第75話 〜帰路〜
十二月二十日。
ラスベガス。
砂漠の真ん中の、不夜城。
ストリップ大通りの、ネオンが、昼間みたいに、明るい。
空港に、山下さんが、迎えに来ていた。
日本から、半日遅れで、合流したのだ。
「会長。お疲れさまでございます」
「山下さん。わざわざ、すみません」
「いえ。一度、この目で、会長の『仕事』を、見ておきたかったので」
*(山下さん、それ、ちょっと、楽しみにしてただろ)*
西村は、すっかり、元気を、取り戻していた。
小林さんは、ホテルの、Wi-Fiの速さに、感動していた。
「会長。今夜、会わせたい男が、おります」
「誰ですか」
「石橋マサト。ポーカーの、プロでございます。日本の、配信者でもある」
*(石橋……ああ)*
二年半前。
最初の、ラスベガス遠征で、テーブルで、隣に、なった男だ。
俺の、読みの正確さに、しつこく、食い下がってきた、あの男。
「あいつ、まだ、ベガスに」
「拠点を、移したそうでございます。日本と、行き来しながら、こちらで、プレイしている、と」
---
その夜。
ベラージオの、ハイステークス・ポーカールーム。
石橋マサトは、二年半前と、同じ顔で、笑った。
「マジかよ。桐島さん。また、会えるとは、思わなかった」
「お久しぶりです、石橋さん」
「噂は、聞いてたよ。日本で、でかい会社、やってるって。あの読みで、ビジネスやったら、そりゃ、勝つよな」
テーブルに、着いた。
時計を、握った。
温かい。
*(よし)*
ノーリミット・ホールデム。
配られる前から、映像が、来る。
フロップ、ターン、リバー。
全部、見えている。
淡々と、勝った。
石橋が、目を、丸くしている。
三時間で、一万ドル単位の、チップが、山に、なった。
ところが──。
深夜、一時を、過ぎた、頃。
その手が、配られた、瞬間だった。
ポケットの、時計が、ふっと、冷たく、なった。
*(……え)*
握り直した。
冷たい。
映像が、来ない。
いつもなら、配られる前に、リバーまでの、五枚が、頭の中に、流れる。
今は、何も、来ない。
手元の、二枚しか、わからない。
ハートのエースと、スペードのキング。
悪くない。むしろ、強い。
でも、相手の手も、これから来る、五枚の、共通カードも、何ひとつ、見えない。
*(おいおい。よりによって、今、止まるのか)*
テーブルには、もう、チップが、出ている。
降りるには、遅い。
*(映像、なし。二年半ぶりに、自分の頭だけで、勝負しろ、ってことか)*
心臓が、久しぶりに、跳ねた。
手のひらに、汗が、にじんだ。
*(この感覚、いつ以来だ。マカオで、三百五十万、溶かした、あの夜以来か)*
プリフロップ。
俺は、レイズした。
石橋が、コール。他の二人は、降りた。
フロップ。
場に、三枚、開いた。
ハートの10、ハートの7、クラブの2。
*(ハートが、二枚。エースもハート。フラッシュの、目がある)*
石橋が、チップを、押し出した。
大きめの、ベット。
*(強気だ。ヒットしたのか。それとも、ハートを、潰しに来た、ブラフか)*
映像があれば、一秒で、わかる。
今は、わからない。
だから、見るしか、ない。
石橋の、指先。チップの、積み方。視線の、置き所。
二年半前、こいつと、卓を、囲んだ時の、癖を、思い出す。
*(こいつ、本当に強い時は、もっと、静かにベットする。今のは、少し、置き方が、雑だ)*
コール。
ターン。
ダイヤの、ジャック。
ハートは、増えなかった。
石橋が、また、ベット。さっきより、大きい。
*(畳みかけてくる。普通なら、降りる場面だ。でも──)*
*(こいつの目、さっきから、俺じゃなくて、自分のチップを、見てる。本物を持ってる奴は、相手を、見る)*
息を、吐いた。
コール。
リバー。
最後の、一枚。
ハートの、4。
*(来た)*
エース・ハイの、フラッシュ。
完成した。
石橋が、しばらく、考えてから、オールイン、を、宣言した。
*(ブラフだ。たぶん。いや──たぶん、じゃない。こいつは、ハートのフラッシュを、警戒して、降ろしに来てる。自分の手は、ツーペアか、せいぜいストレートだ)*
*(読み切れては、いない。でも──行く)*
コール。
ショウダウン。
石橋の手は、ジャックの、ツーペア。
俺の、フラッシュの、勝ちだった。
石橋が、椅子に、もたれて、大きく、息を、吐いた。
「……今の、すごいな、桐島さん。完全に、読み勝ちだ。あんた、運だけの、人じゃ、ないんだな」
*(運じゃ、ないどころか──今のは、初めて、自分の、頭だけで、勝った)*
ポケットの中で、時計は、冷たいままだった。
*(こいつ、いよいよ、終わりかけてる)*
*(でも──時計なしで、勝てた。一回だけ、だけど)*
不思議な、気分だった。
時計が、終わりに、近づいているのに。
なぜか、少しだけ、怖くなく、なっていた。
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ゲームの、後。
石橋と、バーで、飲んだ。
「桐島さん。あんた、日本で、ポーカー、流行らせる気、ない?」
「ポーカー、ですか」
「アミューズメントポーカーってのが、あるんだよ。金を、賭けない、健全なやつ。日本でも、合法で、できる。でも、まだ、文化が、根付いてない」
*(これ、前にも、聞いた話だ。二年半前、こいつ、同じこと、言ってた)*
「俺さ、いつか、日本に、戻って、ちゃんとした、ポーカーの、場所を、作りたいんだ。誰でも、安全に、楽しめる、場所を。でも、金も、経営の、ノウハウも、ない」
山下さんが、隣で、静かに、コーヒーを、飲んでいた。
ちらっと、こちらを、見た。
*(山下さん、これを、見せたかったのか)*
「石橋さん」
「ん」
