刀── 其ノ拾弐 「負け犬の勇気」
私は鉄の塊でも乗っているのかと思うほど重たい瞼を開ける。
そして目に飛び込んできた閃光。
部屋に初めて入った際と同じ、黄金の部屋の眩しさに目が眩んだのだ。
視界が万華鏡のようにグルグルと回る。
その理由が、部屋の眩しさに目が眩んだからなのか、気絶から目を覚ましたばかりで、脳に血が足りずに立ちくらみをしたからなのか、ただ単にメガネをつけていないかは分からない。
まぁどうでもいいか。
視界がボヤけるせいか、上手く立ち上がれず床に頭から倒れそうになってしまったので、私は咄嗟に手で床を支えた。
これが間違いだったのかもしれない、いや間違いだったと胸を張って言おう。
手を床につけた瞬間、掌いっぱいにニュルニュルとした不快な感覚と妙な温かみが広がった。
目がよく見え始め、よく分かる。
それは私が吐いた吐瀉物、ゲロだ。
「うげっ」
私は自分の吐瀉物に手を突っ込んだのだ。
うわぁ、まじか。
手をついたお陰で、頭から突っ込まなかっただけマシだと考えるか。いや、できない、普通に嫌だ。
そういや、今日の晩御飯はなんだったっけな?
そうだ、焼きそばだ。
気持ちが悪いので詳細に説明することはしないが、まだ完璧に消化しきれていなかったみたいだ。
色とかそうだし、麺の切れ端とかあるし。
晩御飯なんて食べずにウィダーインゼリーとかを食べておけば、私の吐瀉物も、もっとマシな見た目をしていただろうに。吐瀉物にマシな見た目もクソもないとは思うが。
腹が減っては戦ができぬ──なんて言う言葉が存在するが、腹がいっぱいでも戦はできぬのだ。
私は立ち上がり、掌に付いた吐瀉物を払ってから、痛む右側頭部を押さえつけ、睨みつける。
睨みつける相手は勿論、腹を殴ってきた挙句、頭に蹴りを入れてきた、動く黄金の女性像だ。
眼鏡を付けておらずボヤける視界(裸眼での視力は0.3ぐらい)で彼女を睨みつける。
敵対する意味もあるのだが、それ以上に目を細めないと相手が見えないのだ。
数秒間睨みつけたが、相手は一切として動く気配を見せない。
それがチャンスならば、有効に使って見せよう。
私は辺りを見渡して、蹴られた際に飛ばされた眼鏡を探す。
かなり離れたところに眼鏡を見つけ、取りに行く。
眼鏡を作った人間は偉大だ。
眼鏡をつけていないのとつけているのとでは視界が全く違う。
眼鏡越しの視界で辺りの状況を確認する。
剣さんを叩き潰した巨大な手、その手から繋がる異形のムシャである黄金郷、その黄金郷の中に捕らわれた甘利田さん、そして憎き黄金の女性像。
黄金の女性像は感情というものが存在しないような無機質な顔でこちらを見つめてくる。
無表情、それはどんな表情よりも恐ろしい顔だと私は思う。
感情が、思考が分からない相手に対して、どこか相容れない恐怖を私は感じてしまう。
だけど、逃げない。
私は誓ったのだ。
甘利田さんを助けると。
誰のためでもなく、私自身のために。
「いったぁ............」
ズキンと突き刺さるような痛みに顔を顰め、その痛みの患部である右側頭部をさする。
さすった後の手を確認。大丈夫、血は出ていないみたいだ。
「クッソォ...... よくも、よくもやってくれたな。さっきの痛かった......痛かったぞーーっ!!」
大声でフリーザの真似をする。
一見ふざけているようにしか見えないと思うが、こうでもして強がらないと私は正気を保っていられないのだ。
怖い、怖い。
今はまだ目立った外傷は見当たらないが、次にあの拳をもろにお腹に食らったら、中にある臓器がぐちゅぐちゅに潰れてしまうかもしれない。次にあの蹴りを頭に打ち込まれたら、頭蓋骨がひび割れるかもしれない。
両手足の震えが止まらない。
武者震い? な訳ないだろ、ただの身震いだ。
歯を噛み締め、全身に力を入れる。
私は黄金女性像に向き直り、構えをとる。
足を引き、身を屈め、腕を前に出す。
トリケラトプス拳である。
「さぁ、かかってこ──」
──私が全てを言い切る前に女性像は、私に向かって一直線に走りかかってきた。
そして拳を握り、その握り拳を私にお腹に向かって──
「危なぁっ!」
間一髪で右に避けることができ、あの拳から免れた。
体育のドッジボールでただひたすらに避け続けた甲斐があったな。
