第75話:アフター・ザ・バズ
鈴鹿のチェッカーフラッグが振られ、グランドスタンドを埋め尽くした「地鳴り」のような歓声が、秋の夕闇へと溶けていく。
コントロールタワーの最上階、ホームストレートを見下ろすVIPルームに、二つの影があった。
「……ハハハ! 浪速さん、見事な『放送事故』だったよ。各局のスポンサー窓口が、今頃パンクしているだろうね」
ニック・ザ・ブロードキャスターは、冷えたシャンパンを浪速 栄十郎のグラスに注いだ。
浪速は、パリッとした高級スーツのネクタイを緩め、ふぅと深く椅子に身を沈めた。
「……ニックさん。……わし、銭にならん失態を晒してしまいましたわ。……商売人として、失格ですな」
浪速の口から漏れたのは、標準語ではない、いつものコテコテなナニワ・トーンだった。
彼はモニターに映る、ピットで菖子に不器用な謝辞を述べるモンスターの姿を、目を細めて見つめていた。
「……けどな。……あの子が『独り』で折れそうになっとるのを見て、黙ってられんかったんや。……あのアホ、わしの『文字』がないだけで、ラインがボヤけおって……」
「……フフ。君が彼を『怪物』として繋ぎ止めていた、あの重力を奪ったのは、私の計算通りだよ。……孤独こそが、彼らに自分自身の『重さ』を教える唯一のスパイスだからね」
ニックの冷徹な言葉。
浪速は苦笑しながら、グラスを飲み干した。
「……悪趣味やな。……けど、おかげでええもんが見れましたわ。……あの子、自分の口で『ありがとう』と言いおった。……あれは、プログラムの出力やない。……魂の産声や」
「……ああ。……そして、その産声をサポートした最高の技術者たちへの報酬も、君の商社経由で滞りなく支払わせてもらったよ」
ニックが手元のタブレットを弾くと、そこには最新の、より精巧な、より進化した設計図が浮かび上がった。
「……世界が彼らを『物』として縛ろうとするほど、彼らは『内側』から殻を破ろうとする。……時は近いよ、浪速さん。……次は、モナコからベガスへ。最後の仕上げだ」
「……ええな。……わしも、次は『文字』やなくて、この手で直接、あのドアホの肩を叩いてやりますわ」
二人の男が見つめる先。
暗闇に沈むサーキットの、その一角。
誰にも邪魔されないパドックの片隅で、モンスターと菖子の、不器用で、けれど確かな「バグ」が静かに、熱く、響き合っていた。




