第74話 〜祝祭〜
十二月十七日。
バンコク。
ここに、カジノは、ない。
タイには、合法のカジノが、ないからだ。
つまり、ここは、純粋な、打ち上げ。
時計は、ポケットの中で、休ませている。
「会長! 今夜は、無礼講だからな!」
西村が、ルーフトップバーで、両手を、広げた。
眼下に、バンコクの、夜景。
高層ビルの、灯りが、地平線まで、続いている。
最上階の、スイートを、三部屋。
移動は、専属の、車。
西村は、もう、三杯目の、カクテルを、飲んでいる。
「なあ、会長。俺さ、ずっと、思ってたんだけど」
「ん」
「金って、こういう時のために、あるんじゃない?」
「……まあ、否定は、しないけど」
「だろ? 普段、会長、ぜんぜん、使わないからさ。たまには、こういうの、いいじゃん」
*(こいつの言うことも、たまには、一理ある)*
*(俺は、金の使い方が、下手だ。事業と、寄付には、躊躇なく出すのに、自分の楽しみには、なぜか、ブレーキが、かかる)*
*(八年間、負け続けた時の、癖が、抜けないんだろうな)*
グラスを、傾けた。
高い酒だった。
でも、うまいのか、どうか、正直、よくわからなかった。
西村が、店の人間を、呼んで、次々と、頼んでいく。
高級なシャンパンの、ボトルが、何本も、運ばれてくる。
花火のついた、馬鹿でかいケーキみたいなものが、店員に、担がれて、登場した。
店中の、視線が、こっちに、集まる。
「西村。これ、誰の、誕生日でもないだろ」
「いいの! 雰囲気! 雰囲気が、大事なの!」
会計は、たぶん、ひと晩で、数百万。
俺は、それを、聞いても、何とも、思わなかった。
*(昔の俺なら、卒倒してたな。場末のスロットで、五万、溶かすのに、あんなに、悩んでたのに)*
*(金の、桁が、麻痺してる。これは、これで、よくない兆候だ)*
でも、西村が、本当に、楽しそうだった。
現地の店員と、片言の英語で、肩を組んで、写真を、撮っている。
その顔を、見ていると、まあ、いいか、と、思えた。
*(こいつは、金を、ちゃんと、喜びに、変えられる。俺には、できない芸当だ)*
*(俺は、稼ぐのは、得意だけど、使うのは、下手なんだな)*
---
問題は、小林さんだった。
爆音の、クラブに、移動した、後。
西村は、水を得た魚のように、フロアの、真ん中で、踊っている。
現地の客と、いつの間にか、肩を組んで、笑っている。
俺は、ソファ席で、ぼんやり、それを、眺めていた。
そして、隣を、見た。
小林さんが、ウーロン茶を、握りしめて、石像のように、固まっていた。
「……小林さん」
「はい」
「楽しいですか」
「……音が、大きいです」
「ですよね」
「あと、暗くて、画面が、見えにくいです」
*(画面、見ようとするな)*
小林さんは、結局、三十分後、
「先に、ホテルに、戻って、いいですか。サーバーの、監視を、したいので」
と言って、逃げるように、帰っていった。
*(こいつ、地球の裏側まで来て、サーバー監視を、口実に、夜遊びから、逃げた)*
*(でも、わかる。俺も、本当は、半分、そっち側だ)*
派手に、遊べる人間と、遊べない人間が、いる。
西村は、前者だ。
小林さんは、完全に、後者だ。
俺は、たぶん、その、真ん中あたり。
---
深夜。
西村が、フロアの向こうから、満面の笑みで、戻ってきた。
隣に、ひとり、連れている。
背の高い、女性だった。
美しい人だった。
切れ長の、目。すっと、通った、鼻筋。
所作の、ひとつひとつが、優雅で、堂々としている。
「会長! 紹介する! 今夜、運命の出会い、しちゃった!」
「……はあ」
「この人、めちゃくちゃ綺麗で、頭も良くて、英語もペラペラで、もう、完璧なの!」
その人が、俺に向かって、にこやかに、会釈した。
低めの、よく通る、落ち着いた声で、流暢な英語で、挨拶を、した。
*(……ん?)*
*(待て待て待て)*
*(西村、お前、気づいてないな)*
西村は、完全に、舞い上がっていた。
相手の手を、握って、何度も、頷いている。
その人は、すべてを、わかった上で、楽しんでいる、という顔を、していた。
西村の、はしゃぎっぷりを、余裕の、微笑みで、受け止めている。
