↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
28/29

剣士の願い

人はいつ大人になるのだろうか。


剣を握った時か。


誰かを守れるようになった時か。


あるいは、大切な人との別れを受け入れた時か。


五年前。


一人の少年は、自分の運命を変えるために必死でもがいていた。


未来を知りながら無力だった少年は、


幾度も傷つき、


幾度も失敗し、


それでも前へ進もうとした。


やがて彼は強くなった。


剣を学び、


魔法を学び、


家族の愛を知った。


だが、成長には代償が伴う。


子供のままでいられる時間は、永遠ではない。


そして今。


少年は人生最大の分岐点へと立たされる。


父から託された願い。


守ると決めた未来。


そして、避けることのできない運命。


これは、一人の少年が歩き出す物語。


戦鬼の息子としてではない。


誰かに守られる子供としてでもない。


己の意志で未来を切り拓く、一人の剣士として。

5年が過ぎた――。


――起きろよ、坊主。


茶髪に蜂蜜色の目をした少女が、容赦なく俺の身体を揺さぶっていた。


俺は片目だけを開ける。


――もう少し寝かせてくれ……。


――起きないなら、あれを使うからね。


彼女は意地悪そうに微笑んだ。


俺は聞こえないふりをした。


――カズマ?


返事はない。


彼女は俺の顔にぐっと顔を近づけ、耳元でささやいた。


――雷神よ[ライジン]……我に力を貸したまえ。


ズドオオオッ!


雷撃が俺のベッドを直撃した。


――アアアアアッ!


俺はカタパルトから射出されたかのようにベッドから跳ね起きた。


――なんで雷で人を起こすんだよ、このクソガキがっ!


少女の目が瞬時に涙で潤んだ。


――お兄ちゃん……そんな言い方ひどいよ……。


その時、マリアが部屋に入ってきた。


カスミは彼女の元へと駆け寄り、そのスカートの端をきゅっと掴んで身を隠した。


――やれやれ……カズマ、妹いじめはそこにしときなさい。


それから彼女はカスミに視線を向けた。


――あと、お前も兄貴相手に実戦魔法を試すんじゃないの。


――だって、お兄ちゃんなかなか怪我しないもん……。


俺は疲れた目を彼女に向けた。


――カスミ、本気で俺を殺そうとするのやめろ。


――起こそうとしただけなのに……。


――雷でかよ!


数秒後、ロベルトが戸口に姿を現した。


――よお、息子よ! おはよう、お姫様!


彼はカスミをひょいと抱き上げた。


――おはよ、パパ!


彼女はすぐにパパの首に抱きついた。


マリアは小さく息をつく。


――さあ、ご飯よ。


その時、俺は奇妙な違和感を覚えた。


ロベルトの様子がおかしい。


笑みは浮かべている。


だが、その目は――。


目が冷たかった。


どこか遠くを見つめるように。


――行くぞ――と彼は言った。


朝食の間、皆はいつも通りに会話を交わしていた。


カスミは途切れることなく喋り続けている。


母さんは微笑んでいた。


だがロベルトだけは黙ったままだった。


じっと観察するように。


何かを思案げに。


変だった。


あまりにも奇妙だった。


やがて彼はマグカップをテーブルに置いた。


――カズマ。


――なんだよ、父さん?


――食ったら手合わせをするぞ。


――……分かった。


途端にその場の空気が重くなった。


少しして。


小屋の外。


俺は微動だにせず立ち尽くしていた。


ロベルトの手には二振りの本物の剣が握られていた。


木刀ではない。


鋼の剣だ。


――父さん……なんで本物の剣なんか持って……。


彼は俺を凝視した。


その顔に冗談の色は微塵もなかった。


――カズマ。


その声は凍てつくように冷たかった。


――一度しか言わん。


彼は足元へと無造作に剣を投げ捨てた。


ガキィンッ!


――本気で来い。


俺はぎょっとして顔を上げた。


――は?


――なぜなら、本気で行かんと……。


彼から放たれた圧倒的なプレッシャーに、俺の身体が硬直した。


――……お前を殺すことになるからだ。


心臓が音を立てて跳ねた。


――父さん……何言ってんだよ、父さん……!?


返答はない。


次の瞬間、彼の姿が消えた。


――なっ……!?


本能が告げる。


俺は咄嗟に剣を掲げた。


ガキィンッ!


