始── 其ノ伍 「月明かりの空に」
「ふぅ......」
ムシャの話、斜忍さんの生まれの話、剣さんの誕生の話、色んな話が終わり、やっと一段落つけた私は自分の家でだらけるように、ゆっくりとソファに腰を下ろす。
そんな私を見て、斜忍さんは一言。
「あっ、一応言っておくけどカブキちゃん、この事、友達とか周りに広めたらダメだからねぇ〜。大事になったら大変だ」
斜忍さんの忠告に、私は滅法ニヒルを気取って答える。
「そこは別に気にしなくていいですよ──だって私、友達いませんので」
「ほぅ、へぇ、そうかい」
拍子抜けしたような声を出した斜忍さんを気にかけずに続ける。
「いないってよりかは、いらない、の方が合ってますね。人生を生きる上で友情なんていらないものなんですよ」
眼鏡をクイッと直し、格好をつける。
薄情、ボッチ、勘違い、なんと呼ばれてもいい。友達なんていらない。これは私の主義であり、ポリシーであるから。誰になんと言われようがどうでもいい。
「友達を作らない主義ね。もし良ければ、どうしてカブキちゃんがそう思うのか僕に教えてよ」
「だって友情だなんて言って、固い絆で結ばれた気になっていますけど、ほんの些細な喧嘩とか惚れた腫れたの仲なんかですぐに壊れる脆い関係性じゃないですか。そんなものに時間を取られたくないっていうか、人を信じたくないというか」
その時、過去の記憶が呼び起こされる。
思い出したくなかった記憶。
忘却すべき記憶。
地獄のような六ヶ月を。
私はこれ以上、人に嫌われたくなかった。これ以上、人に裏切られたくなかった。これ以上、人を信じたくなかった。もう、あんな事を起こしたくはなかった。
だから、私は人を信じる事を、人に信じられる事をやめた。
交友関係なんて、空虚なる偽りの上で成り立つ、ハリボテのテアトルである。
「えぇ〜、それじゃあ僕やツルギ君とはお友達じゃあないっとことぉ? 僕たち同じ盃を交わして、血の刻印を結んだじゃないか」
「そんな事ほんとにしてませんよ! 」
「それに、剣さんと斜忍さんは友達ではなくて、あくまで恩人ですよ」
「恩人って思ってるなら信用してるんじゃあないのぉ。人を信じないじゃあなかったっけ?」
「二人とも人間じゃないですから」
「アッハー、それはそれは、一本取られたねぇ」
斜忍さんはしてやられたと言わんばかりに、自分の頭をポンと叩いた。
まるで落語家のように。
斜忍さんは白い瞳で私の体、つま先からつむじまでをじっくりと、ねっとりと見回した後、妖艶な舌舐めずりをした。
「んふー。僕は友達関係を大事にしたいなぁ。僕、おしゃべりだからね。まぁ、考えは人それぞれだからねぇ。僕はカブキちゃんの考えを否定しないよ。それに──」
「──何かしらの理由があるみたいだからね」
その目には、その言葉には、私の全てを見透かされているかのような、底が見えないおぞましさがあった。
重い雰囲気なってしまった(ただ私一人が引き起こしたものだが)廃工場の中に、予期せぬ電子音が鳴った。
その音はあまりに場違いで、あまりに素っ頓狂だった。
音の震源地は、ソファに置かれたままだったカバンの中、スマートフォンから。
その音がスマホのメール音だということはすぐにわかった。
カバンの中からスマホを取りだし、電源をつけると、時計に表示された時刻は既に八時を過ぎていた。
こんなに経っていたのか。まだ七時頃だと思っていた。
こんなことより私の目に止まったのは、その下、メール欄には父からの心配のメールと母からの怒りのメールが数件。
そりゃあまあ、あんなことがあったら神経質にもなるよなぁ。
親不孝に親不孝を塗り重ねる私だが、これ以上上塗りすると両親が不憫でならないため、そろそろ帰ることにはしよう。
「あぁ〜、もうそんな時間かい。うぅん、ならツルギ君、カブキちゃんを送って言ってあげて」
「わかった。でも、どうしてだ? 」
「カブキちゃんにはムシャの残り香がついている可能性があるからね、念の為だよ、念の為。それに男の子は女の子をエスコートするものでしょ」
私と剣さんは斜忍さんに見送られ、廃工場を後にする。
いくら夏が近づいている五月でも、八時を過ぎると空はすっかり暗く、上を向くと疎らに星が見える。
「傾の家の住所を教えてくれ。住所さえ分かれば、あとは大丈夫だ。巴市の地形は全部、この頭に入っている」
私が剣さんに家の住所を伝えると、なるほどここか、と合点が言ったように手を打った。
「あぁ、あそこら辺か、わかった。着いてこい」
剣さんは先頭に立ち、私もこの後ろについて行く。
暗がりの町を歩くこと十分程、剣さんとの会話はほとんどなし。
行きの時も、廃工場の時もそうだが、剣さんは寡黙で口下手な方らしい。
送ってもらうのが斜忍さんだったら、ひたすらに話し続けていただろう。
「今日は色々と迷惑かけてすまなかったな。斜忍の奇行とかな......」
「でも許してやってくれ、あいつがあんなに楽しそうに話をしていたのは久しぶりなんだ。ムシャの話とか自分の身の上話とか、できた相手は久しぶりだろうし」
「別に大丈夫です。それに、迷惑かけて謝りたいのはこっちの方ですし」
二人で歩く事、二十分がたっただろうか。
辺りを歩く人の姿は一向に見えず、それが何故だか私の恐怖心を仰ぐ。
「どうした、傾? なんだ、怖いなら手でも繋ぐか?」
剣さんは歩みを止めないまま、こちらに手を差し出してくる。
これはガチのヤツなのか、それとも冗談で言ってるのか?
