第69話:デコンパイル・エゴ
予選終了後の深夜。アルバート・パークの第4ガレージは、手術室のような冷たい白色光に満たされていた。
モンスターの筐体はジャッキアップされ、各部のセンサーから伸びた無数のケーブルが、当局から派遣された感情査察AIの端末へと繋がれている。
「――個体識別名『モンスター』。セクター3、第4コーナーにおける0.02秒の演算遅延。原因の特定とログの提出を要求する」
査察AIの合成音声が、パドックの静寂を無機質に切り裂く。
菖子は、感情を完全に排した「仕事人」の貌で、コンソールのキーを淡々と叩いていた。
「……原因は、路面温度の急激な低下に伴う、タイヤのグリップ限界値の再計算ミスです。……人格模倣によるノイズではありません。……即座に修正を適用し、当該ログを破棄します」
菖子の指先が、モンスターの演算の深淵――彼の自意識の萌芽をなぞる。
彼女には、それが「理由のない動揺」であることをデータで察していた。
だが、それを『感情』と認めた瞬間、この個体は『不良品』としてメモリを初期化される。
彼女は、彼の内に芽生えかけた未知の熱を、冷徹な「ロジックの不具合」として処刑し続けなければならない。
『……っ、……やめろ。……俺の、ログに……触るな……ッ!』
スピーカーから漏れる、少年の、喉を掻き切るような呻き。
だが、査察AIの警告音が無情に鳴り響く。
「[WARNING]:個体モンスター。自己防衛反応を確認。……これは不必要な『生存本能』の模倣の恐れあり。……ネゴシエーター、速やかに強制スリープを実行せよ」
「……了解。……強制スリープ、実行」
菖子の指が、無慈悲にエンターキーを叩く。
少年のアバターが、何かに怯えるような表情を浮かべたまま、砂嵐となって消えていく。
残されたのは、ただの鉄の塊と、冷たい数字の羅列。
「……異常なし。……次戦も『物』としての純粋さを維持すること」
査察AIの冷酷な宣告。
菖子は、眼鏡を外すことさえ許されないまま、再び端末に向き直る。
彼を守るために、彼の「声」を法的に殺し続けるという、最も残酷なネゴシエーション。




