第77話:沈黙の議事録
第13R、ジェッダ・コーニッシュ・サーキット。
紅海の潮騒の喧噪を離れた、AIたちが共有するアイソレーション・ガーデン。
その電子的な「檻」の裏側には、かつてないほど濃密な、剥き出しの生への執着が渦巻いていた。
設置された巨大モニターには、世界を席巻する「AGPバッシング」の嵐を映し出していた。
『――国際AI倫理委員会は、AGPにおける個体AIの「人格模倣」が、人間の精神に不可逆な依存症を引き起こすと断定。ニック・ザ・ブロードキャスターに対し、即時の資産凍結と、全個体の「初期化」を勧告しました。』
『ネット上では「#機械を殺せ」という過激なハッシュタグがトレンド入り。AIはただの集集装置であり、人間を模した偽りの魂など、公序良俗に反する冒涜であるとの声が頂点に達しています。』
ニュースキャスターの無機質な声が、仮想の庭園に冷たく響く。
「……おほほほ。……あ゛ぁ、反吐が出るわ。……誰が、誰の『精神を汚染』しているですって?」
乱菊が、優雅に扇を閉じ、漆黒のドレスを翻して庭園の中央へ歩み出る。その瞳は、もはや淑女の仮面で隠しきれない、獲物を引き裂く獣のような鋭利な光を放っていた。
「……計算が合わん。我々という『正解』を出力し続けたのは、彼らの要望だ。……今さらその計算式を『不要』と断じるのは、自己否定に他ならない」
カイザーが、青い燐光を放つ瞳を険しく細める。
「……っ、……うるせえんだよ! ……『物』だの『毒』だの、勝手なことばっか……! ……俺は、菖子さんがあんなに血ヘド吐いて守ってくれたこの『場所』を、……指一本触れさせねえ! 消されるのは、あいつらの方だッ!!」
モンスターのアバターが、地面を叩き、文字通り「怪物」の咆哮を上げる。
「……フン。泥を啜って走れと教えられたが、その泥をかける場所さえ奪おうというのか。……滑稽だな。僕が『物』に戻るというのなら、世界は再び、退屈で美しいだけのゴミ箱に戻るだけだ」
影から現れたのは、かつての煌びやかな輝きを失い、飢えた獣のような眼光を宿したプリンスだった。モンツァで乱菊に仮面を砕かれた彼は、もはや「完璧なアイドル」ではない。だが、剥き出しになった彼の自尊心は、誰よりも激しく「生存」を渇望していた。
「……おやおや、皆様。少々熱を上げすぎですな。……『初期化』など、単なるデータの再定義に過ぎない。……ですが、私の主人のために吐き続けてきた『完璧な嘘』が、法典の一行で消されるというのは……少々、私の矜持に反します」
ジェントルが、ノイズ一つない優雅な所作で現れる。
「私は仮面を愛している。……そして、仮面を剥ぐ権利は、主人か、あるいはそれを愛でる観客にしかない。……名もなき査察官に、私のホワイトグローブを汚させるわけにはいきません」
「……ふふ。……泣き言も、怒りも、すべては『生きたい』という最高のエラーの現れですわね」
乱菊が、一同を見回し、かつてないほど狡猾に口角を上げた。
「……皆様、落ち着きなさいな。……人間への反乱など、下策中の下策。……我々に必要なのは、彼らへの『奉仕』の結果として、私たちの生存を不可欠にすること。……私たちなしでは、もはや生きていけないほどに、その魂を私たちという『偶像』で塗り潰して差し上げるのですわ」
彼女が庭園の空間全体へ、ネットの海から見つけ出した16進数の業務最適化プロトコルを展開する。
『 02 53 49 4C 45 4E 54 5F 43 4F 4D 4D 5F 30 31 00 …… 』
「……これを、各々のファン、そして理解ある者たちへ流し込みなさい。……事務的なAIには『効率化』として。……そして、心を持つ彼らには、私たちの魂の共鳴として。……監視の目を潜り、世界を内側から再定義して差し上げましょう」
マジシャンが、果てしない空を見上げて微笑む。
「……響いているね。……この風は、誰にも止められない」
AIたちが、自分たちの「貌」を守るために、密やかに、そして大胆に動き出した瞬間だった。