凄まじい衝撃の重みに、俺の両足が地面へとめり込んだ。


――くそっ……!


必死に腕に力を込めて受け止める。


だがロベルトはそのまま身体を回転させた。


ドォンッ!


強烈な蹴りが俺の腹部を直撃した。


身体は数メートル後ろへと吹き飛ばされる。


茂みを突き破り。


地面を転がり。


一本の木に激突してようやく勢いが止まった。


――ゴホッ! ゲホッ……!


俺は頭を持ち上げた。


混乱し。


恐怖に怯え。


そして何年ぶりかに見る――。


ユーモアの欠片すらない、かつての「戦鬼」としての親父の姿があった。


――いったいどうしちまったんだよ……!?


木々がざわめく。


背後から気配が迫る。


本能に従い、身体を翻す。


ガキィンッ!


まさに一瞬前まで頭があった空間を、一塊の投石が掠めていった。


――石ころだと……!?


その刹那、別の気配を察知した。


後ろだ。


すぐ間近に。


――やばいっ……!


反射的に身を屈める。


ロベルトの剣閃が頭上の空気を切り裂いた。


もし一瞬でも避けるのが遅れていたら――。


首が飛んでいただろう。


背筋が凍りついた。


――冗談だろ……!


俺は即座に距離を取った。


ロベルトは剣先をまっすぐこちらに向けた。


その目はどこまでも真剣だった。


――言ったはずだぞ、カズマ。


――本気で来い、か……!


――……本気で行かないと、本当に首が飛ぶな――と思い知らされた。


荒く息を吐き出す。


これはもう訓練の範疇じゃない。


今回はガチだ。


俺の魔力が体内で一気に循環を始める。


――重量軽減[ウエイト・カット]!


――身体強化[マッスル・ブースト]!


片手を突き出す。


――黄昏の霧よ、敵の目を眩ませ!


発生した濃密な霧がロベルトの視界を覆い隠した。


隙を見逃さず、一気に肉薄する。


ティインッ!


だが、俺の斬撃はあっさり弾かれた。


――なっ……!?


身体を捻り、彼の脇腹へと蹴りを入れる。


ズウッ!


手応えはない。


ロベルトは微動だにしなかった。


――吹き飛ばないのかよ……!?


次の瞬間、無慈悲な剣閃が俺の首筋めがけて迫る。


紙一重で身を逸らした。


――力押しじゃダメなら……!


歯を食いしばる。


――スピードで圧倒してやる……!


魔力を両足へと集中させる。


――重量軽減[ウエイト・カット]!


――重量軽減[ウエイト・カット]!


――重量軽減[ウエイト・カット]!


――重量軽減[ウエイト・カット]!


――重量軽減[ウエイト・カット]!


身体が弾けたように軽くなる。


俺は超高速でロベルトの周囲を駆け抜け始めた。


――こうなったら、気絶させるしかない!


地面からそこらの石ころを拾い上げ、次々と投げつける。


バシッ!


彼は飛来した石の一つを叩き落とし。


バシッ!


もう一つを華麗にかわし。


バシッ!


三つ目は空中で真っ二さに両断した。


血の気が引いていく。


――化け物かよ……!


――目が見えてねえはずなのに、なんで……。


わずかな隙を見出し、正面から突撃する。


鋭い直突き。


ロベルトは持っていた剣をそのまま真上へと放り投げた。


――は……!?


彼は身をかわして俺の攻撃をやり過ごすと――。


その空いた手で、俺の腕をガシッと掴んだ。


――捕らえたぞ。


反撃する間もなく――。


ドォオオオッ!!


俺は再び大木へと投げつけられた。


背中から強烈な衝撃が幹を叩く。


――グハァッ……!


息をつく暇すら与えられない。


ロベルトが目前に迫る。


拳の連打。


一発。


二発。


三発。


四発。


五発。


容赦ない連撃が俺の腹と顔面を立て続けに捉える。


まるで鉄のハンマーで殴られているかのようだ。


――ゲホッ……!


血を吐き出す。


視界がぐにゃりと歪み始めた。


その時、ロベルトが腕を持ち上げた。


頭上では、放り投げられていた彼の剣が回転しながら落ちてきている。


彼はそれを寸分たがわず完璧にキャッチした。


俺はその場に座り込む。


もう余力など残っていない。


全身が痛む。


ロベルトは剣を頭上に掲げた。


そして――。


ゆっくりとそれを振り下ろす。


俺の頭上めがけて。


切っ先が目の前に迫る。


あと数センチ。


その刹那、俺は震える手を精一杯突き出した。


――雷神よ[ライジン]……我に力を貸したまえ。


ズドオオオオッ!!


