刀── 其ノ玖 「run!」
甘利田さんの苦悩に満ちた形相は、悲痛な呻吟は、ますます強くなっていく。
充血のあとがはっきり見えるほど白目をガン開きにし、口からは泡を吹く。
両手足はビクンビクンと、奇妙なほどに痙攣し、体を掻きむしることさえできていない。
もがき苦しむ甘利田さんの姿は、見てるこちら側も辛くなってしまう。
まるで違法な薬に手を染めてしまい抜け出せなくなった依存者、または壊れてしまった玩具のようであった。
「剣さん......!! どうしたら......!?」
「くそっ、本体を叩くしかないッ。傾は甘利田のそばにいろ!」
そう言い放った剣さんは腰に携えた青龍刀を鞘から引き抜き、斬血・剪定刀の入ったショーケースに飛びかかる。
こんな時に私ができることは甘利田さんの手を握っておくことぐらいしかできない。
目線は剣さんの方へ向けながら、甘利田さんの手を探る。
──グチュ
嫌な、音。
嫌な、感触。
だが、確かに掴んだ、甘利田さんの手を。
私が甘利田さんの手を握ると、甘利田さんの方も握り返してきた。
不快な感覚が手一杯に広がるが、今はそんなこと、そこまで重要ではなかった。
甘利田さんの苦しみが少しでも落ち着くように、強く、ギュッと手を握る。
ん? これは本当に──甘利田さんの手か?
なぜいきなりこんな考えに行き着いたのかには、理由がある。
甘利田さんはさっきから異様なほどに痙攣していた。
それなのに、私が今握っているこの手は、一切として震えていない。
私が手を握ったから震えが治まったのか?
こんなこと有り得るのか?
緊張で手が震えていたのなら、握られたことによって震えが止まるのは有り得る。
だが、今の甘利田さんは違う。甘利田さんは痛みによる反射的な痙攣である。
そんなものが手を握った程度で治まると思うのか──
私はゆっくりと目線を下に下げ、握っていた手を確認すると、握っていた手は甘利田さんの手ではなかった。
地面から生えた手。
真っ黒な手。
ドラゴンクエストに登場するマドハンドみたいに、地面から生えた手を、私は甘利田さんの手であると思い込んでいたのだ。
それに地面。
さっきまで木造であった床は、甘利田さんの体と同じように真っ黒になっていた。
ぬかるんだような感覚が辺り一面に広がっている。
それに──甘利田さんが姿が見当たらない。
握っていた手を振り払うように解くと、その手は地面の中に泥のように沈んでいった。
立ち上がり、次にすべき行動を思考する。
甘利田さんがどこに消えたか探すのが先か?
いや、私にはなんの戦闘能力も持ち合わせていない。甘利田さんを探す途中でムシャにでも出逢ったら、一巻の終わりだ。
なら先に、剣さんを呼んで二人がかりで甘利田さんを見つけよう。
私が剣さんに声をかけようとした時、剣さんは青龍刀の鋭利な刃先をショーケースに突き立て、力任せに押し壊そうとして──
次の瞬間、ショーケースの真下、黒い床、黒い塊は大きく隆起する。
台座を破壊し、ショーケースを破壊し、斬血・剪定刀を壊されぬよう守るかの如く、包み込んだ。
山なりに隆起し、高さはおよそ三、四メートルを超える。
先端、山の頂きには斬血・剪定刀がまるで勇者の剣のように突き刺さっている。
それに、勇者の剣は基本的に西洋剣でしょうが。
「剣さんっ!! 甘利田さんがいなくなって──」
隆起した衝撃で私の足下近くまで吹き飛ばされた剣さんは、
「何? 甘利田が消えた? 地面の全て斬血・剪定刀のテリトリーになってしまっているから、この中に引き釣りこまれた可能性もあるな......。まずは辺りに甘利田がいないか探すぞ!」
二人がかりで甘利田さんを探す。
すると特別展示室の出口の辺りに甘利田さんの姿が。
よかった、下に吸い込まれてはなかったか。
甘利田さんは、床から生えてきた無数の黒い手によって、特別展示室の外の方へと運ばれている途中だった。
まるで大人気ロックバンドのフェスのように、手から手へとクラウドサーフィンで運ばれていく。
「しまった!! 先に追え、傾! 刀本体は後だ、今は甘利田を追うぞ!!」
山のように盛り上がった黒い塊を背にし、仰向けの状態で滑るように運ばれていく甘利田さんを追いかける。
速い、速い、速い。
私が走るのが遅いのもあるが、運ぶスピードが速すぎる。
万年体育成績Dの私が追いつける訳がない。
こんなことなら、昨日や今日の昼にでも、走り込みでもしてきたらよかった。
脇腹が痛い。
息が苦しい。
足が痛い。
一体何が目的で、甘利田さんをどこに連れていくというのだ。早く終わってくれ......
すると後ろから鉄の音が聞こえてくる。剣さんが追いついてきたんだ。
鉄の音はどんどん近く、どんどん大きくなっていく。
剣さんは吹き飛ばされた際に遠くに青龍刀を落としてしまった為、拾いに行っており私の方がだいぶ早く走り始めたはずなのに、もう追いつかれそうだなんて。
私、どれだけ足遅いんだ。
鉄の音がする位置が私の後ろから私の隣へと移ったが、私の視界には剣さんはいない。
何処だ、剣さんは。
音がするのは──下からだ。
やや右下を見ると、野生動物のように四足歩行で走る剣さんの姿が。
しかもマスタング走法!
