる負傷者を助ける方が先だった。第三客車では座席が外れ、二人が下敷きになっていた。カイとアシュレイが左右から持ち上げる。
「元軍人か」
力を込めながらアシュレイが聞く。
「今聞く話か?」
「普通の傭兵にしては、人の動かし方が慣れすぎている」
「お前も軍団司令官のくせに瓦礫持ってるだろ」
「手が空いていた」
「俺も同じだ」
負傷者を引き出し、鉄道員へ渡す。次の瞬間、窓の外から銃弾が飛び込み、壁へ突き刺さった。乗客が悲鳴を上げる。カイは反射的に床へ伏せた。
「狙撃ではない。牽制だ」
アシュレイが窓から僅かに外を見る。
「敵は貨物車側に回っている」
「目的は荷物か」
「帝国使節団が本命なら前へ来る。おそらく違う」
貨物強盗。停戦直後の混乱に乗じて、高価な復興物資を狙う連中なら珍しくない。ただし線路まで爆破する規模なら、ただの盗賊より準備がいい。アシュレイが右手を窓へ向けた。薄い光が指先から伸び、外の地面を細く走る。一本ではない。光条が斜面、岩、列車、敵の潜伏位置を結ぶように展開し、半透明の地形図が一瞬だけ空中へ浮かんだ。
「便利な魔法だな」
「地形を読むだけだ。敵は倒してくれない」
「十分だろ」
「右斜面に四、後部線路側に六。まだ増える」
「分かるのか」
「地面を踏めば少しは」
カイは別の音へ気づく。列車の床から、小さな一定間隔の振動が伝わっていた。
「何だ、これ」
アシュレイも足元を見る。
「感知装置かもしれない」
「何を?」
「人間の移動だろう。地面の振動を拾って、列車内部の警備員がどこへ動くか見ている」
「随分金をかけた強盗だ」
敵がこちらの移動を予測できるなら、無闇に外へ出る方が危険だ。そう考えたところで、後方の変形した扉から音がした。一度。二度。何かが金属へぶつかっている。
「シア?」
カイが呼ぶ。返事はない。再び音がする。扉の隙間に灰銀色の毛が見えた。
「無理だ。そこは通れない」
声が届いたかどうかは分からない。向こう側でシアが身体を押し込もうとしている。肩が引っかかり、入れない。
「別の道を探せ!」
カイが叫ぶ。それでもシアは離れなかった。隙間から金色の瞳が見える。カイの脇腹から落ちた血の匂いを嗅いだのかもしれない。
「俺は大丈夫だ」
返事はない。扉向こうで、白銀色の光が浮かんだ。カイの表情が変わる。遺跡で何度も見た。灰性が活性化する時の紋様だった。
「シア、やめろ」
何かを食べた形跡はない。それでも光は強くなっていく。獣の輪郭が不自然に揺らいだ。
「何が起きている」
アシュレイが聞く。
「分からん」
「契約獣だろう」
「だからって全部知ってるわけじゃない」
骨が折れるような音ではなかった。むしろ身体そのものが別の比率へ組み直されているような、低い魔力振動が扉の向こうから伝わってくる。シアの肩が細くなる。四足で支えていた身体が徐々に持ち上がる。灰銀色の毛が消えていくのではなく、皮膚の内側へ溶け込むように薄くなり、その一部が長い髪へ変わった。前脚だったものが細い腕になり、爪が短くなる。身体全体が縮み、狭い隙間へ通せる幅へ変化していった。数秒後。扉の向こうから、一人の少女が這い出してきた。十五歳ほどに見える。小柄で華奢な身体に灰銀色の長い髪がまとわりつき、金色の瞳だけが獣だった時とまったく変わっていない。衣服など持っているはずもなく、身体の一部は灰銀色の毛と魔力膜が最低限を覆うような状態になっていた。少女は四つん這いに近い姿勢で床へ手をつき、顔を上げた。カイを見る。そのまま近づいてくる。カイは剣へ手をかけることすら忘れていた。
「……誰だ」
少女が止まった。首を傾げる。
「シア」
聞き慣れない、少し掠れた声だった。
「……は?」
「シア」
カイは数秒考えた。金色の目を見る。匂いを確かめるように鼻を動かす癖を見る。何より契約経路の先にある感覚は、間違いなくシアだった。
「お前、喋れるのか?」
「カイ」
「そこじゃない」
シアはカイの脇腹へ顔を近づけた。血の匂いを嗅ぎ、眉を寄せる。
「血」
「擦っただけだ」
「痛い?」
カイは再び黙った。単語が増えている。アシュレイが横で少女とカイを交互に見る。
「説明してもらえるか」
「俺が一番説明してほしい」
シアは床から立とうとした。足が震え、そのままカイへ倒れ込む。カイが受け止める。身体は軽かった。
「立てないのか」
「……変」
「それはこっちの台詞だ」
シアは自分の手を見る。指を一本ずつ動かし、次に足を見る。初めて使う身体へ本人も戸惑っているらしい。その時、床から再び振動が伝わった。シアの瞳が鋭くなる。
「来る」
「何が」
シアが後方を指す。
「六」
カイとアシュレイが顔を見合わせた。敵の人数と一致する。
「分かるのか?」
シアは床へ裸足をつける。
「揺れる。人、来る」
アシュレイの表情が変わった。
「奴らの感知装置と同じ性質を拾っている?」
カイには理由が分からない。灰性は捕食した物質や生命へ適応する能力だと思っていた。しかしシアは何も食べていない。必要だから身体を変えた。カイのいる客車へ入るため、狭い通路を通れる姿になった。そして周囲を満たしている敵の振動感知へ身体を合わせた。
「戦うな」
カイが言う。シアが不満そうに見る。
「今変わったばかりだ。何が起きるか分からない」
「カイ、戦う」
「俺は仕事だ」
「シアも」
「契約で言えば、お前も仕事ではあるが」
そこで反論が止まった。アシュレイが笑う。
「負けたな」
「うるさい」
シアはまだ不安定な足取りで立ち上がった。カイの外套を脱いで肩から掛ける。
「これ着てろ」
シアが袖を嗅ぐ。
「食うなよ」
「食べない」
「そこまで言えるなら十分だ」
前方から銃声が近づいてくる。カイは剣を抜いた。アシュレイも立ち上がる。その横で、初めて人の姿を取ったシアが、まだ慣れない二本の脚で床を踏みしめた。一人と一匹だった旅は、この瞬間だけ見れば、一人と一人になっていた。ただしカイには、その変化を喜ぶ余裕はまだなかった。




