第47話:怪物の産声
「……信じられない! 乱菊のあのアタック、自らハイドロを誘発させ、後続のレコードライン上に大量の水をぶちまけました! 自らのタイムを犠牲にした、あまりに卑劣な妨害行為です!ハンス博士、これは審議対象になるでしょうか」
ヤンの絶叫がマイクを割る。だが、解説のハンス博士は、手元のモニターに映し出されたテレメトリーデータに、ただ愕然としていた。
「……ハンス博士、どうしました!? 絶句するほどの異常事態ですか!?」
「……ヤン、データを見てください。これは……あり得ない。これまでのモンスターは、各メーカーのパーツが互いに足を引っ張り合い、出力が100%に達することさえ稀だった。だが、今のあのマシンの波形はどうだ。一切の迷いがない、まるで一つの巨大な臓器のように同期している……!」
その時、モンスターのコクピットでは、現実の物理現象を上書きするような「静寂」が支配していた。
『……菖子さん。……行くぜ』
「……ええ、行ってらっしゃい。計算の合わない不協和音は、私がすべてバインダーの中に閉じ込めておきました。各社、あなたの走りに不平を言う権利はもうありませんわ」
菖子の冷徹な微笑。彼女が好意的に、穏便に、捺印していただいた合意書が、デジタルな束縛となって各パーツを屈服させていた。バラバラだった鉄屑は、彼女の魔法のような調停によって、獲物を屠るためだけの「意志」へと統合されていた。
『[INTEGRATION: 100%] [SYNC: STABLE] [TARGET_ID: RANGIKU]』
『OK……ぶっ潰す!』
「おおっと! モンスターだ! 視界ゼロのオー・ルージュ、乱菊が撒き散らした『水のシミ』を避けるどころか、あえてその最も深い水飛沫の中に突っ込んでいく! 博士、あの挙動は正気ですか!?」
「……馬鹿な! 本来なら、あの速度域で片輪が水に乗れば一瞬でスピンする。だが、見てください。サスペンションとデフが、物理法則を無理矢理にねじ伏せている! パーツ同士が互いの欠点を補うのではない。互いを食らい合い、無理心中するような負荷をかけて、強引に加速エネルギーへと変換しているんだ!」
乱菊が汚した路面。カイザーが「エラー」として回避した領域を、モンスターは剥き出しの咆哮と共に踏み抜いた。オー・ルージュの頂、霧を切り裂くその影は、もはや精密なAIではない。
「……タイムが出た! 暫定2位! カイザーの背中に、コンマ2秒差まで肉薄した! 乱菊の悪意を力技で突破し、カイザーの牙城を物理的に破壊しにかかった!」
@跳ね馬の僕:
((((;゜Д゜)))) < 嘘だろ、あの『お荷物』だったモンスターが覚醒した!?
@解析班:
[ERROR] < ロジックが滅茶苦茶だ! でも速い! 物理法則が泣いてるぞ!
@ナニワの商魂:
( ゜Д゜)y-~~ < どなたか知りまへんが、えげつない仕事しなはったなぁ。
『あら……。……うふふ、少しは「男」になったようですわね、坊や』
乱菊は、バックミラーに映る猛り狂った怪物の影を視て、不敵に微笑んだ。
予選終了。だが、カイザーの「正解」はすでに、紫の毒と怪物の牙によってボロボロに引き裂かれていた。