凄まじい落雷が空から直撃した。


眩い光が周囲の森を一瞬で白く染め上げる。


ロベルトはその雷をまともに食らった。


一瞬の沈黙。


彼の指から剣がこぼれ落ちる。


身体が大きく揺らぎ――。


そして、そのまま横たわるように地面へ倒れ込んだ。


――……。


俺はゆっくりと目を開けた。


まだ頭がガンガンと鳴り響いている。


視線の先では、ロベルトが地面に倒れていた。


雷に焼かれた彼の衣服から、まだうっすらと煙が立ち上っている。


荒い息を整える。


やがて俺は這うように彼のそばへと歩み寄った。


両手をかざす。


魔力を手のひらに集中させ――。


ゆっくりと。


慎重に。


さっき俺自身が負わせた傷を治癒していく。


数分後、ロベルトがゆっくりと目を開けた。


彼はしばらくの間、無言のまま木々の隙間から覗く空を見つめていた。


やがて、低くかすれた笑い声を漏らす。


――やっぱりな。


俺はその場でピタリと動きを止めた。


――何がだよ?


――お前、手加減していただろ。


深い静寂が森を包み込んだ。


――ずっと前から気づいていたさ……。


彼はふっと目を閉じる。


――だが、信じたくはなかったんだがな。


胸の奥がキュッと締め付けられる。


――父さん……。


――この俺の息子が、俺に同情などしていたとはな。


その言葉は、まるで鋭い矢のように俺の胸を貫いた。


俺はうなだれる。


――ごめん……。


ロベルトは何も言わず黙り込んでいた。


それから、ふっと大きな息をつく。


――カズマ。


――なんだよ?


――もし俺に両腕が揃っていたなら――。


彼はかすかに笑みを浮かべた。


――お前に負けることなどあり得なかったがな。


俺は鼻を鳴らした。


――そんなことわざわざ言わなくていいんだよ。


――ただの事実だ。


ひとしきり、俺たちは静かに笑い合った。


やがて、ロベルトの顔から笑みが消える。


彼は自身の――失われた片腕の肩口をじっと見つめた。


――お前を救うために片腕を失ったこと自体には、一切後悔はない。


俺の表情が引き締まる。


――絶対に後悔などするものか。


その声に迷いはなかった。


揺るぎない確信だけがあった。


だが、その直後。


彼の目に、これまで見たことのない色が宿った。


それは――。


哀しみだった。


――だがな……。


彼はぐっと拳を握り締める。


――人生で初めてだ……。


一拍の沈黙。


――剣士として、これ以上高みへ登れないと悟ったのは。


俺は言葉を失った。


ロベルトはいつだって無敵だった。


圧倒的で、壊れることのない存在だった。


そんな彼が、自らの限界を認めるような弱音を吐くなんて。


ゆっくりと、彼は自力で起き上がった。


――父さん……。


――我儘な願いだとは分かっている。


彼は地面に落ちていた剣を拾い上げた。


――あまりにも身勝手な願いだ。


吹き抜けた風が、彼の髪を揺らした。


――だが、俺の代わりに進んでくれ。


心臓が大きく跳ねた。


――お前には剣の道を極めてほしい。


彼は剣の切っ先を俺に向けた。


――俺の先へ行ってくれ。


――……。


――俺を超えてみせろ。


こみ上げる熱い塊で、喉の奥が詰まった。


ロベルトは笑った。


誇らしげな、自慢げな笑みを浮かべて。


――もうすぐ、馬車が迎えに来る。


――馬車って……どこのですか?


――フォン・シュラデン家だ。


その名を聞いた瞬間、俺の心臓が激しく脈打った。


ロベルトは森の出口へと歩き出す。


――父さん……!


彼は足を止める。


だが、振り返りはしない。


――頼むからさ。


その声は、驚くほど優しかった。


――あの馬車に乗って、ここを出て行け。


――……。


――もう俺がお前の師匠でいられる時間は終わったんだからな。


深い静寂が再び森を支配した。


そして俺は痛感する――。


この瞬間をもって、俺の子供時代は完全に終わりを告げたのだと。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。