「その話、日本に、帰ってから、ちゃんと、聞かせてください。本気で」
「……マジで?」
「うちは、人が、やりたいことの、先に、金を、置く会社です。面白そうなら、やります」
石橋が、ぽかんと、口を、開けた。
それから、くしゃっと、笑った。
*(種を、ひとつ、蒔いた。芽が、出るかは、わからない。でも、こういうのが、いつも、始まりだった)*
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最終日。
ラスベガスの、最後の夜。
時計を、握った。
冷たい。
握り直しても、映像は、来なかった。
*(今日は、来ない、か)*
*(旅のあいだも、何度か、こういう日が、あった。でも、翌朝には、戻ることも、あった。まだ、完全には、終わってない──はずだ)*
*(でも、近い。それは、わかる)*
でも、構わなかった。
もう、十分、勝った。
ベガスだけで、約一億一千万。
遠征の、合計で、税引前、約二億。
ホテルの、窓から、砂漠の、夜景を、見た。
西村は、ソファで、いびきを、かいて、寝ている。
小林さんは、隅で、まだ、コードを、書いている。
二億。
元無職、貯金三万二千円の、男が、十日で、二億。
*(……なのに)*
心は、不思議なくらい、静かだった。
高揚も、興奮も、なかった。
*(これだけ、勝っても、何も、埋まらないな)*
*(埋めたいものなんて、もう、たいして、残ってないのかも、しれない)*
*(家族に、五百万、返した。仲間が、できた。事業が、回ってる。守りたい場所が、いくつも、ある)*
*(金が、欲しくて、始めたのに。今は、金そのものには、もう、たいして、興味が、ない)*
*(時計が、最後に、教えてくれたのは、たぶん、それだ)*
山下さんが、隣に、来た。
「会長」
「はい」
「勝ち金の、使い道、お決まりに、なりましたか」
「はい。半分は、税金です」
「残りは」
「いくらか、自分の、遊びで、使いました。残りは──全部、置いてきます」
「置いてくる、と、申しますと」
「いのちの家に、基金を、作ります。全国のシェルターの、医療費に、使える基金。それと、田畑さんの、子ども食堂ネットワークに、運営基金。継続的に、回るように」
山下さんは、しばらく、黙っていた。
「……よろしいので。せっかく、稼がれた、お金でございます」
「いいんです。俺が、稼ぐ意味って、たぶん、そういうことなんで」
山下さんの、口元が、また、ほんの少し、緩んだ。
今回の、遠征で、二度目だった。
「承知しました。日本に、戻り次第、組成いたします」
「ありがとうございます」
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十二月二十一日。
帰国の、便。
機内から、雲の上の、夜明けを、見た。
ポケットの、時計は、ここ二日、ほとんど、冷たいままだった。
*(こいつとの、最後の大仕事も、終わったな)*
*(負け続けた俺を、ここまで、運んでくれた。最後に、こんな、馬鹿みたいに、派手なことも、させてくれた)*
*(ありがとうな)*
隣で、西村が、寝言を、言っている。
「……だから、男性、だったんだって……」
らしい。
*(まだ、引きずってんのか)*
窓の外。
雲が、朝日に、染まっていた。
日本に、帰る。
年末の、東京に。
みんなの、待つ、場所に。
時計の、温度は、もう、戻らないかもしれない。
でも、なぜだろう。
怖くは、なかった。
*(自分の、頭で、一回、勝てたからかな)*
*(それとも──もう、十分、もらったからかな)*
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**── 遠征精算メモ(第75話・帰国後確定)──**
*海外遠征の勝ち金を、雑所得として全額申告。納税引当を計上した上で、個人資金の最終精算を行った。*
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 出発時 個人資金 | 約27,622万円 |
| 遠征・勝ち金合計(税引前/マカオ・シンガポール・ラスベガス) | +約20,000万円 |
| 納税引当(雑所得・約55%) | ▲約11,000万円 |
| 渡航・滞在・打ち上げ費(全行程) | ▲約3,000万円 |
| いのちの家・全国シェルター医療基金(個人拠出) | ▲約3,500万円 |
| 子ども食堂ネットワーク運営基金(個人拠出) | ▲約2,500万円 |
| **桐島遊馬 個人資金(精算後)** | **約27,622万円** |
| 口座 | 残高 |
|:--|--:|
| 桐島遊馬(個人) | 約27,622万円 |
| KY Holdings(法人) | 約19,309万円 |
| KY Live | 約15万円 |
| ナカジマ精工 | 約5,162万円 |
| 田島フーズ | 約1,755万円 |
| **総資産(融資別)** | **約53,863万円** |
*時計、ラスベガス最終盤で映像が来ない局面が増加。温度が戻ったり消えたりを繰り返し、能力消失が目前に(決定的な終わりは、帰国後の日常で訪れる)。勝ち金は税・遊興・寄付で出発時とほぼ同額に着地——「金そのものには、もう興味がない」桐島の到達点を示す。石橋マサトとのアミューズメントポーカー事業、帰国後に再協議へ(第29話・第41話の伏線、始動)。融資借入残高:約23,718万円。品川ローン残高:約6,832万円。*
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*【第76話へ続く】*




