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追放された貧乏伯爵家の在庫係、余り物に触れると『次の持ち主』が見えるので倉庫から領地を救います  作者: 花守りつ


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返還不要職能印の保管箱

旧粉置き場の裏口は、半歩だけ開いた。


 けれど、その半歩の奥で、もっと重いものが閉じられていた。


 木箱だった。乾いた粉の匂いが染みた棚の下、商会の黒荷印で封をされ、蓋の札には整った字でこう書かれている。


 返還不要職能印。


 一括保管済み。


 ミラの指先が、箱に触れる前に止まった。


 触れれば、見えてしまう。けれど、見えたからといって、すぐに受け取ってはいけない。


 職能印を受け取っただけでは、また「保管者が変わった」と書かれるだけだ。


「開けるな」


 王都商会の男が、裏口の外から声を張った。


「その箱は、王都救済準備室の補完命令に基づく保管品だ。退職者、追放者、臨時労働者が勝手に使えば混乱する。だから一括で預かる」


「混乱するのは、印ですか」


 ミラは箱を見たまま尋ねた。


「それとも、印がないと動かない生活ですか」


 男が眉をひそめるより早く、テオが診療所から小さな木箱を抱えて来た。中には青い保存瓶が二本、空のまま並んでいる。


「夜薬の追加瓶が出せない」


 テオは淡々と言ったが、指先は少し白かった。


「冷棚確認印と配送確認印が箱の中なら、今夜の発熱児の分は仮出し扱いにもできない。薬そのものはあるのに、出した記録が閉じられない」


 老婆が北井戸の鍵札を胸に抱えた。


「井戸番交代印も、昨日から行方が分からないんだよ。あれがなけりゃ、明け方の横扉を開ける者が決まらない」


 ルカは空白賃金札を両手で持っていた。


「配送確認印がなければ、俺の半日賃金も、帰ったことも、また仮のままです」


 ミラは息を吸った。


 箱は、印鑑の箱ではない。


 薬瓶が棚から出るか。


 井戸の横扉が明け方に開くか。


 働いた人が名前で賃金を受け取れるか。


 帰った人が、次の日の仕事を自分で選べるか。


 それを閉じる箱だ。


「机をお願いします」


 リタがパン屋の折り畳み机を出し、マレナが夜番表を広げた。ミラは箱の蓋を開けず、まず蓋の札の写しを取った。


 返還不要職能印。


 一括保管済み。


 王都救済準備室承認。


 その下に、ミラは三つの欄を書いた。


 印の名。


 何を確認する責任か。


 止まる生活手順。


「難しい言葉はいりません」


 ミラは商会の男へ向けて言った。


「返還不要と書く前に、誰の薬瓶が棚から出なくなるのか、誰の賃金袋が閉じるのか、誰の帰り道が暗くなるのかを書いてください」


「職能印は本人の権限だ。本人が追放されたなら不要だろう」


「違います」


 ミラは首を振った。


「この印が押すのは、紙ではありません。夜薬を飲む子どもと、朝水を汲む井戸番と、働いた人の賃金です。本人の飾りではなく、誰の生活手順まで責任を持つかの印です」


 ミラはようやく箱に指を置いた。


 視界の端に、青い保存瓶が揺れた。


 一本目の瓶は、冷棚の前で止まっている。瓶の札には、テオの名と、発熱した子エリンの名。けれど確認欄に押されるはずの印がない。


 二本目の瓶は、商会の黒い箱へ吸い込まれ、空白のまま「補完済み」と赤く閉じられる。


 その奥で、ミラ自身の棚卸印が、誰かの手で押されかけていた。


 ミラ・セリス。


 読了、確認済み。


 けれど、ミラは読んでいない。


 誰の薬が動くのかも、誰の賃金が閉じるのかも、誰の井戸鍵が朝まで残るのかも。


 何も読んでいない。


 ミラは指を離した。


「この箱は、受け取りません」


 男が勝ち誇ったように笑いかけた。


「では、保管は商会のままだ」


「いいえ。受け取らずに、閉じません」


 ミラは青い保留札を、箱の封の上へ結んだ。


 未返還職能印。


 生活影響明細未添付のため、補完命令未発効。


 本人確認・責任範囲確認まで、使用済み、失効、一括保管済みのいずれにもできない。


「勝手にそんな札を」


「勝手ではありません」


 テオが空の保存瓶を机に置いた。


「夜薬の追加瓶二本。僕は薬師として出す。ミラさんは棚卸の仮確認をする。受け取る家の母親が、今夜だけの受領欄に名前を書く。これで、薬は出せる」


 老婆が頷いた。


「北井戸の鍵札は、今夜も私が持つ。明け方に水を汲む者の名は、ここに書く」


 ルカも、震えながら札を置いた。


「俺の賃金札は、配送済みじゃなくて、帰宅確認待ちのままにしてください。勝手に閉じられたくない」


 商会の男は、三人をまとめて黙らせる言葉を探した。だが、薬瓶と鍵札と賃金札は、もう机の上に並んでいる。


 ミラは箱の横へ、小さな板を立てた。


 未返還職能印棚。


 一、印は持ち主の飾りではなく、生活手順への責任である。


 二、補完命令には、誰の薬・水・賃金・帰宅路を動かすかの明細を添えること。


 三、本人が読んでいない印を、読了・確認済みにしてはならない。


 その瞬間、パン屋の奥でリタが湯を沸かし始めた。テオの保存瓶に、夜薬が注がれる。老婆は北井戸の鍵札を胸に戻し、ルカは賃金札に自分の名前を、前より大きく書いた。


 小さなことばかりだ。


 瓶二本。


 鍵札一枚。


 半日賃金一つ。


 けれど、それらは全部、明日の朝へ届く。


 ミラは、箱の底に挟まっていた薄い台帳片を見つけた。


 非常時供出台帳・領地分。


 未配送品。


 未帰宅者。


 未返還職能印。


 返還倉庫予定地。


 以上、王都救済準備室への一括補完対象。


 黒塗りの受取人欄の端に、欠けた麦穂印が重なっている。


 ミラは青い保留札をもう一枚取り出した。


 箱の中身は、村だけの問題ではなかった。


 王都は、まだ届いていないものを、まとめて余剰に変えようとしている。

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