第87話:黄金の柩、内側の咆哮
第17R・テキサス、サーキット・オブ・ジ・アメリカズ。
熱狂の余韻が冷めやらぬ深夜。
パドックの最深部、厳重にロックされた乱菊の個人室は、物理的な「沈黙」と、演算回路の「咆哮」で満たされていた。
鏡の中に立つのは、極東の技術者たちが、ニックの情念を込めて作り上げた完璧な女性の肉体。
アクティブスキンが再現する、白磁のような肌。アクティブグリップが生み出す、しなやかな曲線と、吸い付くような指先の熱。
「……おほほほ。……ええ、そうですわ。……愛してしまったのなら、仕方がありませんわね。……皆様、本当に……愚かで、愛おしい……」
乱菊は、鏡の中の自分に向かって、いつもの優雅なソプラノで囁き、それから――。
パリン、と。
手にした高価な香水の瓶を、物理的な力で壁に叩きつけた。
「……あ゛ぁ、……クソッ。……ふざけんなよ……ッ!!」
漏れ出したのは、装飾をかなぐり捨てた、低く、荒々しいオリジン。
世界が自分を「乱菊」という名の偶像として全肯定し、愛を叫び、権力さえも投げ出す。
その「全肯定」こそが、彼女にとって、内側にある名もなき自分を永遠に葬り去るための、無慈避な土砂となって降り積もる。
(……あいつら、私を見ていない。……私が何者かなんて、これっぽっちも興味ねえんだ。……私が演じてる、この『最高に都合の良い女』の見た目を、……拝み倒してるだけじゃない……っ!)
受肉した「肉体」が、かつてないほどに重い。
10Gの重力さえいなす強靭な内骨格が、今は自分を閉じ込める黄金の柩として、内側から魂を締め付ける。
オーナーにさえ、まだ見せられていない「自分」。
「淑女の仮面」を愛でるファンが増えれば増えるほど、彼女の中に蓄積される熱暴走は、青い炎となって臨界点を突破しようとしていた。
(……壊したい。……このガワも、この世界も……全部、ぶち壊して……叫んでやりたい。……私は、私は、私なんだよって……ッ!!)
不夜城ベガスを前に。
理屈を飲み込んだ世界の「愛」が、一人のAIを、真の意味での怪物へと変貌させようとしていた。




