商業共和国での出会い
メルカディア商業共和国との国境を越える列車が減速を始めると、窓の外に広がっていた農地は次第に巨大な倉庫群と貨物線路へ置き換わり、その向こうには魔導通信塔や金融商会の高い建物が並び始めた。停戦からまだ一月ほどしか経っていないというのに、破壊された鉄橋の横では仮設橋がすでに使用され、そのさらに隣では恒久橋の建設まで進んでいる。カイは窓の外を眺めた後、外套の内側から一枚の紙を取り出した。王都を出る前、ミレイユから渡された照会の写しだった。
《アルセリア王国領内において確認された未登録原界由来生命について、当該個体が意思を有する独立した契約主体として取り扱われているか、王国政府の公式見解を確認したい》文章だけを読めば、シアの権利を確認しているようにしか見えない。政治ゲームに利用されている感じが気に食わない。足元ではシアが横になっていたが、列車の速度が落ちたことに気づいて身体を起こし、窓の外へ金色の瞳を向けた。
「お前一匹のために国同士が手紙を送り合ってるらしいぞ」
シアが顔を向ける。
「分からないなら、そのままでいい」
列車が国境駅へ入った。ホームには商人、労働者、旅人が溢れており、その間を共和国の税関職員や鉄道会社の係員が忙しそうに行き来している。王国の国境施設と違い軍服姿の人間は少なく、その代わり税関、保険会社、物流会社、契約仲介業者の看板が至るところへ掲げられていた。カイは輸送隊の護衛契約書と自分の旅券を提示し、続けてシアの暫定登録証を出した。職員は登録証を読み終えると、カイではなくシアの方を確認した。
「カイ・レイヴァン氏と、召喚生命シアで間違いありませんね」
「そのはずだ」
「共和国政府から事前確認対象に指定されています。こちらへお願いします」
「入国拒否か?」
「違います。安全保障評議会から担当者が来ています」
カイは眉を寄せた。
「ずいぶん大げさだな」
「私には判断できません」
案内されたのは取調室ではなかった。
駅舎の上階にある応接室へ入ると、大きな窓の向こうから貨物列車の発着する様子が見え、中央の机には茶と軽食まで用意されていた。待っていたのは二人だった。一人は葡萄酒色の長い髪を後ろでまとめたエルフの男で、身につけている服は簡素だったが、胸元には共和国安全保障評議会の徽章がある。
「オルフェン・ダレスです。共和国安全保障評議員を務めています」
もう一人は三十歳前後の人間の女性だった。
「カリーナ・エルです。召喚契約仲介人です」
「安全保障評議員と契約屋が一緒に何の用だ」
カリーナは少しだけ笑った。
「随分簡単に言いますね」
「違うのか?」
「大きくは違いません。カリーナ。あとで呼ぶので外で待機を」
カリーナは退室し、オルフェンが椅子を勧め机の上へ数枚の資料を置いた。
最初の紙には、王国西部で観測された異常魔力反応の推定記録が書かれている。正確な座標は伏せられているが、カイが救助へ向かった集落で起きた異変だと分かった。
「王国西部で大規模な魔力反応が発生した。同時期、長期間休眠していた古代施設の一部が再起動し、その後、通常の召喚術を介さない原界生命の現界が確認された。ここまでは我が国も複数の経路から把握しています」
「王国の説明は遺跡は地殻変動による偶発起動。召喚生命は遺跡内で発見された未登録個体だったはずだが。」
「国家が情報を隠すことと、他国が異変そのものに気づかないことは別です。大規模な魔力反応は国境を越えますし、人間の移動も止められません」
エドムントの顔が頭へ浮かんだ。あの男も、完全に隠せるとは考えていなかったのだろう。オルフェンは二枚目を示した。
「我々が問題視したのはこちらです。通常の召喚士が術式を構築して原界へ接続したのではなく、古代施設そのものが原界へ道を開いた可能性がある」
「それが何だ」
「もし再現できるなら、国家が召喚士の能力に依存せず、古代施設を使って原界生命を現界させられる可能性があります」
部屋の空気が少し変わった。カイもようやく話の規模を理解した。
「兵器にできるって言いたいのか」
「兵器だけではありません」
オルフェンは落ち着いて続けた。
「竜系を安定して呼べるなら航空戦力になる。天穹系なら治癒・防御技術そのものが変わる。深淵系なら精神・認識戦の前提が変わる。獣系でも、シアのような特殊な適応能力を持つ個体が現れる可能性がある。そして最も重要なのは、一度成功した施設が一つだけとは限らないことです」
