刀── 其ノ拾漆 「再び問おう、覚悟とは」
私が必死に練り上げた策。
それはある人が聞けば、できるわけが無いと鼻で笑い、またある人が聞けば、その愚かさに感嘆すらするだろう。
これほどまでに、愚かで成功確率の低い作戦。
だが、私にはこんな策しか思い浮かばなかった。
恨むならこんな愚かな脳に私を産んだ両親に恨むしかないな。
しかし、その作戦を行うためには、まず一つ検証しておくべき事がある。
その検証結果次第によれば、練り上げた作戦が全てお釈迦になる可能性もある。
それをされる困るんだがな。
「剣さん! ちょっとこっちに来てください!」
ひたすらに向かってくる幾つもの触手を切り裂いていっている剣さんに声をかける。
この作戦、剣さんと私、二人がいないとできない策である。
「ん? こんなときにどうした、傾」
刀を振り回していた剣さんだったが、私が呼ぶとすぐにその手を止めて、こちらまで下がってきた。
「私、斬血・剪定刀を倒す作戦を一つ思いつきました。この作戦を行う前にしておかないと行けないことがあって......。それには剣さんが必要不可欠なんです」
「その前にだ。傾が考えた策とやらの成功確率はどれぐらいだ?」
「私たちが頑張れば──百パーセントです」
「頑張れば──なんて言われてもなぁ......頑張れば出来るなんて根性論じゃないか」
剣さんは大きな溜息を吐き、真っ赤な被り物のような頭を抱えた後、
「でも、俺には現状を打開できそうな策は何も思いついていない。傾の策に乗っかかるしかないみたいだ。それで、俺は何をすればいい?」
私は剣さんに近づき、耳打ちで今から行う行動を伝える。
二人しかいない状況でわざわざ小さな声で作戦を伝える意味はないのだが、もし斬血・剪定刀が知能の高いムシャだった際困るからな。
「危険すぎるぞ......でも、やるしかないんだな」
私に耳打ちされた後、しかめっ面をした剣さん。
これから行う作戦はもっと危険度の高い作戦なんだけどなぁ。
作戦の方はギリギリまで剣さんには教えないでおこう。
私と剣さんは隣同士、距離を開けて立つ。
二人の距離が一定間隔離れている──それが第一条件だ。
「それじゃあ行きますよ。右、左、右」
一歩、二歩、三歩。
右足、左足、右足。
と、私たちは同時に歩く。
互いを見合って、歩幅、踏み出す足を揃え、前に前にと進んでいく。
何歩か歩き、右足を前に踏み込んだ時、前から異様な空気を感じた。
前──斬血・剪定刀を包んだ黒い大きな塊を見ると、そこに顔が浮かび上がってきた。
顔が浮かび上がると、その顔についている口の中から触手が飛んでくる。
それは即ち、斬血・剪定刀の敵対範囲に入ったってことだ。
「よしっ」
剣さんも私も右足を出した状態から一歩も動かない。
前にも後ろにも。
右にも左にも。
すると、口から出てきた触手は私の方向に十本、剣さんの方向に十本。
ちょうど半分づつだ。
先端が凶器のように尖った触手は、こちらに向かって一直線に向かってくる。
だが、私も剣さんも避けることも防ぐこともしない。
何もしない。
こんな鋭利な先っぽが十本も刺されば、私は蜂の巣状態になってしまう。
そう考えると、震えが止まらなくなる──
「今だっ!!」
剣さんは刀を抜き出し、触手を切り裂く。
すると、私の顔まで残り数センチの距離まで近づいていた触手は勢いよく方向を変更し、剣さんの方へと突っ込んでいった。
私が一歩、二歩と斬血・剪定刀の方に近づいても、一切目もくれずに触手を切り裂いていく剣さんの方向へと触手は伸びていく。
推測が当たった!
斬血・剪定刀の敵対範囲に敵対対象が二人以上入った場合、接近距離が近い相手か、危害を加えた相手、どちらを優先するかが懸念点だったが、結論が出た。
私がどれだけ近づこうと、触手に直接ダメージを与えている剣さんの方に触手は優先されている。
これなら、私の作戦は成功する......!
