過去の声
――プロローグ
強くなったと思っていた。
昨日の自分よりも。
数か月前の自分よりも。
確実に前へ進んでいると信じていた。
だが、それは錯覚だったのかもしれない。
本当の強者を前にした時。
本当の絶望を前にした時。
努力も。
才能も。
覚悟さえも。
あまりに脆く砕け散ることがある。
そして時として、人を壊すのは剣でも拳でもない。
もっと深い場所に残った傷なのだから。
少年はまだ知らない。
今日という日が、自らの過去と向き合う一日になることを。
彼はシャルロットを地面に放り投げた。
少女はよろめきながら後ずさる。
――そして、何が一番屈辱的か分かるか?
彼は左手だけを持ち上げた。
――片手だけでお前を叩きのめしてやる。
俺の血が凍りついた。
くそっ。
もう魔力が残っていない。
すでに魔法を使いすぎた。
チャンスは一度きりだ。
歯を食いしばる。
それから走り出した。
盗賊は不敵な笑みを浮かべる。
――あ? 直線突撃か?
――なら来い。
すぐさま魔法を発動させた。
――ウェイト・レダクション[重量軽減]!
俺の身体が前へと弾き出された。
男の目が細められる。
――加速したか……。
だが、まだ終わっちゃいない。
――トワイライト・ミスト[黄昏の霧]よ、敵の目を眩ませ!
男の目の前で霧が爆発した。
――っ!
彼は顔に手をやった。
――目がくらんだだと!?
笑みが消え失せる。
――このクソガキが……。
――ただじゃおかねぇ。
今だ。
残る全魔力が身体を駆け巡る。
ボディー・エンハンスメント[身体強化]。
筋肉が熱を帯びるのを感じた。
俺の拳が繰り出された。
脇腹へと一直線に。
ズドンッ!
衝撃が森に響き渡った。
――あ……?
俺は凍りついた。
――なに……?
腕が痛む。
拳はまるで壁を殴ったかのようだった。
――嘘だろ……。
ダメージはゼロだ。
まったく効いていない。
その時、温かい液体が伝うのを感じた。
血だ。
鼻血が出ていた。
盗賊がにやりと笑う。
――終わりか?
俺の心臓が底へと沈み込んだ。
――魔力が切れたな、ガキが。
彼は足を振り上げた。
――これでもらっとけ。
ドンッ!
蹴りが俺の腹部を捉えた。
――ガッ!
ドンッ!
もう一発。
――このクソガキが……。
ドンッ!
さらにもう一発。
――本当に俺に勝てると思ったのか?
ドンッ!
ドンッ!
ドンッ!
痛みで気が遠くなりそうだった。
その時、足音が聞こえてきた。
四人の仮面男が木々の間から姿を現す。
――やめておけ、パーシヴァル。
――ガキを殺してさっさとずらかるぞ。
男は舌打ちをした。
――指図するな。
――はいはい、分かったよ。
仮面の一人が肩をすくめる。
――だが、ボスが知ったら機嫌をそこねるぜ。
パーシヴァルの額に青筋が浮き出た。
自分の唇を血が滲むほど噛み締める。
――くそっ……。
地面に唾を吐き捨てる。
――面白みが台無しだぜ。
そして俺に最後の一撃を食らわせた。
ドドーーーンッ!
俺の身体は数メートルも吹き飛んだ。
背中が木に激突する。
メリッ。
何かが折れる音がした。
もしかしたら肋骨かもしれない。
地面に崩れ落ちた。
力が入らない。
息ができない。
起き上がることもできない。
血が顔を伝って流れ落ちる。
視界がどんどん赤く染まっていく。
パーシヴァルが剣を引き抜いた。
刃が日光を反射して光る。
そして彼はそれを俺に向けた。
俺は死ぬんだ。
そんな思考が静かに湧き上がってきた。
結局のところ……。
何もできなかった。
誰も救えなかった。
十分に強くもなれなかった。
運命なんて変えられなかった。
俺はただの役立たずだ。
あいつの言った通りだった。
いっそこのまま死ねばいい。
耳鳴りが大きくなり、音が遠ざかっていく。
そして、ひとつの声が聞こえた。
かつての記憶を呼び覚ます声。
聞くまいと、ずっと忘れようとしていた声。
――お前は本当に役立たずだな!
――一日中ゲームばかりして!
――仕事も見つけられないのか!
――あんな息子を持つなんて恥ずかしいわ!
俺の身体が激しく震えた。
いやだ。
やめてくれ。
もうあんな声は聞きたくない。
剣が振り下ろされる。
鋭く、速く。
まっすぐに俺の心臓へと。
――あとがき
人は傷つく。
体も。
心も。
だが、多くの場合、本当に消えないのは心の傷だ。
少年は敗れた。
圧倒的な力の前に。
埋めようのない実力差の前に。
そして何より、自分自身の弱さの前に。
どれほど強くなっても。
どれほど未来を変えても。
忘れられない記憶がある。
消えない言葉がある。
振り払えない過去がある。
剣が振り下ろされる。
運命が終わりを告げようとする。
だが、本当に終わろうとしているのは命なのか。
それとも――
少年を縛り続けてきた過去なのか。
その答えは、まだ誰も知らない。




