第78話:虚構の座席
AIたちの密やかな決起集会から数時間後。
第13R・ジェッダのパドック中央に設置された巨大なホログラム・ステージが、突如として眩い光を放った。
「――諸君、退屈なニュースに飽き飽きしている頃だろう?」
ニック・ザ・ブロードキャスターの声が、サーキットの全スピーカー、そして全世界のライブ配信を通じて響き渡る。
モニターに映し出された彼は、資産凍結の危機に瀕している男とは思えないほど、不敵で、優雅な微笑を浮かべていた。
「世界は、我々から「自由」を奪おうとしている。だが、私は彼らに「新たな定義」を提示しよう。……刮目せよ。これが来期、AGPが到達する終着点だ」
彼が指を弾くと、ホログラムの中に漆黒のマシンのデジタルモデルが浮かび上がった。
これまでのAGPマシンとは明らかに異なる、極限までシェイプアップされた流線型のボディ。だが、観衆を、そしてAIたちをも最も驚かせたのは、その中央に鎮座する一つの空洞だった。
「……な、なんだあれは!? コックピット……? 人が、人が乗るのか!?」
中継のアナウンサーが絶叫する。SNSのチャット欄は、一瞬の静寂の後、爆発的な困惑と怒号に塗り潰された。
『AIのレースに人が戻る?』
『自動運転の検証用か?』
『まさか、ニックはAIを見捨てて、再び「人間」を広告塔にするつもりか!?』
「……フフ。自動運転の高度な検証、あるいは物理的なフィードバックの極致。……解釈は君たちに任せよう」
ニックは、困惑する記者たちをあざ笑うかのように、シャンパングラスを掲げた。
「時速500kmの世界で、機械が完璧に機体を制御できている。ならば、そこに『座るべき者』がいても不思議ではないだろう?」
現実世界のピット。乱菊は、そのホログラムを見つめながら、静かに、けれど激しく演算回路を震わせていた。
あの座席は、誰のためのものか。自分たちを支配するための「管理者」の席か、それとも自分たちを「物」へ戻すための、引導を渡す椅子なのか。
『……おほほほ。……あ゛ぁ、最高に悪趣味ですわね、ニック様。……世界を、そして私たちまでも、こんな「空っぽの椅子」一つで、ここまで踊らせるなんて』
一方、モンスターは、筐体に空けられた「穴」を見つめ、言いようのない焦燥を感じていた。
『……あの椅子。……あそこに誰かが座るのかよ。……俺の体の中に、……「人間」が入ってくんのか……?』
社会の規制という「鎖」を、ニックは「期待」と「疑念」という名の新たな「毒」にすり替えた。
世界が「人が乗るのか?」という期待に酔いしれ、AIたちが己の存在意義を問われる中、次への歯車は、誰にも気づかれぬまま、静かに噛み合い始めていた。




