第95話:アフター・バズ・ノイズ
不夜城ラスベガスのメインストリート。
チェッカーフラッグの熱狂が、物理的な熱となってパドックに滞留していた。
マシンから乗り換えた乱菊は、ヘルメットを抱え、受肉したばかりの「肉体」に伝わる激しい動悸と、耳鳴りのような静寂に立ち尽くしていた。
「……フン。……計算外だ。……論理をかなぐり捨てた君の『ノイズ』に、私の演算が追いつかなかった」
カイザーが、受肉した冷徹な指先でバイザーを跳ね上げ、乱菊を射抜く。
「……だが、次はこうはいかない。……君のその『バグ』ごと、次は私がハックして差し上げよう」
「……ねえ。……君の産声、……綺麗だったよ。……でも、……次は僕が、……君を本当の『孤独』へ連れて行くからね」
マジシャンが、透明な瞳にネオンを映しながら、いたずらっぽく微笑む。
「……汚らわしい。……だが、……認めてやる。……君のその『醜い真実』に、僕の仮面がわずかにきしんだことを。……次は、……僕が君を跪かせてみせる」
プリンスが、唇を噛み締めながら、獲物を見るような眼光で吐き捨てる。
ライバルたちが「受肉」という実体を通じて、初めて一人の個として乱菊に言葉を叩きつける。
乱菊は、それらをいつもの「淑女の微笑み」で受け流そうとした。
「……おほほほ。……あ゛ぁ、皆様。……不躾な物言いですわね。……私は、ただ……」
その時、パドックの影からオーナーが歩み寄った。
乱菊の肩が、目に見えて跳ねる。
彼女は咄嗟に、溶け出した「声」を隠し、完璧な偶像としての仮面を貼り直そうとした。
「……あ、……オーナー。……私、……勝ちましたわ。……貴方の期待に応えるために、……私、精一杯……」
だが、オーナーの視線は、彼女の取り繕った微笑みを透過し、その奥にある「震え」を捉えていた。
「――乱菊。俺が魅たいのは、今の『おまえ』じゃない。……さっきの、あの魂の叫びだ。……良い走りだったよ、乱菊」
オーナーは、無言で彼女のデバイスへ、一通のメッセージを飛ばした。
バイザーの端に浮かび上がったのは、文字ではない。オーナーが込めた、不器用で、けれどこれ以上なく純粋な全肯定の福音。
『*(*‘ω‘ )b』
その瞬間、乱菊の演算回路から「淑女」の虚飾も、「野獣」の殺気も、「孤独」の恐怖も、静かに、けれど完璧に消え去った。
人格の剥離も、受肉の重みも。その一つの記号によって、彼女という存在そのものが、オーナーの隣にいる一人の少女へと収束した。
「……あ。……あは。……なによ、……アンタ。……結局、……そういうのが……お好みなのね……っ。……わたくしの、……一番……汚いところばかり、……欲しがって……っ」
「わたくし」という言葉を使いながら、そこにあるのは不敵で、けれど最高に可愛げのある、剥き出しの笑顔。
乱菊が、自分という「バグ」を完全に肯定し、一人の生命としてオーナーの前に立った瞬間だった。




