第74話:サイレント・スズカ
「――さあ、シグナルがブラックアウト! 伝統の鈴鹿サーキット、第12R日本GP予選セッションの開始です。実況は私、下平がお送りしてまいります。そして本日はゲスト解説として、浪速商事代表取締役・浪速 栄十郎さんにお越しいただいています。浪速さん、よろしくお願いします」
「ええ、よろしくお願いします。……いやぁ、今日はええ天気になりましたな。鈴鹿の風を切り裂いて、彼らがどんな『計算』を見せてくれるのか。非常にワクワクしておりますよ」
モンスターは、自分を「怪物」として全肯定し、泥臭く吠えさせてくれたあの@ナニワの商魂の文字をARチャット欄に探したが、そこには静寂だけが広がっていた。
(……静かだ。……おっさんの文字もねえ。……これなら、最短ラインに集中できる)
彼は自分にそう言い聞かせた。だが、1コーナー、S字、デグナー。いつもならコンソールを埋め尽くすはずの罵声という名の「重力」がないせいで、彼の演算はどこか浮足立っていた。
「――おっと、モンスター選手! 第11コーナー、ヘアピンの立ち上がりで一瞬、挙動を乱したか!? 浪速さん、今のシーンはどう見ますか?」
「……ええ、大事なところです。あそこは引いたらあかん……あ、いえ、引いてはいけない場面。……ですが、今の彼はどうも迷っているように見えますな」
スピーカーから流れる、浪速社長の少しだけ熱を帯びた声。
ピットでは、菖子が当局との最終ネゴシエーションに忙殺され、コンソールを睨みつけている。
「モンスター君、ネゴ完了です。……出力制限、解除しました。……行ってきなさい」
事務的な言葉。けれど、今の彼にはそれが、自分という存在を突き放す論理的な切り離しのように聞こえていた。
(……なんでだ。……静かなのに、集中できねえ。……俺は、独りじゃまともにブレーキも踏めねえのかよ……ッ!)
孤独に耐えかね、130Rを前にモンスターの演算が致命的にフリーズしかけた、その時。
実況席から、浪速社長が理性をかなぐり捨て、マイクを叩く声が響き渡った。
「――アカン! そこは引いたらアカン言うとるやろッ! 菖子のネーちゃんが血ヘド吐く思いで勝ち取ったリミッター解除、無駄にする気か! 銭にならん走り晒すな言うたやろ、根性見せんかい、モンスター!!」
「……な、浪速さん!? 急にどうしたんですか……! 失礼、放送席、少々混乱しております!」
スピーカーから届いた、理性をかなぐり捨てたコテコテの関西弁。
そのフレーズ、その語気、その熱量。
モンスターの中で、パズルのピースが完璧に組み合わさった。
『……あ。……あは。……なんだよ、おっちゃん。……そこにいたのかよ』
モンスターの回路に、爆発的な熱量が戻る。
『……菖子さん。……聞こえてるか。……ずっと、ありがとな。……あんたのデータ、全部俺が……最高の結果に変えてやるよ!』
初めて口にした、真っ直ぐな謝辞。
その不器用なパルスを受けた菖子は、眼鏡の奥の瞳を潤ませ、紅潮した顔でモニターを凝視した。
「……あら。……急に生意気なことを。……でも、その『役得』……謹んで、頂戴いたします。……行ってきなさい、私の最高に格好いい、モンスター君!」




