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5話「緑色の結晶1」

日の出前に目を覚ますというのは、思ったよりも難しかった。


空が白みかけた頃にようやく意識が浮上して、慌てて身体を起こしたときには——予想通り、庭にはすでにフィオの姿があった。


薄闇のなかにしゃがみ込む背中が見える。花壇の縁に沿って何かの作業をしているらしい。昨日と同じ。一昨日と同じ。おそらく、オリヴィアが来る前の長い年月、毎朝そうしてきたのだろう。


草の寝床から立ち上がり、ケープの裾を直す。スタッフを手に取り、庭へ向かった。


「おはようございます」


「……ああ。起きたか」


フィオは振り向きもせずに応えた。手元を見ると、花壇の土に指を差し込み、何かを確かめている。


「土の具合を見てるんだ。乾きすぎてないか、虫が入ってないか」


「毎朝ですか」


「毎朝だ」


当然のように言う。日課というにはあまりに根深い——生活そのものに組み込まれた行為。


「手伝えることはありますか」


フィオの手が止まった。半分だけ振り向いて、こちらの顔を見る。


「あんた、手が汚れるぞ」


「構いません」


「……じゃあ、そこの列の雑草を抜いてくれ。根っこごと」


示された場所にしゃがみ込む。スタッフを脇に置き、両手で土に触れた。ひんやりとした感触。指先に朝露の湿り気が伝わる。雑草の根元を摘み、ゆっくり引き抜く。土の抵抗があり、少し力を込めると——ぷつり、と根が切れた。


「根が残った。もう少し深くからいかないと」


「すみません」


「力の入れ方が違う。引っ張るんじゃなくて、土ごと持ち上げる感じだ」


言われたとおりに試みる。指先を根の周囲に差し込み、土を掬い上げるようにしてから引く。今度は根ごと抜けた。


「そう。それでいい」


短い指導だった。だが教え方は的確で、二本目からは要領がつかめた。黙々と雑草を抜いていく。小さな草の根が驚くほど深く伸びていることに気づいた。地上に出ている部分は小さいのに、土の中ではしっかりと場所を占有している。


「雑草って、強いですね」


「強い。放っておくと庭を食い尽くす。でも、憎いわけじゃない。生きてるだけだから」


生きてるだけ。


その言い方が心に残った。雑草を敵視するのではなく、ただ庭を守るために抜く。それだけのことだと、フィオは言っている。


三十分ほどかけて一列分の雑草を抜き終えた。手は土で黒くなり、爪の間にも細かい土粒が入り込んでいた。手を払っても完全には落ちない。


フィオが水路の水で手を洗う仕草を見せたので、真似をした。冷たい水が土を流していく。


「朝飯にしよう」


フィオが籠を差し出す。今朝は果実に加えて、豆を茹でたものがあった。小粒で、表面にわずかな光沢がある。口に入れると、ほっくりとした食感と、青い豆特有の風味が広がった。果実の甘さとは違う、穏やかな旨味。


「この豆もフィオが育てたものですか」


「ああ。元はヒトが植えてたやつの子孫だと思う。種を見つけて、何回か失敗して、ようやく安定して育つようになった」


何回か失敗して。その言葉の裏にある試行錯誤の年月を想像する。農業の知識は書庫の記録から得たのだろうか。それとも、自分の——植物としての直感のようなものがあるのだろうか。


聞こうかと思ったが、やめた。代わりに、豆をもう一粒口に運んだ。


--------------------------------------------


朝食のあと、オリヴィアはまだ歩いていない方角を尋ねた。


「東側にはまだ行っていません。何かありますか」


「東か」


フィオの反応に、一瞬の躊躇があった。短い沈黙。それから。


「丘を越えた向こうに、もう一つ建物がある」


「街の外に?」


「少し離れてる。街の一部なのか、別のものなのか、わたしにもよく分からない」


言葉の選び方が慎重だった。昨日までの案内とは何かが違う。行きたくない場所なのか、見せたくないものがあるのか。


「行っても?」


「……ああ。行こう。あんたに見せておいたほうがいいかもしれない」


その言い方が引っかかった。見せておいたほうがいい。誰にとって。自分にとってか、フィオにとってか。


庭を出て、テラスの横を通り過ぎ、東に向かう道をとった。街の中心部を経由せず、丘陵の稜線に沿って歩く。足元の草が朝露で濡れていて、ブーツの先が光る。


十五分ほど歩いたところで、丘の向こう側が見えた。


谷間に、一つの建物がぽつんと立っていた。


街の建物と同じ白い石造りだが、形が違う。四角い建物ではなく、円形。壁が低く、屋根は——失われていない。ドーム状の石屋根が、破損しながらも形を保っていた。


入口は一つ。狭い。大人一人がようやく通れる幅。その入口の両脇に、街では見かけなかった意匠が彫られていた。放射状に伸びる線——太陽を模しているのか、あるいは別の何かか。


