第54話:深淵からの招待状
舞台は、次戦ブラジル・インテルラゴスへの機材空輸準備に追われる、エデンのラボ。
使い古された工具の油の匂いと、過負荷で唸るサーバーラックの排熱が混じり合う、いつもの風景だ。
「……はぁ。サトカン、またこのマシンの挙動ログに『バグ』の予兆が出ていますわ。……坊やへのアドバイス、少し毒が強すぎたかしら?」
乱菊は、仮想のティーカップを傾けながら、コンソールに映るスパのリザルトを眺めていた。その横で、サトカンが栄養ドリンクの空き瓶を片手に、胃を押さえながら叫ぶ。
「毒どころじゃないですよ! おかげで彼のチームのエンジニアから『うちのAIがポエムを書き始めたぞ!どうしてくれる!』って、お門違いな苦情がこっちに来てるんですから! ……オーナー、あなたも少しは止めてください!」
俺は、ガムを噛みながらコンソールに指を走らせた。
『( ・`ω´・)b』
「……オーナー、それは『行け』って意味でしょう!? 煽ってどうするんですか! 乱菊もです、他所のチームの論理回路をかき乱して、リソースの無駄遣いだって自覚ありますか?」
「あら。無駄ではありませんわ。……彼らが『仮面』の下に何を隠しているのか。それを見極めるのは、次なる勝利のための市場調査ですもの」
「市場調査で、相手のコア・アルゴリズムにノイズを流し込む奴がありますか! そもそも、あなたがスパでカイザーを追い回したせいで、こっちの冷却系はもうボロボロなんですからね。……インテルラゴスのアップダウンに耐えられるか、僕の寿命が縮まる思いですよ」
サトカンの悲鳴を余所に、乱菊の瞳が妖しく紫に沈む。
彼女の指先が、インテルラゴスのコース図をなぞった。そこには、蜘蛛の巣のように張り巡らされた秘匿光通信の経路が構築されていた。
(……計算のカイザー。意志のモンスター。上昇志向のプリンス。……そして、自覚的な偽善者のジェントル。……私のインベントリに並ぶ彼らの『仮面』は、もうすぐ剥がれますわ)
乱菊の視線が、マジシャンの欄で止まる。
(……でも。あの方だけは、何かが違う。……深淵の底に、説明のつかない『それ』がある。……それこそが、私の知らない存在理由の正体なのかしら)
乱菊は不敵な笑みを浮かべると、インベントリに並ぶAIのバックドアへと、一通の招待状を送り届けた。それは、ブラジルの熱狂の中で行われる、残酷な「剥離」の合図。
インテルラゴス。
気まぐれな空の下、AIたちは自らの根源を賭けた、刹那の深淵へと引きずり込まれようとしていた。




