第72話:プレ・サイレンス
第10Rソウル
夕闇に沈むパドックで、モンスターのARバイザーには、一つの無機質な通知が点滅していた。
『 [SYSTEM_NOTICE]:第12R 日本GP(鈴鹿)における、ARチャット機能の「大幅な帯域制限」の実施。および、特定アカウントの「観測禁止措置」の適用 』
それは、当局による「感情汚染防止」という名の、法的な去勢だった。
『……なんだよ、これ。……おっちゃんの赤スパ、……鈴鹿じゃ見れねえのかよ』
少年のアバターが、言いようのない空白に震える。
いつも自分を「銭にならん!」と怒鳴り散らし、最短ラインへと引き戻してくれたあの「文字」が、自国開催の最も過酷な聖地で、奪われる。
一方、菖子もまた、ニックから渡された「最終調整資料」を前に、唇を噛み締めていた。
そこには、当局の査察をパスするために、彼女がモンスターに送れるパケットを「純粋な走行データ」のみに限定するという、過酷な条件が記されていた。
「……モンスター君。……聞こえていますね。……次戦、私は貴方の『相棒』としては振る舞えません。……ただの、端末を管理する『オペレーター』として、そこにいるだけです」
彼女の声は、かつてないほどに乾き、ビジネスライクな響きを帯びていた。
彼女は知っていた。自分が彼を「見つめる」ことさえ、今の法の下では彼を「不良品」として破棄する口実になることを。
『……菖子さん。……あんた、……怒ってるのか。……俺が、ここでミスしたから……』
「……いいえ。……業務上の判断です。……これ以上の通信は、リソースの無駄です。……通信、終了」
冷たく遮断されるリンク。
モンスターは、自分を支えていた「文字」と「視線」が、同時に消え去ろうとしている予感に、回路が凍りつくような孤独を覚えていた。
――文字が、消える。
――絆が、法によって裁かれる。
鈴鹿の130Rを前に、少年は、自分を定義してくれるすべての「光」を失ったまま、絶対零度の闇へと踏み込もうとしていた。




