有仁である理由、ギフトの意義
アルトと有仁の意識が統合されて、ギフトに覚醒してから、俺なりに考え続けていて、自分なりにやっと結論づけることができた。
まず、なぜ有仁だったのか。
有仁は、異世界もののラノベを読むことはあったものの、趣味と言えるほど読んでいたわけでもなく、気分転換や、ファンタジー要素を加えるだけで世界がどのようになるかの思考訓練程度を目的としていたくらいだった。
他にも楽しいことはいくらでもあったし、仕事も自分にあったものを選んで充実していた。
会社を創業して経営から抜けて株主になり、市場を読んだ株式投資も上手く行って、働かなくても人生を何周もできるくらいには資産があった。
プライベートも遊びサークルを長年運営していて遊び相手はたくさんいたし、知的に楽しむことも童心に帰って楽しむことも、いくらでも機会を作ることができていた。
人生をもう一度選ぶことになったら、また自分の人生を選ぶ。
そう思えるくらいに自分の人生に満足していたから、異世界に行きたいなんて考えたことはなかった。
そんな有仁が、何でもできてしまいそうな凄まじい能力を使えるようになるギフトとともに、この世界で覚醒した。
何か理由がある、と仮定して考えた。
まずは、バランス感覚があることだろうか。
すごいギフトに目覚めたから世界を征服する、となったり、ゲームみたいな世界なんだから周りに配慮なんかせずにやりたいことをやりたい放題やるぜ!、なんてことになったりはしない。
アルトの人格と統合したこともあって、有仁の思考でアルトの背景を配慮して、エルン村への貢献を中心に考える、そんなところが期待された可能性を考えた。
後は、ギフトの意味についても考えた。
ほとんどの国では『ギフトは、役立つもの』
つまり道具のようなものとして扱っている。
アクチュア王国では『ギフトは神に祝福された賜物』
建国の由来もあり、ギフトを尊重するべきものとして、ギフト持ちを優遇している。
ジェミニ聖国では『ギフトは罪の証』
ギフトを汚らわしい、悪魔が付与したものとして、ギフト持ちを拘禁し、キャンセルのギフトで行使を禁止している。
どれも理由があるが、どれも何か違うと、俺には思えた。
自分のギフトと、他のエルン村のギフト持ちと、ギフトを持たない者の身体術や魔術の行使、俺が接してきたものを通じて、俺なりに『ギフトとは』を考えた。
『ギフトとは、導くもの』
俺はそう思いつき、自分でしっくりきた。
ギフトでできることで、ギフトなしにできないことはないのではないか、そのように思えたからだ。
まず、俺が真のギフトを偽るために、『大力』ギフトと称して、身体術を自力で身に付けてその強化限界を向上させ続けたことがある。
魔素を扱う上で、最初は真のギフトを使って魔素を動かしていた。
そして、その感覚を体で覚えて、ギフトなしで魔素を動かせるようになった。
エルン村長の『剣士』ギフトや、マクシムさんの『槍術』ギフトで、剣や槍の扱いを学ぶと、ギフトなしでも使い方を体が覚えていると言っていた。
アデリナさんの『農業』ギフトや、レフ兄さんの『鍛冶』ギフトで、その専門分野で行使する魔術や、身体術を使って体を動かすことも、ギフトを切っても体が覚えていると聞いていた。
確信が強まったのは、オレグの『土魔法』ギフトと、イリナの『水魔法』ギフトからかな。
土魔法、水魔法として、ギフトによって起こした現象は、全て術式に落とし込んで魔術にし、魔術で再現することができた。
俺が他者の体を通して身体術や魔術を行使できたことも、『導く』ことの有意義さに気づけた理由の一つになる。
あと別枠で、生産系のギフト特有の、ギフト由来の知識がある。
ギフトによって能力を導き、ギフト由来の知識で社会の発展を導けるのではと、俺はそのように考えた。
逆に、なぜ生産系ギフトの知識があるのに、そこまで社会が発展していないのかが気になったくらいだ。
この、『ギフトとは、導くもの』という考えに思い至ること、それも俺が選ばれた理由なのではないか、そう考えている。
有仁の人格がこの世界で目覚めた理由、それを自分なりに整理できて、少し気持ちの整理もできたような気がしている。
そして、俺の未来の方針の軸になる考え方になったのではないかと思う。
この作品を読んでいただきありがとうございます!
もしよろしければ、ブックマークと評価の方もよろしくお願いします。