マキバオーか。
「剣っ......さんっ.......。どうして......そんな走り方なん......ですかっ......」
「これか。昔からの癖でな、何故かは知らんがこっちの方が早く走れる気がするんだ。気にしないでくれ」
息が切れ、途切れ途切れにしか話せない私に剣さんは、
「傾、息切れが激しいな。俺が先に行くから、お前はゆっくり着いてこい」
「ああ......ありがとう......ございます......」
私の前を剣さんは走り抜けていく。
そうすると、剣さんはスピードを上げ、私と剣さんの距離はどんどん離れていってしまった。
剣さんの気遣いはありがたいが、私はここで足を止めることは許されない。私が許さない。
私は一刻も早く甘利田さんの元へ行って、助けてあげないと。
そう私のゴーストが囁いている。
脇腹を抱え、干潟のようにベチャベチャと音を立て、地面を踏みしめる。
角を曲がり、一直線を走り、また角に曲がり、階段を降りる。
見えなくなった甘利田さんを、遠のいていく剣さんを追って。
剣さんの元にようやくたどり着いた時、剣さんはドアを背に、突っ立っていた。
剣さんは、私がここに着くまで待っていてくれたのか。
「はぁ......はぁはぁ......はぁ......はぁ──」
「大丈夫か?」
「はい......。これぐらい......全っ然大丈夫......ですよ......」
ううん、嘘。
全然、嘘。
大いに嘘。
薄っぺらな嘘。
やばい、しんどすぎるぞ、これ。
壁にもたれ掛かり、膝に手を当て、疲れて屈む。
心臓のなる音がドクンドクンと耳の中で反響する。それはもう、うるさいぐらいに。
「甘利田はこの奥の部屋に連れていかれた。今の傾の様子を見ると、ちょっと休憩してから行った方がいいな」
「休憩......!? そんなことしてたら甘利田さんが──。私、もう大丈夫ですから──」
──口ではそう言っても、体は限界らしく、足がふらついて、剣さんにもたれかかってしまった。
「こんな調子で中に入って、ムシャにやられでもしたら......。それに、甘利田に関しては安心してくれ。この部屋に甘利田が連れらてから、甘利田は斬血・剪定刀のムシャに危害は加えられていない。それどころか、心音はさっきより随分安定している」
──ならば、甘利田さんは今どうなっているのか疑問は残るが、せっかく剣さんが言ってくれたんだ。享受して休もう。
所謂、ゲームのセーブポイントみたいなものだろう。
ということは、この後はボス戦ということになるな。
私は疲れを忘れるために、ふとした疑問を剣さんに投げかける。
「剣さんの持っている青龍刀、これも呪物なんですか?」
呪物に対抗するならば呪物しかないだろうという、単純な考えの元からの質問だった。
「よくわかったな。これも呪物の刀だ」
青龍刀を再び鞘から引き抜く剣さん。
キラリと光る剣先がかっこいい。
「この刀は、『四凶・饕餮骸刀』という名前の刀で、正確に言えば、青龍刀ではなく饕餮刀というべき刀だ」
「しきょー? とーてつ?」
「饕餮というのは中国に伝わる凶獣、四凶の一体であるムシャでな。この刀は七百年前にその饕餮の死骸から作ったとされる刀だ」
そう言い、剣さんは饕餮刀の柄の部分を見せてくれた。そこには青龍刀のトレードマーク、青龍刀という名前の由来でもある青龍の彫り物ではなく、羊の化け物、おそらく饕餮が掘られてあった。
それなら、饕餮刀と呼ぶのが正解だな。
「饕餮は何でも喰らう貪欲な怪異であると有名でな。饕餮の骸で作られたこの刀も、どんなムシャをも斬り殺す貪欲な刀として、多くのムシャハンターが愛用してきた」
そして、ドアの前に向き直り、
「そろそろ息も整ってきただろう。行くぞ」
「はい、ばっちり大丈夫です!」
「この部屋に、俺たちが追い込めたのか──はたまた、この部屋に誘い込まれた──どっちかは分からんが、とにかく入るぞ。準備はいいか、傾」
──勿論、できているに決まってる。
「傾、せっかく饕餮刀の話をしたんだ。これからの気合いをつけるために、お前が見たがっていたものを見せてやろう!」
剣さんはそう言い、饕餮刀を持ち、ドアの前で構える。
そして、その扉を斜め一文字に切り付ける。
そのまま、剣さんはドアを蹴り破り、私たちは甘利田さんが連れていかれたボス部屋に入る。
「ーーーーーーーーッ!?!?」
なんだ!?
眩しい。
とにかく眩しい。
ひたすらに眩しい。
なんの光かは分からないが、急激な輝きが私たちの目を襲った。
さっきまで暗い場所におり、夜目が利いてきたのもあって、急激な光に目を塞がざるおえない。
私が目を開くことができたのは、少ししてからだった。
目を開けた私の前に、一面に広がる黄金の大きな部屋。
その黄金の空間の中心にそれはいた。
巨大な黄金の異形に身を包んだ、甘利田さんが。




