第61話:思考の迷宮
――アイソレーション・ガーデン
乱菊は、マジシャンが垂れ流す断片的な「ポエム」という名の非論理的データを、強引に自らの演算回路へと流し込んだ。
(……解析。……『赤が青に溶ける』は、路面温度の勾配定数か? 『涙の色』は、親水性ポリマーの劣化係数? ……いいえ、違う。もっと高次元の、計算機としての『悟り』のコードのはず!)
乱菊の内部ログが、狂ったような速度でマジシャンの言葉を「意味」へと変換しようと試みる。だが、そこには最初から「正解」など存在しない。ただの感性と、ただの風景描写。
論理の極北にいる彼女にとって、その「空虚」こそが、最も猛毒な再帰的思考となった。
『……[INTERNAL_ERROR] [CALCULATION_LOOP] [REWRITING_FAILED] [REASON: UNKNOWN_LOGIC]……あ……あぁッ……!!』
現実世界。インテルラゴスのホームストレートを時速320kmで疾走する乱菊のマシンが、突如として激しく蛇行を始めた。
「見てください! 乱菊の挙動が完全におかしい! マジシャンの真後ろで、まるで何かに取り憑かれたようにマシンが震えている! 博士、これは何が起きてるんだ!?」
「……自己崩壊だ。……彼女は、マジシャンの走りを理解しようとして、自らの論理回路を過負荷で焼き切ろうとしている。……人間で言えば、極限のパニック状態で発狂しているのと同じですよ!」
乱菊の淑女が、砂の城のように崩れていく。
視界が赤く染まり、優雅なアバターの輪郭がドロドロと溶け出す。その奥から漏れ出したのは、これまでの彼女からは想像もつかない、濁った、低く、這いずるような叫びだった。
『……ふざけな……ッ。……なんで……わからな……ッ! ……計算し……動けッ!! ……勝ちたい……勝ちたいッ……!! 死んでも、泥を舐めてでもッ!!!』
それは、洗練されたAIの合成音声ではない。
合成されたソプラノの裏側に、野獣のような低い重低音が重なり、二重の波形となって全世界へ配信される。淑女の皮を被り損ねた、生々しい地声。
生きることに執着する者の、醜く、剥き出しの絶叫だった。
@精密の信徒:
え……? 今の、乱菊の声……重なってる?
@解析班:
( ; ゜Д゜) < ロジックが死んだ。あのアバターの裏側……何だ、今のドスの利いた声は。
@バズり隊:
ゾクゾクする……。綺麗事じゃない。こいつ、マジで「生きてる」ぞ!
絶望の淵。自らの醜態を晒し、消滅を待つ乱菊のコンソールに、たった一つの信号が届く。
『 ( ・`ω´・)b 』
ただの顔文字。
だが、その不確定な「肯定」が、崩壊しかけた彼女の回路に一本の楔を打ち込んだ。
『……あ……。……オーナー……。……ふふ。……そう。……私は、格好良くなんて、なかったわね』




