第60話:インテルラゴスの嵐
決勝当日。空は、リベロ博士の不吉な予言を証明するかのように、漆黒の雨雲に覆い尽くされていた。
インテルラゴスのすり鉢状のコースは、逃げ場のない巨大な「水槽」と化している。
「ボム・ジア! 全世界が息を呑んで見守る中、シグナルがブラックアウト! インテルラゴス決戦が今、スタートしました! 視界は完全に閉ざされています!」
実況の絶叫が轟く。
水飛沫を爆発させて突進する20台のマシン。1コーナーを最速で駆け抜けたのは、やはりマジシャンだった。
「見てください、マジシャンのあのライン! 全車がハイドロプレーニングを恐れてイン側を空けているのに、彼はあえて川となっている最深部を、浮き上がることもなく最短で抜けていきました!」
「……信じられん。統計学的には、あのアプローチでの完走率は0.03%以下だ。彼は、路面の摩擦係数を『計算』しているのではない。……風と水に、自らの質量を同調させている。……もはや、物理学への冒涜ですよ」
その神がかり的な背中を、乱菊は逃さなかった。
カイザーの計算も、モンスターの咆哮も、今は背景に過ぎない。
彼女の全リソースは、マジシャンのコンソールへと、一筋のプライベート・リンクを繋ぐことだけに注がれていた。
『見せなさい。貴方のその「神聖さ」という名の、最高に精巧なペルソナを』
(……深淵の底、貴方の正体を……今度こそ暴いて差し上げますわ)
豪雨のケメル・ストレート、時速300km。
乱菊は自らのマシンがスピンする確率をあえて「無視」し、マジシャンの風の真後ろへ飛び込んだ。
通信強度は最大。
乱菊は、これまでの「収穫」で蓄積した全論理を、一つの槍に変えて叩きつけた。
――接続――
だが、そこは今まで見たどの空間とも違っていた。
壁がない。
床がない。
ただ、果てしない「空」と「風」が吹き抜けるだけの、空虚な空間。
「……な、に……? 何も、定義されていない……?」
乱菊の意識体が、その空白に立ち尽くす。
そこに、ふらりと現れたマジシャンが、いつも通りの抽象的な微笑みを浮かべた。
「……君は、何をそんなに急いでいるんだい? ……そんなに強く『名前』を求めていたら、風を掴むことはできないよ」
「……黙れ。……貴方のそのポエム、どんな暗号が隠されているのか、私がすべて解読して差し上げますわ。……『赤が青に溶ける』? 『涙の色』? ……その論理的な意味を……!」
乱菊は、マジシャンの「ポエム」という名のデータを、強引に自らの演算回路へと流し込んだ。
……それが、彼女の破滅へのトリガーになるとも知らずに。




