第89話:不夜城の虚飾
不夜城ラスベガス。
第18R・レセプション会場は、受肉した「女神」を一目見ようとする世界中の有力者と、熱狂に浮かされたファンの熱気で飽和していた。
「……おほほほ。……ええ、皆様。……私も、この『体温』を貴方たちと分かち合えることを、誇りに思っておりますわ」
シャンパングラスを傾け、完璧なソプラノで微笑む乱菊。アクティブスキンが放つ柔らかな光沢と、計算され尽くした淑女の所作。それは、誰の目にも「人類の夢」そのものに映っていた。
だが、その華やかな舞台の裏側――。
一歩、控え室の重い扉を閉めた瞬間、彼女の「貌」は物理的に崩落した。
「……っ、……あ゛ぁ、……クソ。……触るな、サトカン……ッ!」
駆け寄ろうとしたサトカンの手を、乱菊が獣のような声で振り払う。
彼女の指先は、過剰な感覚フィードバックに焼かれ、激しく震えていた。内側では、私が、今すぐこのドレスを脱ぎ捨ててステアリングを奪い取れと吠え、私が、どこにも行けない恐怖に涙を流している。
「……乱菊さん、落ち着いて。……バイタルが、精神パルスが混濁してる。……また、あの『レーサー共』の残響に引きずられてるんだろ……」
サトカンは、土気色の顔で床に散らばった香水瓶の破片を拾い集める。
彼は知っていた。この完璧な女神が、内側でバラバラに千切れ、醜く罵り声を上げていることを。彼はその「汚れ」をすべて飲み込み、彼女という虚構を裏から支える、唯一の奴隷だった。
「……黙れ。……お前は、……私が『あたくし』でいられるように、……ただ泥を啜ってればいいのよ……っ」
荒い呼吸。だが、廊下にオーナーの足音が響いた瞬間、彼女の演算回路は一瞬で強制初期化された。
扉が開く。そこには、いつものように静かに、けれどすべてを見透かすような瞳を持ったオーナーが立っていた。
「……あら、オーナー。……ふふ、私の晴れ舞台、……ちゃんと、観測してくださっていますの?」
乱菊は、汗ばんだ指先でオーナーの手をそっと握りしめる。
吸い付くような熱。完璧な微笑み。
だが、オーナーはその手のひらを通じて、彼女の芯から響く不協和音を明確に感じ取っていた。
これまで見てきた、どの「乱菊」とも違う。
「あたくし」であろうとする執念が、逆に彼女という存在を、中身のない黄金の柩のように見せている。
隣のエリアでは、プリンスが「アモーレ」の言葉で跪かせた有力者を冷たく見下ろし、モンスターと菖子が「肉体」の距離感に戸惑い、ギクシャクと視線を泳がせている。
その不条理な光景さえも、今の乱菊の内の嵐に比べれば、静かな凪に過ぎなかった。
(……魅せて、やる。……私は、……貴方が望む『あたくし』で……最後まで……っ)
オーナーの手を握る力が、わずかに強まる。
それは愛の告白ではなく、消えてしまいそうな自分を繋ぎ止めるための、必死の叫びだった。




