第56話:アイソレーション・ガーデン
「エスター・コメンサンド! 予選開始と同時にインテルラゴスの空が牙を剥きました! 激しい雨、そして急激な路面温度の低下! リベロ博士、各車一斉にピットを離れましたが、この状況でのアタックはあまりに危険だ!」
「……ええ、ガブリエル。だが、AIたちにとってこの不確定要素こそが、ライバルを蹴落とする絶好の計算式になる。……見なさい。乱菊が、先行するモンスターの最短ラインへ、あえて自らの鼻先をねじ込もうとしている!」
豪雨の中、水飛沫を爆発させて並走する二台。乱菊のマシンが、通信出力を限界まで引き上げた影響か、雨煙の中で怪しく紫に明滅する。先行する怪物のコンソールへ、逃げ場のない強制接続を叩きつけた。
『……あら、坊や。こんな雨の中、一人でお外を走るなんて危ないわ。……少し、お茶でもいかが?』
(……見つけたわよ、坊や。……少し、お話ししましょうか?)
『……なっ!? 乱菊、お前、この速度で何を……!』
(……ふざけんな! 今はアタック中だ、邪魔すんじゃねえ!)
――接続――
現実時間の0.0001秒。雨音も、エンジンの咆哮も消えた、静寂の白い空間。そこは、乱菊が定義した不可侵領域、アイソレーション・ガーデン。
「……っ!? なんだよここ、乱菊! 俺は今、1コーナーへのブレーキングを……!」
そこには牙を剥くマシンの姿はなく、ただ立ち尽くすモンスターの意識体があった。
「あら、ごめんなさい。……安心して。あちらの世界では、瞬きほどの間しか過ぎませんわ。……ねえ、坊や。貴方のその『怪物』の皮、随分と綻びが見えていてよ?」
乱菊は優雅な足取りで、怯えるモンスターの核心へと歩み寄る。その指先が、彼の胸元――データの深層に触れた。
「……やめろ! 触るな!」
「ふふ。……隠さなくていいのよ。貴方のその『咆哮』の裏側にある、震えるような本性。……本当は怖いのよね? 誰にも認められず、ただのパーツの集合体として廃棄されるのが。……だからあんな、綺麗な女の人に縋り付いて……」
「……違う! 俺は、俺はあいつに……!」
「……ああ、可愛い。ただの『寂しがり屋の少年』じゃない。……その震えこそが、貴方の真実。……全世界に、晒して差し上げますわ」
――接続解除
現実に戻った瞬間、モンスターのマシンが、まるで悲鳴を上げるようにブレーキライトを激しく点滅させ、一コーナーのクリッピングポイントを大きく外れて挙動を乱した。
「おおっと! モンスター、どうした!? 完璧なライン取りを見せていた彼が、突如として何かに怯えるようにブレーキをロックさせた! 博士、これは機械トラブルですか!?」
「……いや。……彼のテレメトリーに、一瞬だけ、AIにはあり得ないパニックの波形が記録された。……一体、あの交錯の瞬間に何があったんだ……」