このせいで小学校の時は、ウザがられた経験は何度かあったが、今日の日のためだと思えば、あの時の痛みも昇華される。
黄金女性像は私に躱され、そのまま地面に突き刺さった拳をゆっくりと引き抜く。
地面に埋まるなんてなんつー威力してるんだ。
そしてもう一度、私に走りかかってきた。
「よっ──と」
非常に素早い動き──ではあるが、来るとわかっているのなら、避ける事は困難ではない。
まぁこんな余裕なことを言っているが、実際は一発でも当たったら次は無いという限界から、冷や汗ダラダラである。
その後も黄金女性像は何度も繰り返し、私に向かって走り出し、私に躱され、その拳を地面に埋め込んでいる。
ははーん、もしかして此奴、単純だな。
相手に拳を叩き込み、怯んでいる間に頭に蹴りを入れる──そのワンパターンしか脳にプログラムされていないのだろう。最初の工程である拳をお腹にヒットさせることが成功しない限り、奴はこちらに向かって拳を叩き込もうとする攻撃、それしかしない、それしかできないのだ。
本体である黄金郷から飛び出した傀儡、そう考えればスペックが低いのも十分に考えられる。
まぁそれも私の見解であり、全く違う可能性も有り得──
っと、やっぱり避けてばっかりだといたちごっこだな。
唯一の頼みの綱だった剣さんも、黄金郷の大きな掌に潰されて安否も分からない。
「あれってもしかして......!」
剣さんを叩き潰した巨大な手の方を見ていると、すぐ横に思わぬものを発見した。
饕餮刀。
剣さんが手にしていた刀である。
これを使えば、黄金女性像を倒せるかもしれない。
一筋でも希望の光が見えたのなら、それに縋りついていくのが私のスタイルだ。
とりあえずは、私と女性像を饕餮刀の近くまで移動させないといけない。
相手はバカ真面目にもこちらに突進してくるだけなので、まぁ余裕ではある。
難易度でいえばゲームの二面の中ボスぐらいだ(一発でも当たればゲームオーバーだが)。
黄金女性像の猛進を避け続け、一歩また一歩と着実に、饕餮刀の元へと歩みを進めていく。
今思ったが、饕餮刀を手に入れたとしてどうやって使うんだ?
饕餮刀はジャンルでいえば青龍刀のジャンルであるが、青龍刀なんて使ったこと一度も無い。
それどころか凶器なんて包丁ぐらいしか使ったことがないぞ。
そうしていると、黄金女性像はまたもやこちらに駆けてくる準備をする。
陸上選手のような姿勢のいいクラウチングスタートの構え、それがダッシュの合図である。
その構えをしてから二秒もしないうちに、全速力で駆けてくる。
両手を大きく振り、両足を大きく上げる、これもまた姿勢のいい。
うちの弱小陸上部なんか、これを手本にすればいいと思ってしまうほどの姿勢である。
そして途中で、振り上げた左手を握り拳にする。
これをした時には、体の全神経を集中させ、避ける準備をしないといけない。
そして、足で地面を蹴り上げてこちらに飛び込んでくるように拳を前に突き出す黄金女性像。
「今ッ!!」
このタイミング、このタイミングである。
このタイミングに、よ 横に避けるのだ。
この瞬間から一秒でも遅くても、早くてもいけない。
正にパリィである。
私という標的を見失った黄金女性像だが、飛び込むような形になっているため止まることもできず、そのまま拳は地面に突き刺さる。
地面に埋まるほどの威力の拳が私のお腹には一度当たっているのか。もしかすると私の腹部の臓器は既にぐちゃぐちゃなのかもしれない。
やっと痛みが引いてきたんだ、ぶり返すようなことはあんま、考えないでおこう。
むせかえるほど煌めく黄金の地面に突き刺さったむせかえるほど煌めく黄金の腕はそう簡単には抜けないらしく──
「そうだ、この時間! 後隙を使うんだ!」
黄金女性像の腕が地面にめり込んでから引き抜くまで、無防備な硬直時間が存在する。
その硬直時間に饕餮刀を使って黄金女性像を狩れば──勝てる。
作戦が決まったのなら後は実行するだけだ。
有難いことにも、饕餮刀の落ちている位置まではもうすぐだ。
黄金女性像の猛進を避けながら、饕餮刀のある方へとゆっくりと歩みを進める。
刀に近づけば近づくほど、心音は耳につんざくほどに大きく鳴り、肩息をする回数が増える。
もし私がミスしてしまったらどうなる......?