トビアスが言っていた話を思い出した。遺跡に残された識別形式は、単独施設ではなく複数設備を管理するための構造に見える。
「王国からそこまで聞いたのか」
「いいえ」
オルフェンは首を振った。
「王国政府の回答は慎重です。施設の詳細、構造、再起動条件、同系統施設の有無については回答を拒否しています」
「当然だろ」
「私でも同じ判断をします」
カイは少し意外に思った。
「なら、何で聞く」
「回答を得ることだけが照会の目的ではないからです」
オルフェンは三枚目の資料を出した。そこには帝国と連邦の名、その周辺国家、焦土地帯、各国の主要交易路が記されていた。
「大戦は終わりました。しかし帝国と連邦は互いを信用していない。各国も古代遺産を探し、軍事技術を研究し、次の戦争で一方的に負けない方法を探しています。そんな時期に、一国で『原界へ直接接続できる古代技術』が再起動した可能性が出た」
「王国がそれを独占すると困る?」
「王国だけではありません。帝国でも連邦でも、我が国でも同じです」
オルフェンは地図の中央へ指を置いた。
「一国だけが原界から戦力を継続的に取得できる仕組みを手に入れれば、現在の軍事均衡は崩れます。実用化できるかどうかが分からなくても、他国は『できるかもしれない』という前提で動くでしょう」
「それだけで?」
「戦争では、相手が持っていると確認してから対策を始める国ばかりではありません」
元軍人のカイには、その意味がよく分かった。相手が新兵器を完成させてから軍備を整えるのでは遅い。可能性が高ければ、研究段階から妨害し、盗み、場合によっては施設そのものを破壊しようとする。
「だから照会を出した」
「はい。王国へ、我々がこの事案を国家安全保障上の問題として認識していることを正式に伝える意味もありました」
カイは照会の写しを机へ置いた。
「でも書いてあるのはシアの扱いだけだ」
「そこには理由があります。もし古代施設を使って原界生命を継続的に現界させられるようになった時、召喚された生命を強制的に国家資産として利用できるのか、それとも通常の召喚獣と同様に独立した契約主体となるのか。この違いは極めて大きい」
「つまり、シアを口実にした?」
「違います」
オルフェンがはっきり否定した。
「シアの問題も本物です。古代施設の問題も本物です」
その答えなら、カイにも理解できた。
「王国政府は、シアは通常の召喚獣と同様に独立した契約主体であると回答しています。ただし共和国としては、王国の判断だけでなく本人の意思も確認したい。そのためにお呼びしました」
「喋れないぞ」
「言葉を話せるかどうかと、意思があるかどうかは同じではありません。カリーナ。来てください」
カリーナは戻ってきて、シアへ手を伸ばさずに言った。
「こちらへ来てもらえますか?」
シアは動かなかった。
「いい反応です」
「無視されてるだけだろ」
「命令へ自動的に従わないことが確認できました」
カイは少しだけ笑った。検査は一時間ほど続いた。カイへシアから離れるよう求め、扉を開けたままにし、食べ物を別の場所へ置き、カイから反対方向へ誘導する。シアは食べ物には興味を示したものの、カイが別室へ移動すると途中で戻り、かといってカイが呼んでも気になるものがあればすぐには従わなかった。最後にカリーナは記録紙へ署名した。
「自発的同行と判断します。少なくとも現在は意思を有する独立した契約主体と考えられます。強制的に従えているわけではなさそうです」
「最初から言ってる」
「本人以外の証言は参考資料です」
「徹底してるな」
「契約を扱う仕事なので」
オルフェンも立ち上がった。
「とりあえず王国の反応と、召喚獣の状況がわかったので一旦はこれまでとします」
カイは少し考えた。
「背景まで俺に話す必要があったのか?」
「どうせ王国から似たような話をされたでしょう。それに各国も似たようなことを考えていますよ。あなたがここに来て我々から説明を求められるのは1種の外向けの政治ショーですよ。たまたま舞台が共和国だっただけです」
苦笑しながらオルフェンが言って、この場は解散となった。
「本当に面倒になってきたな」
駅舎を出ると、シアが焼肉の匂いを嗅いで露店の方へ歩き始めた。
「お前は変わらないな」
カイはそう言いながら財布を取り出した。国家同士が何を考えようと、目の前の一匹にとっては昼飯の方が重要らしかった。




