均衡を買う国
共和国中央都市へ到着した翌日、カイは外務院から二度目の面談通知を受け取った。国境で安全保障評議員と話した以上、まだ何を聞くのかと思ったが、通知には事情聴取ではなく、今回の照会について共和国政府の立場を説明したいと記されていた。
「説明しなくても大体分かったんだが」
宿の受付で封書を読んでいると、シアが机の上へ置かれた菓子へ鼻を近づける。
「お前のじゃない」
シアは一度カイを見た後、もう一度菓子を見る。受付の女性が笑いながら一つ差し出した。
「食べても大丈夫ですよ」
「甘い物は食わせたことない」
「ではやめておきます」
シアは菓子が戻される様子を残念そうに見ていた。外務院は中央市場から歩いて十分ほどの場所にあった。王国の中央庁舎のように威圧的な石造建築ではなく、周囲に並ぶ商会本店や銀行と似た外観をしており、入口を間違えれば金融会社へ入ってしまいそうだった。会議室で待っていたヴィットリオ・メルクは、共和国執政官という肩書からカイが想像していた人物より地味だった。装飾の少ない服を着て、護衛も部屋の外へ置いている。
「カイ・レイヴァン。お会いできて光栄です」
「俺は別に」
「率直で助かります」
ヴィットリオはシア用らしい焼いた肉を机の端へ置いた。
「食わせても?」
「変な物が入ってないなら」
「外交相手へ毒を盛るほど、我が国は食料に困っていません」
カイが許可するとシアは肉へ近づいた。
「それで、執政官がわざわざ何の話だ」
「我が国がなぜ今回の照会を重く見ているのか、オルフェンから安全保障面の説明は聞いたと思います」
「ああ。一国だけが原界への扉を持つと面倒だって話だろ」
「大まかにはそうです。ただ、私がより問題だと考えているのは、その先です」
ヴィットリオは一枚の交易図を広げた。そこには共和国を中心として、王国、連邦、帝国、海洋国家、都市国家同盟などへ伸びる大量の線が描かれていた。
「私は、国家同士を相互依存させることで戦争を難しくしたいと考えています」
「仲良くさせるんじゃないのか」
「嫌いな相手と仲良くする必要はありません」
即答だった。
「相手国から食料を買わなければ自国民が困る。相手国の魔導部品がなければ工場が止まる。こちらの金融が止まれば相手も戦費を調達できない。その状態を増やせば、戦争を始めた時に自分も痛む」
「随分、商人らしい平和だな」
「善意より長持ちします」
カイは少しだけ相手を気に入った。
「ところが、原界へ直接接続できる古代施設が実用化された場合、この構造が一部崩れる可能性があります」
ヴィットリオは王国の位置へ指を置く。
「極端な例を出しましょう。王国が古代施設によって高位の竜系召喚生命を十体、二十体と安定して確保できるようになったとします」
「できるとは限らない」
「もちろんです。今はできない可能性の方が高い。しかし外交と安全保障では、『可能性がある』こと自体が相手国の行動を変えます」
別の線が帝国と連邦から王国へ伸びる。
「帝国は王国が連邦へその技術を渡すことを恐れる。連邦は帝国が先に奪取することを恐れる。魔導技術国家は解析を求める。宗教勢力は天穹系召喚技術へ関心を持つ。古代守護国家は封印を主張するかもしれない」
「全員が寄ってくるわけか」
「そして王国は自衛のため、さらに秘密にする。秘密が増えれば、他国は最悪を想定する」
カイは軍にいた頃に見た状況を思い出した。敵が新兵器を持っているという噂だけで部隊配置が変わり、根拠の薄い情報を巡って作戦会議が何時間も続くことがあった。
「一番困るのは、技術そのものより疑いか」
「その通りです」
ヴィットリオは頷いた。
「だから我が国は早い段階で照会を出した。王国政府へ『我々は気づいている』と伝えるためでもあります」
「牽制か」
「牽制でもあり、警告でもあり、対話の入口でもあります。また各国間で余計な緊張を生まないためでもあります」
「友好的に聞こえないな」
「外交は友達同士の会話ではありません」
ヴィットリオは苦笑した。
「ただし、我が国は施設の場所を教えろとも、査察を受け入れろとも要求していません。現段階でそこまで要求すれば、かえって王国に軍事化を急がせる可能性がある」
「じゃあ何を求めてる」
「少なくとも、再現可能性が確認された場合、これは一国だけの問題ではなくなると理解してもらうことです」
カイは肉を食べているシアを見た。
「その確認にこいつの権利問題を使った」
「『使った』という言い方は半分正しく、半分間違っています」
ヴィットリオは表情を変えなかった。
「シアの権利は外交上の飾りではありません。もし将来、古代施設から意思ある生命を百体呼び出せるようになった時、その百体が王国の兵器なのか、一人ずつ意思を持つ契約主体なのかによって、同じ技術でも意味が全く変わる」
「兵士を調達する工場になるか、百人の移民が来る扉になるかってことか」
ヴィットリオは少し驚いた顔をした後、頷いた。
「非常に分かりやすい言い方です」
「どっちも面倒だけどな」
「国家とは、そういう面倒を処理するために存在します」
カイは鼻で笑った。
「似たような話を昨日も聞いたが、なぜ俺にそれを話す」
「本当は話さなくてよいんですが、私の勘があなたとは長い付き合いになると告げているので、挨拶がわりです」
「そんな価値は俺にないから赤字になるぞ」
カイは苦笑した。その時カリーナが入室した。手には共和国で発行するシアの登録証がある。
「確認が終わりました。共和国国内ではシア本人を独立した契約主体として登録します」
カイが書類を受け取る。所有者欄はなく、シア自身の識別情報の横に《契約関係者:カイ・レイヴァン》と記載されている。
「これなら文句はない」
「もう一枚あります」
カリーナが別紙を置いた。市場評価表だった。カイは紙を見てから彼女を見る。
「何だこれは」
「推定経済価値です」
「今、本人は商品じゃないって話をしてたよな」
「商品でないことと、経済価値を算定できないことは別です」
「お前らの国、本当に面倒だな」
カリーナは全く気にしない。
「誘拐された場合の保険、契約不履行時の逸失利益、希少能力による危険度評価などに必要です」
「値段を付けたら欲しがる奴が出るだろ」
「値段を付けなくても欲しがる人はいます」
反論しにくかった。ヴィットリオが横から言った。
「これが我が国の矛盾です。自由を守るために権利を明確にすると、その権利自体へ市場価値が生まれる」
「直す気は?」
「より良くする気はあります。完全にする方法はまだ知りません」
少なくとも、自分たちの国を完璧だと思っている政治家ではないらしい。外務院を出ると、中央市場は昼の最も混雑する時間を迎えていた。魔導具、食料、衣服、古代遺物、労働契約、傭兵依頼、輸送保険まで、ありとあらゆるものに値段が付いている。シアが露店の肉へ視線を向けた。
「お前にも値段が付いたらしいぞ」
シアは肉しか見ていなかった。
「興味ないか」
それは少し羨ましい気もした。帝国も連邦も王国も共和国も、古代施設がどれほどの価値を持つか考え始めている。しかし古代施設から出てきた本人は、そんなことより今日の昼飯を選んでいる。カイは肉串を二本買い、そのうち一本をシアへ渡した。少なくとも今のところ、その程度の世界で十分だった。