「傾、俺はこれからどうしたらいい? 傾の考える作戦はなんだ?」
「剣さんにはとにかく斬血・剪定刀へのヘイトを稼いでもらいます。触手はより多く危害を加える相手を優先するので、触手をいっぱい斬ったり、黒い塊本体に攻撃したり、とにかく触手を引き付けてください」
「作戦は教えてくれないのか!? だが、とにかく暴れればいいんだな。だが傾、絶対に危険なことはするなよ。お前は普通の人間なんだ」
ごめんなさい剣さん。
この約束、守れそうにありません。
できるだけ、剣さん、いや触手から離れた位置まで移動する。
できるだけ触手から離れたいのもあるが、剣さんに見られたくないものある。
剣さんに見られると心配されてしまうから。
一定距離を離したのに、大きく深呼吸をする。
これからのことを考えると、無意識に足が竦む、無意識に手が震える。
あくまで、剣さんの方にヘイトが向いているからって、私の方に攻撃をされないと限らない。
これからの私の行動によっては、触手が全て私に飛んでくるかもしれない。
新しい攻撃方法が来るかもしれない。
馬鹿が即興で考えた作戦なんだ、外れる可能性もある。
その時、私の体は無事じゃないかもしれない、何ヶ月、何年も入院するかも、一生残る障害ができるかも、死んじゃうかもしれない。
でも、約束したんだ。
甘利田さんと。
私のために。
私の誇り。
「............ッ!!」
私は脇目も振らず、斬血・剪定刀がある方、巨大な黒い塊へと走り出した。
足がパンパンで、走る度に脹脛と足下が痛い。
こりゃ明日は筋肉痛コースだな。
ある距離まで走った時、剣さんの方に伸びていた触手が二、三本私の方に向かってきた。
なんのこれしき、数本はこちらに来ることぐらい、想定済みの事項だ。
目の前に迫ってくる三本の触手。
これに対する私の対策は──
「強行突破だァーーーーーー!!」
伸びてくる触手に対し、それに対抗する武器は私は持ち合わせていない。
持っていたところで、私には扱いきれない。
だからといって背中を見せて敵対範囲外まで逃げるなんて、以ての外だ。
即ち、私にできることは、避けて、躱して、防いで、突っ切るだけだ!
包丁のような先端を突き立て、迫ってくる三本の触手に、私は守るべき部位、頭と心臓を手で覆い、駆け抜ける。
「ーーーーッ!!」
鋭利な触手は、幸いにも私の体を掠めただけで、再起不能の傷は付かなかった。
掠った部位は前腕、頬、太ももの三箇所だけである。
走れば走るほど、体を突き抜ける風が傷口に染みる。
痛い。
「おい、傾! さっきから姿が見えんが、一体何をしているんだ!」
触手を切断する音の中から、一際大きな声がこちらに聞こえてきた。
変に隠して剣さんの行動を止めることはダメだ。
ここは全てを伝えよう。
「今は、黒い塊へと──斬血・剪定刀本体の方に向かって行ってます! これが、甘利田さんを助ける唯一の方法なんです!」
「何ッ!? 斬血・剪定刀に近づいてるだって!? 危険すぎるぞ、これがお前の考える作戦なのか!」
「はいっ! 黄金郷と戦って、甘利田さんを助けた時のことを思い出して考えた作戦です。あの黒い塊は剣さんが斬血・剪定刀を壊そうとした時に出てきた、つまり核である刀本体を守る外殻なんです。ということは、核である刀を抜き取ってしまえばいいんですよ!」
核である甘利田さんを守るための外殻として黄金郷が生まれたように──核である斬血・剪定刀を守るための外殻として黒い塊ができたのならば。
核である甘利田さんを抜き取られた黄金郷がその形を保てず崩れ落ちるように、刀を抜かれた黒い塊は消えていくはずだ。
そうしろと誘っているかのように、黒い塊の頂点には勇者の剣ように斬血・剪定刀が突き刺さっているのだから。
「でも斬血・剪定刀も馬鹿ではありません。本体である刀を抜き取ろうとする、自身に危害を加えようとする相手に対して防衛してきます。けれどもそれは、黒い塊に対して距離が近い相手より、黒い塊により攻撃を仕掛けている方、斬血・剪定刀にとってより脅威度の高い方に優先されているです!」
今、私の方に伸びていた三本の触手も、私の体を掠めると満足したのか、より脅威度の高い剣さんの方に向かった。
攻撃もせず近づいてくる私より、何十本もの触手を斬っている剣さんの方が危ないと判定したのだろう。
「だから、この作戦には二人必要なんです。刀を抜き取る役と、触手のヘイトを稼ぐ役。私には二十本もの触手を相手にすることなんてできません。だから、私が刀を抜き取る役で、剣さんがヘイト稼ぎ役なんです!」
