同じ場所を見る男
長距離列車の警備は、何も起きなければひどく退屈な仕事だった。カイは食事を終えると第三客車から第七客車までを巡回し、乗降扉、非常装置、荷物棚、連結部を確認して回った。乗客の喧嘩を一度止め、酔った商人を席へ戻し、走り回っていた子供に危ないから座るよう注意したところで、一時間が過ぎた。軍にいた頃は、一日中何も起きない警戒任務を退屈だと思っていた。今は何も起きない方がありがたい。給料をもらい、終点で降りればいい。第七客車まで来たところで、後部貨物車両へ続く扉を開ける。シアは貨物の間に伏せていた。
「何かあったか?」
立ち上がってカイのところへ来る。血の匂いもなく、荷物も荒らされていない。
「何もなしか」
カイが首のあたりを軽く撫でると、シアが荷物袋へ鼻を近づけた。
「そっちは食い物じゃない」
さらに別の箱へ移る。
「それも違う」
三つ目でようやく保存食の箱へ辿り着いた。
「それは合ってるが駄目だ」
シアが不満そうに顔を上げる。
「仕事が終わったら食わせる」
最近は、この程度の話ならある程度意味が通じるようになった。列車の揺れに合わせてシアの耳が小さく動いている。
「列車は嫌いじゃないらしいな」
シアは床へ鼻を近づけた。車輪から伝わる一定の振動を面白がっているようにも見える。
その時、耳が急に立った。シアが後方を見る。
「どうした」
低く唸る。カイも耳を澄ませたが、通常の走行音以外は聞こえない。貨物車両を出て鉄道員に尋ねる。
「今、この区間で何か作業してるか?」
「保線作業ですか?」
「そうだ」
「この先で二班入っています。戦時中に傷んだ支持構造の補修ですね」
「線路沿いか?」
「はい」
カイは窓の外を見た。列車は山の斜面を縫うように進んでいる。前方には保線用の小さな監視塔が見えるはずだったが、一つ目の塔には誰もいなかった。
「勤務時間は?」
「今ならいるはずです」
「通信は?」
鉄道員が端末を確認する。少しして表情が変わった。
「第三監視所から応答がありません」
「いつから?」
「定時通信が一回欠けています。ただ、古い設備ですから珍しくはありません」
「保線班は?」
「そちらは……」
端末を操作する。
「一班目から応答なしです」
一つなら故障かもしれない。二つ同時なら偶然かもしれない。軍にいた頃、偶然を三つ待ってから動いた部隊は大抵損をした。
「警備主任に伝えろ。警戒を一段上げた方がいい」
「襲撃だと?」
「分からないから警戒するんだ」
鉄道員が走っていった。カイはそのまま客車へ戻る。途中の連結部で、向こうからアシュレイが歩いてきた。一人だった。
「どうした」
向こうから聞かれた。
「何が」
「食堂で会った時より周りを見ている」
カイは少し考えた。帝国使節団の護衛責任者なら、伝えておいた方が面倒が少ない。
「監視所と保線班が一つずつ連絡不通だ」
アシュレイの表情から笑みが消えた。
「同時に?」
「ああ」
「場所は?」
カイが前方を指す。
「山岳区間に入ってからだ」
アシュレイは窓へ近づいた。
「私も一つ気になっていた」
「何だ」
「線路脇の鳥が少ない」
カイも窓を見る。確かにいない。大型列車が通れば近くの鳥が逃げること自体はおかしくない。しかし少し離れた木々にもほとんど姿がない。
「何かを設置する時に追い払ったか」
「あるいは、先に大きな音を出した」
アシュレイが答える。カイは男を見る。
「嫌な見方するな」
「そちらも同じ顔をしている」
「俺は元だ」
「習慣までは退役できないらしい」
二人は同時に進行方向へ目を向けた。山肌に僅かな人工光が見えた。一度消え、少し離れた場所でまた光る。カイは知っている。大戦中、遠隔起爆に使われていた魔導信号とよく似ていた。
「伏せろ!」
声を上げた瞬間、窓の外で山が爆発した。土砂が線路へ流れ込み、列車全体に非常制動がかかる。床が大きく傾いた。乗客の悲鳴と金属音が重なる。カイは座席へ手を伸ばして身体を支えたが、次の瞬間、前方車両からさらに強い衝撃が伝わってきた。身体が宙へ浮く。肩から壁へ叩きつけられ、視界が一瞬白くなった。誰かが何かを叫んでいる。それでもカイは立とうとした。仕事中だった。この列車で金を受け取っている以上、倒れている場合ではない。一歩踏み出したところで床がもう一度揺れ、今度は崩れた荷物棚が頭上から落ちてきた。避けるには遅かった。横からアシュレイに突き飛ばされる。金属製の棚が二人の間へ落ちた。
「生きているか」
向こう側から声がする。
「多分な」
「なら立て」
「命令するな」
カイは立ち上がりながら、自分の脇腹に痛みがあることへ気づいた。折れてはいない。だが動けば痛む。それよりも、後方の貨物車両にシアがいる。カイは連結部を見る。脱線した車両が大きく歪み、後方へ続く通路が潰れていた。
「シア」
呼んでも聞こえる距離ではない。
その頃、後部貨物車両では、灰銀色の獣が崩れた荷物の間から立ち上がっていた。列車の揺れは止まった。しかし床から伝わる振動は消えていない。通常の車輪とは違う、不規則な細かな震えが線路の外から近づいてきている。敵がいた。それ以上に、別の匂いがする。カイの血だった。シアは前方へ走った。一つ目の扉は開いた。二つ目は歪んで半分しか開いていない。身体を押し込もうとしたが肩が通らない。反対側から煙と血の匂いが強くなる。カイは向こうにいる。シアは何度も扉へ身体をぶつけた。開かない。灰銀色の毛の下に、白い紋様が浮かび始めた。




