七二の三、部署名空白
四七番車の帰着印は、まだ乾ききっていなかった。
なのに、帳簿の上ではもう帰っている。
ミラはその矛盾を、怒りで押しつぶさないように、青い保留札の端をそっと撫でた。
「帰る前に帰着印を押した部署を、部署表で見ます」
リオが、濡れた袖を握った。
「部署表って、王都救済準備室のですか」
「はい。部署名は、人を安心させるための飾りではありません。どの棚を閉じ、どの賃金を止め、どの帰着札を動かしたかを背負う名前です」
港役人が顔をしかめる。
「王都の部署表など、港の者が勝手に見られるものではない」
「港の帰着印を、王都の部署番号で閉じています」
ミラは四七番車の控えを机に置いた。
帰着済。
部署番号、七二の三。
部署名、空白。
「名前のない部署で、帰着だけは済ませられません」
セナが薬箱の前でうなずいた。
「名前のない棚に、夜薬を置けないのと同じですね」
「同じです」
ミラは港の壁に掛けられた古い紐綴じを見上げた。
王都救済準備室・港連絡部署控。
表紙の角は新しい。けれど、中の紐だけが古い。
よく開かれるページは、紐穴の周りが白く削れる。
七二の三のページだけ、穴の縁が妙に広かった。
何度も外され、戻されている。
「このページを、広げます」
ミラが言うと、役人は一歩後ろへ下がった。
「部署番号七二の三は、臨時扱いだ。名称未定でも処理はできる」
「処理、ではありません」
ミラはページを開いた。
そこには、番号だけが並んでいた。
七二の一、広域物資回収係。
七二の二、臨時救護棚調整係。
七二の三、空白。
七二の四、帰着済確認係。
空白の横に、薄い押し跡が三つ残っている。
薬瓶の小さな丸。
荷車の四角い輪郭。
賃金袋につく麦穂の欠け。
ミラは息を止めた。
「ここは、部署名がないだけではありません。三つの生活手順を、同じ空白で閉じています」
「三つ?」
リオが身を乗り出す。
ミラは青札を三枚、横に並べた。
一枚目。
白霧港救護棚、夜薬二本。回収済処理。
「セナさんの薬箱です。部署番号七二の三が、夜薬を『回収済』へ戻そうとしました」
二枚目。
四七番車、帰着済。
「リオさんの荷車です。本人がまだ港にいるのに、帰ったことにされました」
三枚目。
臨時荷役賃、後日一括。
「カイさんと、港の荷役たちの賃金です。後日一括という言葉で、誰の手へ渡るかを空白へ流しました」
カイが小さく息をのむ。
「おれの札も、同じ番号なんですか」
「番号の跡が同じです。部署名がないから、誰も責任を受け取らなくていい形になっています」
港役人が机を叩いた。
「王都の正式番号だぞ。空白でも上位命令なら従うしかない」
「上位命令なら、なおさら生活影響を書かせます」
ミラは、部署表の空白欄に直接は書かなかった。
書けば、誰かの穴をミラが埋めたことになる。
代わりに、青札を空白欄の上へ重ねる。
七二の三、部署名空白。
生活影響明細未添付。
夜薬二本、四七番車帰着、臨時荷役賃三名、未完了。
本人確認・受領・帰路・賃金手渡しまで閉じない。
「部署名を私が名づけることはできません。でも、この空白が動かした生活は、ここに止めます」
セナが一歩前へ出た。
「薬係セナ。夜薬二本は、患者が飲むまで回収済みにしません」
カイも、曲がった字で自分の札へ書き足す。
「搬送者カイ。帰着賃金、七二の三の明細が出るまで未完了」
リオは、荷車番号の控えを両手で持った。
「荷車押しリオ。四七番車は、おれがこの目で返還倉庫予定地へ着くまで、帰着済みにしません」
三人の声が、港の湿った空気に小さく残った。
それは告発というより、点呼だった。
名前のある人間が、名前のない部署に、まだ終わっていないと返事をしている。
ミラは胸の奥が熱くなるのを感じた。
在庫係が数えるのは、瓶だけではない。
荷車だけでも、賃金袋だけでもない。
まだ帰っていない人の声も、まだ飲まれていない薬も、まだ手に渡っていない賃金も、同じ棚に置いて守る。
「この三枚を、港の控えに写します」
「勝手な控えを作る気か」
「勝手に閉じられたから、閉じない控えを作ります」
ミラは港の薄い紙を一枚借りた。
七二の三・生活未到達控。
一、夜薬二本。患者未受領。
二、四七番車。本人帰着未確認。
三、臨時荷役賃三名。手渡し未完了。
四、部署名。空白のまま保存。
最後の行を書いた時、指先が紙の端に触れた。
短い景色が流れ込む。
王都救済準備室の奥。
部署表の控え箱。
七二の三の札が抜かれ、別の木札に差し替えられる。
そこに刻まれていた名前は、部署名ではなかった。
返還倉庫予定地・用途変更係。
そして、その下に小さく、ミラの知っている筆跡で一行。
返還不要職能印、同箱保管済。
「……部署ではない」
ミラはつぶやいた。
「何がですか」
セナが聞く。
「七二の三は、部署ではありません。返還倉庫予定地を、職能印ごと別の用途へ移す箱です」
港の外で、風が強く鳴った。
帰っていない荷車の車輪が、どこかでまだ回っている気がした。
ミラは青札をもう一枚取る。
「次は、返還倉庫予定地の用途変更箱を見ます」
空白の部署名は、名前を持たないままではなかった。
誰かが、名前を部署ではなく、場所の処分へ逃がしていた。
そしてその場所には、ミラの職能印が戻らないまま、同じ箱に入れられている。




