客車に向かない
メルカディア商業共和国の中央駅に着いた時、カイは自分が乗る列車を見上げて、昨日この仕事を引き受けた判断を少しだけ後悔した。十両を超える長距離国際列車は、共和国中央部から西方の国際港まで走り、そこからネレイア海洋国家方面へ向かう船舶航路へ接続している。停戦によって軍用輸送が減った代わりに、戦時中に止まっていた旅客と商業物流が一気に戻ったため、ホームには乗客だけでなく大量の貨物が積み上げられていた。復興用医薬品、魔導部品、加工金属、食料、貿易決済用の貴金属まで含まれているらしく、それだけなら列車強盗が狙う理由として十分だった。
さらに停戦直後の現在は、旧交戦国の外交使節や軍関係者を狙った報復事件も起きている。通常の鉄道警備員だけでは足りないため、鉄道会社は傭兵を臨時警備補助として雇っていた。カイが仕事を受けた理由は、報酬が良かったからである。王国を出てから、シアの食費、宿泊費、治療費、移動費が想定以上に財布を圧迫していた。商業共和国で余計な騒動へ巻き込まれたこともあり、しばらくこの国へ留まる理由もない。終点の国際港まで行けば、船舶護衛や海獣討伐、島嶼間輸送など傭兵向けの仕事が豊富だと聞いているため、次の仕事を探す場所としても都合がよかった。古代遺跡を探すつもりなどなかった。世界の真実にも興味はない。今のところ必要なのは、シアに食わせても自分が野宿しなくて済む程度の金だった。
「カイ・レイヴァンですね」
鉄道会社の警備主任が帳簿を確認した。五十歳ほどの大柄な男で、制服の下に薄い防護装備を着ている。
「契約内容は、第三から第七客車を中心とした巡回、有事の際の乗客避難、必要に応じた襲撃者への対応です。ただし、敵の追撃より乗客保護を優先してください」
「分かってる」
「同行戦力についても確認します。獣系召喚生命、シア」
主任がカイの隣を見る。そこでは灰銀色の獣が、大量の荷物より駅構内の売店から漂ってくる肉の匂いを気にしていた。
「アルセリア王国の暫定登録、共和国での契約状態確認も済んでいます。今回は警備契約ですから、召喚生命であることと能力の申告が必要になりますが、書類上の問題はありません」
「昨日全部書いた」
「それなら結構です。ただ、一つ問題があります」
「何だ」
主任がシアを見る。
「その姿では客車巡回には向きません」
それにはカイも反論できなかった。シアは狼と大型猫科を混ぜたような体格をしており、四足で歩けば廊下を通れないほどではないものの、乗客で混雑した狭い客車を巡回するには明らかに邪魔になる。
「貨物区画と後部警備車を中心に配置します。嗅覚と聴覚が優れているなら、貨物への不審者接近を感知する役目にも向いているでしょう」
「本人が理解すればな」
主任は一瞬だけ眉を動かした。
「警備契約ですよ」
「だから、やることは教える」
カイはシアの前へしゃがみ、貨物車両を指した。
「シア。今日はあっちを見てろ。知らない奴が荷物を触ろうとしたら俺を呼べ。ただし噛むな」
シアの耳が動く。
「分かったか?」
灰銀色の獣はカイを見た後、貨物車両の方へ歩き始めた。警備主任がその背中を見る。
「通じているように見えますが」
「食べるな、噛むな、待て、来い。その辺りは随分覚えた」
「十分では?」
「本人が覚えたいことしか覚えない」
警備主任から識別章を受け取り、カイは担当車両の確認へ向かった。出発前のホームには、共和国人だけでなく様々な国籍・種族の乗客がいる。帰還兵らしい男、商人、戦争で離れていた家族、海洋国家へ向かう海棲人、人工生命らしい女性が同じ列車を待っている。カイが編成を確認していると、前方のホームに共和国軍の警備員が増えた。
「何だ」
近くの鉄道員へ聞く。
「帝国の外交使節団ですよ。停戦後経済協議を終えて、途中まで同じ列車に乗るそうです」
「聞いてないぞ」
「一般警備には直前まで伏せられていましたから」
ヴァルグラード帝国。少し前まで大戦の中心にいた国家の名前を聞くだけで、周囲の乗客にも僅かな緊張が走る。カイは帝国そのものに個人的な恨みを持っているわけではない。しかし元王国軍人として、帝国軍と向き合った経験ならいくらでもあった。使節団がホームへ現れた。外交官らしい者の周囲を軍人が固めている。その中で、カイは一人の男へ自然に目を止めた。三十歳前後の人間の男だった。使節団の中では若い方だが、周囲の兵士が無意識に男の動きへ合わせている。装飾を抑えた軍装を着ており、歩きながら乗客ではなく出口、屋根、列車下部、警備配置を順番に見ていた。カイと目が合った。男の視線がカイの警備章から剣、銃へ動き、最後に貨物車両の前へ座っているシアへ向かった。互いに何も言わない。先に列車へ乗ったのは帝国の男だった。カイも客車へ入る。仕事さえ終われば、帝国人が何人乗っていようと関係はない。そう考えていたが、列車が動き出して一時間後、食堂車で空いている席を探したカイは、朝ホームで見た男の向かいしか席が残っていないことに気づいた。男もこちらを見た。
「座るか?」
「他が空くまで立ってる」
「そこまで帝国人が嫌いか」
「面倒な軍人と飯を食いたくないだけだ」
男の口元に小さな笑みが浮かんだ。カイは少し迷った後、結局椅子を引いた。立ったまま食事をするほど意地を張る理由もない。
「カイ・レイヴァン」
「聞いていないが」
「名乗らず相席する方が気持ち悪いだろ」
「アシュレイ・ヴェルガ」
カイの手が僅かに止まった。その名前なら知っていた。ヴァルグラード帝国の若い軍団司令官であり、大戦中にいくつもの戦線を任された男である。
「随分偉い奴が普通に食堂車へ来るんだな」
「腹が減れば階級に関係なく食べる」
「部下に持ってこさせればいい」
「それをやると一人で食べることになる」
「部下に嫌われてるのか」
「逆だ。必要以上についてくる」
アシュレイはそう言って水を飲んだ。カイは自分の皿へ手を伸ばしながら、少しだけこの男への印象を修正した。少なくとも肩書を前面へ出す種類ではないらしい。列車はまだ長い。仕事が終わるまで、もう顔を合わせない可能性もある。その時のカイはそう考えていた。窓の外では、列車が山岳地帯へ入り始めていた。