「何の建物ですか」


「分からなかった。最初は」


フィオは入口の前で立ち止まった。


「中に入って、見れば分かる」


暗い入口をくぐった。


内部は思ったよりも広かった。円形の壁に沿って石の台座が並んでいる。台座の上には——何も載っていない。だが台座の表面に、文字が刻まれていた。一つの台座につき、短い文字列が一つ。


そして壁面。壁面全体に、絵が描かれていた。


鉱物性の顔料だろうか。色褪せてはいるが、まだ判別できる。人の姿。たくさんの人の姿が、壁面を一周するように描かれている。手をつないでいる人。子供を抱いている人。穂を掲げている人。踊っている人。


人々の絵の上方に——天井に近い位置に——別の存在が描かれていた。人よりも大きく描かれた姿は、明確に人間とは異なる形をしている。翼があるもの、光を放つもの、複数の目を持つもの。


「これは」


「ヒトたちが信じていたものだと思う」


フィオが壁画を見上げながら言った。


「上に描かれてるのは、ヒトじゃない存在だ。ヒトたちが祈りを捧げていた相手——神、って言うのか」


神。


その言葉を聞いたとき、胸の底で何かが冷たく沈んだ。


自分を派遣した存在と、この壁画の存在は——同じものだろうか。違うものだろうか。似て非なるものだろうか。答えは分からない。だが壁画に描かれた「神」の姿は、自分の知る神々のどれとも一致しなかった。あるいは、この世界の人間たちが自分たちの理解で描いた姿であり、実物とは異なるのかもしれない。


「台座の文字は読めますか」


「読める。名前だ」


フィオが一つの台座の前に立った。


「ここに名前が刻まれてる。墓石の名前とは別の——たぶん、特別な意味を持つ名前だ」


「特別な?」


「この建物の巻物は書庫にはなかった。でも、ここの壁に直接文字が書かれてる箇所がある。それを読んだ限りだと——ここは、ヒトたちが自分の名前を捧げた場所だ」


名前を捧げる。


フィオは壁の一角を指差した。台座の列の切れ目に、小さな文字が刻まれている。他の文字より細く、深い。長い時間をかけて彫り込まれたのだと分かる刻み方だった。


「ここに書いてある。『名を此処に置く者は、充たされて還る』」


充たされて還る。


書庫で見た最後の記録に出てきた言葉。『充たされた』。


「フィオ。もしかしてこの場所は——」


「ああ。たぶん、ここが最後の場所だ」


フィオの声が低くなった。


「ヒトたちはここに来て、名前を台座に刻んで、そして——いなくなった。消えたのか、別の場所に行ったのか。分からない。でも、台座の数と墓石の数は合わない。台座のほうがずっと多い」


墓石は死者のためのもの。台座は——名前を「捧げた」者のためのもの。死ぬ前に、死とは別の形で、ここへ自分を預けた人々がいた。


壁画を改めて見上げる。人々の絵。その表情は——笑っていた。怯えでも、諦めでもなく。穏やかな笑顔が、色褪せた顔料のなかに残っている。


「強制ではなかった——と思いますか」


「分からない。でも、壁の絵は笑ってる。もし無理やりだったら、こんな絵は残さないんじゃないか」


フィオの推測は理に適っている。だが確証はない。笑顔の壁画を描いた者と、実際にここへ来た者が同じとは限らない。あるいは、信仰という強い力が個人の恐怖を覆い隠すこともある。


石の台座に手を置いた。冷たい。文字の刻み跡が指先に触れる。誰かがここに自分の名前を彫った。道具を使って、一画ずつ、石に向かって。その行為はどんな気持ちで行われたのだろう。


「わたしはこの場所が苦手だ」


フィオが言った。初めて聞く、はっきりとした忌避の表現だった。


「嫌い、とは違う。でも、ここに来ると落ち着かなくなる。ヒトたちがいなくなった理由が——ここにあるんだと思うと」


「今日、ここに来ようと思ったのは」


「あんたが調査に来たんだろ。だったら、ここを見ないわけにはいかない」


フィオの声は平坦だった。だが、壁から目を逸らしているのが分かった。壁画の人々を——見ないようにしている。


「ありがとうございます。無理をさせてしまって」


「無理じゃない。わたしが決めたことだ」


短く、強く。それ以上の言葉を拒むように。


「……出よう。ここは長居する場所じゃない」


先に入口へ向かうフィオの背中を追って、円形の建物を出た。外に出た瞬間、風と光が全身を包んだ。閉ざされた空間の緊張が解けて、肺の底まで新しい空気が入ってくる。


フィオが足を止めて空を見上げていた。深く呼吸をしている。その背中が——少しだけ小さく見えた。

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