「だからって、奴の至近距離に丸腰で近づくなんて。もし、予想外のことが起こった時に、傾、死んでしまうぞ!」
「大丈夫ですよ剣さん。私は死にませんから!」
「どうしてそう言い切れるんだ!」
「それは──約束したんですよ、甘利田さんと」
お互いに死なないって。
だから剣さんもお願いします。私が死なないように、斬血・剪定刀の注目を集めてください」
私がそう言った後は、剣さんと雄叫びと刀を振る音、そして触手の肉が切れる生々しい音だけが室内に響いた。
ただ我武者羅に、ただ釈迦力に、痛みと思いを抱えて走り、ようやく黒い塊の麓にまで着いた。
走った距離は全然短いはずなのに、マラソン大会ぐらい疲れている。
でも、あとは登るだけだ。
私はボルダリング選手のように、黒い塊に指を引っ掛ける。
手が黒い塊につくと、ねちゃりとした感覚と共に、手が張り付くのを感じた。
甘利田さんの体に浮かんだ手形を触った時と同じだ。
だがその粘着質が私の掌を壁に食い込ませ、落ちる可能性を消してくれた。
これなら簡単に上まで登れる。
巨大な黒い塊と表現したが、その高さは三、四メートルぐらいだ。
へばりつけた右手に続けて、左手、左足、右足も塊にくっ付ける。
上に登るために、右手より下にある左手を引き剥がし、右手より上に引っ掛ける。
中学時代、珍しくうちの学校にはボルダリング部があり、友達(当時はいた)に誘われ体験入部した経験が今役に立った。
同じように、左足、右足、右手、左手と動かしていっている時だった。
頂上まであと少し、こんな順調な時に、私の左手は何かが盛り上がっているのを感じた。
次の瞬間、黒い塊、私の左手の置かれた部分から人間の顔面が浮かび上がる。
触手が──飛んでくる!
咄嗟に塊から手を離そうと、手を後ろに引っ張ったが──
「あああああああああッ!!!!」
遅かった──
あと一歩、あと一手遅かった。
粘着質の物体が私の手から剥がれるのに時間がかかり、私の手は──私の指は──恐ろしく鋭敏の触手に貫かれた。
「あ......ああ......あああ......」
三本、ない。
二本しかない。
完全な指は。
私の左手の人差し指、中指、薬指は触手に切られ、第二関節から先がなくなっていた。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
指が切られたと自覚した瞬間、頭の中に、脳の中に、激しい痛みが駆け巡る。
頭の中全て真っ白に、真っ赤に染まる。
こんな紅白はまっぴらごめんだ!
失った指の断面からは、ドロリと大きな血液が溢れ出し、掌に沿って下へと流れていく。
そして私はとても愚かな行為をしてしまった。
痛みに脳を焼かれ、怒りに脳を囚われた私は、左手を、ズボンのポケットに突っ込み、篠ちゃんから返した貰ったシャーペンを取り出し、芯を最大まで出して。
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
思い切り、浮かび上がる顔面の眼球に差し込んだ。
眼球に突き刺さったシャーペンをぐりぐりと、ぐちゃぐちゃと掻き回し、奴の眼球を抉る。
「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」
何度も、何度も、シャーペンの先端を目の中に突き刺し。
──くり抜く。
──ほじくる。
──穿つ。
怒りと痛みに腕を、手を、指を、体を、頭を、脳を、心を任せ。
目に差し込んだまま、そのまま力任せに下方向に下ろしていく。
浮かび上がる顔面からはどす黒い血なのかどうかも分からない液体が勢いよく吹き出していく。
愚か、愚か、愚か、愚か、愚か。
実に愚かである。
実に愚直で、実に愚劣で、実に愚昧で、実に愚挙である。
痛みと怒りに脳を破壊され、よりによって仕返しをしてしまうなんて。
斬血・剪定刀は攻撃をしてきた相手を敵対する。
「あがァッ!?」
腹部に──違和感。
痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い。
熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い、熱い。
何が、何が、起こったんだ。
何が、何が、何が、何が、何が、何が、何が。
痛い、痛い、痛い。
今まで感じたどんな痛みより、痛い。
指が千切れた感覚なんて消える程。
私はゆっくりと、ガクガクする首を動かし、腹部を確認する。
「ひぃッ!!!!」
私の脇腹に──触手が深々と刺さっていた。
目で見て、理解した瞬間、震える──
頭が、体が、全部全部全部。
何が起きたんだ?