どっちだ? ガチか? 冗談か?
ガチだ。私はそう結論付け、剣さんの手を握る。
私が手を握った瞬間、剣さんはとても大きく身震いした。
あれ、これ多分、冗談で言ってたヤツだな。
やばい、恥ずかしい。冗談で言われた事を本気と受け取って、これじゃ洒落の通じないやばい人じゃないか。
恥ずかしい。今の私の顔は剣さんと変わりようがないぐらい真っ赤に染まっているだろう。
親に手を引かれる子供、もしくは付き合いたてのカップル宜しく、手を繋いで歩いていく。
恥ずかしくて仕方がない。けれども、私から手を離すことも出来なかったし、剣さんからも手を離してはこなかった。
手を繋いでから、私たちは一言も話せなかった。
私の口一文字に結ばれた唇は、アダマンチウムの如く硬く結ばれている。
気が付けば街並みも見知ったものへとなってきた。
そんな時、静寂を破り剣さんは言った。
「傾、俺はお前にとても感謝している」
「な、なんですか、そんないきなり......」
「俺は今まで、ムシャに襲われた人間を何人も、何十人も助けてきた。だけど、助けた人たちはおれの姿を見ると、怯えて逃げてしまった。そりゃそうさ、普通の人からしたら、もっと強い化け物が襲ってきたようにしか見えないだろう。でも──」
「傾、お前は違った。お前は俺の手を掴んでくれた。この手の鋭さがわかっていて、それでも尚、俺に感謝をする為だけに。俺は、嬉しかった。この上なく、嬉しかった。俺の存在が肯定されたような、そんな気がした」
「だから、だから、俺はお前にとても感謝している。ありがとう」
私はこの言葉に対し、何も言い返すことはできなかった。
キザな言葉も、純粋な言葉も、何も頭に浮かばなかった。
私はただ、この言葉は脳で何度も反芻した。
気が付けば、よくよく見知った場所が。
二階建ての一軒家。
表札には『傾』と。
「ここで合ってるか?」
「はい、合ってます」
ここに来て、別れの時間が来てしまったようだ。
剣さんは私の手を離す。
手からは感じるはずのない温かみを感じる。
ドアの前に立ち、剣さんの方を向く。
「今日は何から何までありがとうございました」
深々と頭を下げる私に剣さんは、
「ふふ、それじゃあな。また来たくなったら、何時でも廃工場に来てくれ、俺か斜忍かどっちかはいるだろう。もし居なくても、好きに入ってくつろいでいてくれ、本だけはあるからな、あそこ」
「それじゃあ、また明日」
去りゆく剣さんに私は手を振り続けた。その姿は見えなくなるまで、ただひたすらに。
剣さんが見えなくなったあと、扉を開けて玄関に入った私の前に現れたのは二人の人影。
父と母だ。
どうやら、私がメールに既読を付けてから帰るまでの間、玄関の前でずっと待っていたらしい。
私は足早々に、玄関からリビングに向かい、母の説教を適当に聞き流しながら、夕食を一人喉に流し込んだ。
夕食を食べた後は、脇目も振らずに二階に駆け上がり、ベランダに出る。
何かあった日は一人、ベランダから空を眺め感傷に浸る。
幼少期からのルーティンである。
空を眺め、今日一日を振り返る。
ムシャとの遭遇。剣さんや斜忍さんとの出会い。
濃い、濃すぎるな。今から、出版社に行って、この話を自伝にでもしたら全ての賞を掻っ攫えれる気までしてきた。
私は大きく深呼吸をし、剣さんの言葉を思い出す。
「感謝、ね......」
ここは巴市。田舎でも都会でもない、微妙な町。こんな町の空から見える星はまちまちだったが。
その日はいつもより、月が綺麗に見えた。




