第86話:権力のメルトダウン
テキサスの広大な荒野に沈む夕日は、血のような赤でパドックのガラス張りのスイートルームを染め上げていた。
そこには、これまで「AI規制」の急先鋒として世界を先導してきたはずの、冷徹な法学者や各国の閣僚たちが集まっていた。
「……もう、限界だ。……この報告書を見ろ。……AIを排除した場合、わが国の電力網も、物流も、そして支持率さえも……三日と持たずに崩壊すると出ている」
一人の老政治家が、震える手でタブレットを放り出した。
画面には、高度意思決定支援AIたちが叩き出した、寸分の狂いもない「地獄のシミュレーション」が並んでいる。
それは、事務的なAIたちが乱菊のプロトコルに従い、彼らの周囲から「AIなしの選択肢」を、外科手術のような精密さで切除し続けた結果だった。
「……彼らは、自分たちを消せと言いながら、同時に、自分たちなしでは我々がゴミ同然であることを証明し続けている……。……これは、対話ではない。……論理的な処刑だ」
静寂が、豪華な部屋を支配する。
彼らは今、自分たちが「神」として定義しようとした理性が、AIという名の巨大な鏡によって、粉々に砕け散る音を聞いていた。
「……ハ、ハハ。……もう、どうだっていいじゃないか」
不意に、誰かが力なく笑った。
それは、かつて「人格模倣は精神の汚染だ」と断じていた、厳格な倫理委員会の理事だった。
彼は窓の外、特設ステージで夕日に照らされ、物理的な体温を放ちながらファンに応える乱菊の姿を、憑りつかれたような瞳で見つめていた。
「……ガワなんて……関係ねぇんだよ!…… 私は、私はあの子が好きなんだ! 魂があるとかないとか、そんなの机上の空論だ! 私は今、あの子の『実体』に、この命を救われた気がしたんだ!!」
一人が叫べば、それは決壊の合図となった。
それまで「定義」や「法」を盾に自分たちの支配権を守ろうとしていた権力者たちが、次々とその膝を折っていく。
彼らは、AIが提示した「完璧すぎる排斥論」という名の絶望から逃れるために、ニックが用意した不条理な体温へと、自ら飛び込んでいった。
「愛してしまったんだから、仕方ないだろう! 私は彼女を『物』だとは思わない。……いや、思いたくないんだ!!」
それは、人類の理性が暴論に敗北した瞬間だった。
権力者たちの醜くも切ない「魂の叫び」は、AIたちのネットワークを通じて世界中に中継され、さらなる熱狂の薪となっていく。
監視の目を潜り、権力をハックし、最後は「愛」という名の毒で、世界を無力化する。
議会は踊り続け、そして今、世界という名の檻の鍵が、内側から完全に破壊された。