もう抗うすべがない。
「ヒュー......ヒュー......ヒュー......」
──やめろ、考えるな。
ただひたすらに目の前の使命に向き合え。
ただ一心に目の前の使命に向き合え。
ただ愚直に目の前の使命に向き合え。
饕餮刀は、もう足元だ。
集中しろ、集中しろ。
黄金女性像は膝立ちし、前に倒れて腕を地面につける。クラウチングスタートの構え、走り出す最初の工程だ。
今のうちにもう饕餮刀を拾っておこう。
「ハァ......ハァ......ハァ......ハァ......」
私が屈み、饕餮刀の柄を掴んだ時、黄金女性像はその腰を腰を高く持ち上げた。
走り出す合図だ!
「ハァハァ......ハァハァ......」
黄金女性像は私に向かって四角四面に駆けてくる。
何を気を張っているんだ、さっきからずっとやってきたことだろ。
たなびく赤い布に突進する闘牛の如く一直線に向かってくる黄金女性像と私の距離はどんどん近づいていく。
まだ動くな、まだ動くなよ。
ジャストタイミングまで待て。
タッタッタッタッタッタッタッタッタッ──
「今だッ!!」
さっきまで通算十回以上は成功させてきた行為のはずが、私の体からは脂汗がダラダラと流れ落ちる。
無事に──成功である。
空振りした拳は毎度の如く、地面へと沈み込む。
だが──まだ油断は出来ない。
というか、ここからが本番である。
黄金女性像が地面に刺さった己の手を引き抜くまで大体三秒ほどかかる。
私は即座に、浮気をした旦那を寝込みに包丁で刺し殺す妻のように、饕餮刀を逆手両手持ちにして、身を屈め腕を抜き取ろうとする女性像の首に構える。
「........................」
いくらムシャとはいえ、私と同じ、同じ人間の姿形をした相手に刀を差し込むことには多少は躊躇をしてしまう。
──だが、こんな躊躇も、躊躇いも、怯えも、全て私には必要無い。
私は私の為に、行動するんだ。
「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「ああああああああああああああっ!!」
私が雄叫びを上げながら、饕餮刀の鋭利な鋒を女性像のうなじに突き刺すと、黄金女性像は絶叫を上げた。
刺さっていた刃を思い切り引き抜くと、そのうなじから真っ赤な鮮血が一面に飛び散った。
「うわっ!」
黄金郷本体の巨大な腕からは出なかったのに、こっちからは出るのかよ。
うう......ムシャのだとわかっていても胸糞が悪い。
血飛沫は、中学生の厨二病末期だった時に、イキって夜中にスプラッター映画を観た時から苦手なんだよ......。
「んんっ......! 死ねっ!! 死ねぇぇ!!」
顔が、制服が、眼鏡が、迸る血飛沫の赫で埋め尽くされようが、お構い無しに、私は何度も何度も女性像に刀を突き刺す。
刺す度に、生臭い匂いが溢れ出る。
決して言い気分では無いが、何処か爽快感がある。
最初は叫び声を上げ、バタバタとのたうち回っていた黄金女性像だったが、しばらくするとバッタリと動きが止まってしまった。
「かひゅっ......かひゅっ......」
徐々に女性像の体が粒子のように分散していく。
そして最後は一切として塵になってしまった。
やった......のか?
私がやったのか?
「ふふ......やった、やった!」
これでようやく私もコッチ側の仲間入りだ。




