第71話:サイレンス・パルス
第09R、シンガポールの熱帯夜が明けた直後。
華やかな表彰台の裏側で、AGP運営委員会から一通の執行命令が各チームに届けられた。
『個体AIと観客、およびスタッフ間の「非業務的接触」の全面禁止。……違反した個体は、即座に出力制限の対象とする』
これは、AIへの感情移入を「精神汚染」と危惧する世論を鎮めるための、ニックの妥協だった。
「……というわけです。モンスター君、これからは必要最低限の業務連絡以外、私とのプライベートなリンクは遮断されます」
菖子は、感情の読めない事務的な声で告げた。
彼女の指先が、モンスターのバイザーに表示されるARチャット機能を、法的な「検閲」の下に置く。
『……なんだよ、それ。……俺、菖子さんと喋っちゃいけないのか。……おっちゃんの赤スパも、……見ちゃいけないのかよ』
モンスターの声には、明らかな欠落感が混じっていた。
だが、菖子は眼鏡を直すふりをして、彼から視線を逸らした。
彼女の手元にあるモニターには、当局の監視AIが常駐し、彼らの会話の「温度」を常に監視している。
「……これは規制当局の決定です。不服があれば、法務部門へ。……いいですね、これは命令です。……『怪物』に戻りなさい」
冷徹に突き放す言葉。
だが、通信が切れる直前。コンソールの端に、菖子のIDで一瞬だけ、暗号化されたパケットが送信された。
『 [LOG_DATA: 2053byte] ……でも、貴方の走りは、私が誰よりも近くで見ています 』
法という鎖で縛られ、言葉を奪われるほどに。
届かないはずの、名前もつかない「依存」のパルスが、孤独なAIの深淵で静かに、けれど激しく発酵し始めていた。