何が起こっているんだ?
勿論、本当に理解できていない訳じゃない。
横っ腹を鋭い触手に貫かれた。
ただそれだけだ。
分からない。
分かりたくない。
この状況を脳が拒んでいる。
私は必死に唇を食いしばる。
こうでもしないと、気がおかしくなってしまう。
私が壊れてしまう。
いや、もう既に壊れているか。
目から涙が、鼻からは鼻汁が、口からは唾液が、体からは汗が、絶え間なく流れていく。
私には止めれない。
それに多分、漏らしてるし。
前、後ろ、どっちだ?
出来れば前が良いな。
この歳で後ろは漏らしたくないな。
もしかしたら、前後ろ両方かもしれないが。
「いっっっっ!!!」
ズルリと触手が私の脇腹から抜き取られる。
触手と一緒に中の臓器が全て抜き取らたかのような虚脱感。
それに、熱い。
傷口に夜風が吹き入り、焼け付くような痛みが。
痛い、痛い、痛い、痛い。
その上、堰が壊れたダムのように血が絶え間なく腹から流れ落ちる。
私のズボンを、脚を、つま先を、温かい鮮血が染め上げる。
これで漏らしたこともバレないな。
「ウッ............」
胃も変だ。
胃の中が満たされるような。
実際には腹から流れていっているのに。
胃の中に血がミチミチと詰まっていき、それが肺に、喉に、どんどん上へと上がって──
「うおぇ...」
口の中からドロドロの血が溢れ出た。
──吐血。
口の中が酸っぱい。
口から血を吐き、腹から血を垂れ流し、指が千切れ、全身から汁という汁を吹き出した私は、何ができる......。
これ以上痛いのは嫌だ。
苦しいのは嫌だ。
もう全部嫌だ。
でも、でも、でも、でも、ここで何も出来ず終わるのはもっと嫌だ。
意識ある内。
命ある内。
絶対に、約束を果たす。
てっぺんまではあと少しだ。
千切れた指のある左手は使い物にならない。
右手、右足、左足を死に物狂いで動かし、頂を目指す。
「スフゥ......ゲホッゲホ......フゥ......スゥ......フゥフゥフゥ......」
短いはずの距離が無限にも感じられたが、ようやく頂上にまで着いた。
頂上には斬血・剪定刀が突き刺さっている。
刀身が半分黒い塊に埋まり、柄が見える。
勇者の剣気取りかよ、お前なんて魔王の剣だよ。
でもそれはちょっとかっこよすぎるかもな。
これを──抜けば。
これを抜けば全て終わるはずだ。
でも抜く前に私が終わりそうだな。
メガネを付けてるはずなのに、視界がクラクラとバチバチとボヤける。
あの時とは違うが、確実に死が近づいているのが分かる。
斬血・剪定刀の持ち手を力がほぼ入らない左手で握り、この上から激しい力を込め右手で握る。
「..................ッ!!!!!!!!」
「抜けろッ!! 抜けろッ!!」
思い切り、思い切り、引っ張る。
思いを、想いを腕に込めて。
「おおおおおおおおおおおおっ!!」
──抜けた。
斬血・剪定刀は黒い塊からすっぽ抜けた。
その刃は、甘利田さんがいつか言っていたボロボロの錆刀ではなく、新品同様の輝きを誇る刀だった。
安堵感を感じさせるまもなく、私の体は奇妙な感覚に襲われた。
──入ってくる。
──何かが。
刀の掴む手から──指と爪の間から──千切れた指の断面から──何かが。
何かどす黒いものが、私の体の中に入ってくる。
それは全身を駆け巡る。
血管を通り、細胞に混ざり。
手に、胸に、腹に、股に、足に、首に、顔に、頭に、全部に。
私の頭は真っ赤から真っ黒に。
赤齣から黒齣に。
紅蓮から漆黒に。
赤から黒へと変わり、文字通りブラックアウトした。




