第44話:鋼鉄の妥協点
舞台は、重苦しい空気が停滞するモンスターのラボ。
乱菊に突きつけられた「勝てる環境を自分の力で手繰り寄せろ」という言葉。それを噛み締めるように、モンスターは初めて、電脳の外側――マシンの、人間たちの領域へ踏み込んだ。
『……なあ。そっちのサスの減衰、少しだけあっちのトラクション制御に譲れないか? 数値上、挙動はこれで収束するはずだ』
モンスターが、表に出ている各セクションのデータ不合を元に歩み寄る。だが、返ってきたのは冷ややかな嘲笑だった。
「……言うのは簡単だがな、小僧。これは性能の貸し借りじゃない。予算と、メーカーの看板を背負った意地の張り合いなんだよ。そのセンサーを優先すれば、こっちのサスメーカーの株価が下がる。そんなことも分からねえのか?」
「数値? そんなもんで飯が食えるかよ。俺たちが欲しいのは『自社のパーツが一番貢献した』という実績なんだよ。性能を下げてまで仲良くするボランティアじゃねぇんだ」
エンジニアたちの裏側には、モンスターの演算では感知できない力学が渦巻いていた。誰が主導権を握り、どの企業のロゴを大きく載せるか。論理だけでは1ミリも解決しない泥沼。
『……っ。……でも、このままじゃ勝てないだろ!』
「勝敗の前に、守らなきゃいけない『大人の事情』があるんだよ。分かったら引っ込んでろ、ガキ」
鼻っ柱をへし折られ、絶望的な「大人の壁」にモンスターが立ち尽くしていた、その時だった。
「――そういうことでしたら、こちらの案はいかがかしら?」
凛とした、涼やかな声。
殺伐としたラボに、場違いなほど美しい女性が立っていた。
「……あ? あんたに何がわかるってんだ。素人は引っ込んでろ」
エンジニアが毒突くが、彼女は、一切動じない。手元のバインダーから流れるように書類を取り出し、特定のグラフを指し示す。その瞳は、一切の揺らぎのない絶対的な静謐を湛えていた。
「問題の本質は、物理的な干渉ではなく、次年度の採用枠を巡るデータ提供の優先順位ですよね? でしたら、このテスト項目を共通化すれば、双方のメンツは立つのではないですか? 予算承認の印鑑は、私がすでに管理させていただいております」
「……っ。……印鑑だと? ……それなら、まあ……。だが、この荷重条件での不整合はどうする」
「それなら、こちらの予備パーツを貸与扱いに。これで会計上の『実績』も等分されますわ」
菖子が提示する代替案。それは技術的な完璧さよりも、関わる人間すべてを「納得」させる、魔法のような調停だった。
数分前まで罵り合っていた大人たちが、魔法にかかったように、あるいは憑き物が落ちたように作業に戻っていく。その光景に、モンスターはただ呆然と演算を停止していた。
『……あんた、誰だ。どうやってあいつらを……』
「今日から全体の調整を受け持つことになりました。桔梗院 菖子です。よろしくお願いします」
感情を排した、完璧な仕事人の顔。
モンスターにとって、彼女はまだ、理解不能な「未知の存在」でしかなかった。