明らかに、こちらより、何枚も、上手だった。
*(西村の眼力、会社の採用面接では、ほぼ百発百中なのに)*
*(なんで、こういう時だけ、こんなに、見事に、外すんだ)*
その人が、俺と、目が、合った。
ふっと、片目を、つぶってみせた。
*(バレてるの、こっちだけか。完全に、遊ばれてる)*
俺は、咳払いを、ひとつして、西村の、肩を、叩いた。
「西村」
「ん? なに、会長」
「……いや。楽しんでこい」
*(言えなかった。だって、こんなに、楽しそうなんだもん)*
---
オチが、ついたのは、明け方だった。
ホテルの、ロビー。
西村が、魂が、抜けたような、顔で、座っていた。
「会長」
「どうした」
「……男性、でした」
「……知ってた」
「知ってたなら、言ってよ!!」
「言える、雰囲気じゃ、なかっただろ。お前、あんなに、幸せそうだったし」
「うわあああ、なんで気づかなかったんだ俺……!」
西村が、両手で、顔を、覆った。
*(こいつ、本気で、凹んでる)*
でも、不思議と、嫌な、後味は、なかった。
あの人は、最後まで、堂々としていて、品があって、西村の、勘違いも、全部、笑って、受け流していた。
別れ際、俺に、「お友達、面白い人ね」と、流暢な日本語で、言って、優雅に、去っていった。
*(最初から、日本語、できたのかよ)*
「西村」
「……なに」
「いい人、だったな」
「……うん。めちゃくちゃ、いい人、だった」
西村が、しょんぼりしながら、笑った。
「俺、人を、見る目には、自信あったんだけどなあ」
「事業の人選は、完璧だよ。お前は。今回のは、ノーカウントだ」
二人で、ロビーで、しばらく、笑った。
*(こういう夜も、悪くない。金で買った、馬鹿みたいな夜だけど──こういうのが、たぶん、人生には、少しだけ、必要なんだ)*
---
十二月十九日。
シンガポール。
マリーナ・ベイ・サンズ。
屋上の、船の形をした、あの、有名なホテル。
時計を、握った。
温かい。
しかも、今日は、鮮明だった。
*(よし。今日は、調子がいい)*
バカラと、ブラックジャックの、ハイリミットルーム。
マカオより、内装が、洗練されている。
静かで、明るくて、清潔。
でも、テーブルの上で、動く金額は、桁が、違う。
映像が、来る。
淡々と、張る。
淡々と、当たる。
ブラックジャックでは、ディーラーの、伏せたカードまで、見えている。
俺の手が、十六でも、ディーラーが、二十二で、バーストすると、わかっていれば、スタンドする。
逆に、ディーラーが、二十で止まると、わかっていれば、際どい手でも、ヒットして、二十一を、取りに行く。
*(カウンティングしてる、と、思われてるだろうな)*
ディーラーが、何人か、交代した。
シューも、何度か、新しいものに、切り直された。
でも、何を、変えても、結果は、変わらない。
カードの中身を、数えてるんじゃない。
結果を、先に、見てるんだから。
フロアマネージャーらしき、スーツの男が、遠くから、ずっと、こちらを、見ていた。
西村は、もう、絶叫する、気力も、なくして、ただ、口を、開けて、見ている。
「会長……これ、出禁になんない?」
「なるかもな。でも、どうせ、今日で、最後みたいなもんだ」
*(時計が、終わったら、もう、二度と、ここには、来ない。来ても、ただの、客だ)*
深夜まで、回して。
シンガポールだけで、約六千万。
ホテルの、最上階の、部屋から、夜景を、見た。
プールの水面に、街の灯りが、揺れている。
西村が、ぽつりと、言った。
「会長。俺さ、最近、わかってきたんだ」
「ん」
「会長が、なんで、こんなに、強いのか。理由は、わからない。でも──会長、勝っても、ぜんぜん、嬉しそうじゃ、ないよな」
*(こいつ、たまに、鋭い)*
「……そうかもな」
「なんでだろうな」
「さあ。なんでだろうな」
答えなかった。
答えられなかった。
*(勝つことには、もう、慣れすぎた。手が、震えない。心臓も、跳ねない)*
*(八年、負け続けてた頃のほうが、一回の勝ちは、ずっと、重かった)*
ポケットの、時計に、触れた。
まだ、温かい。
でも──ほんの少しだけ、その温度が、さっきより、弱くなっている気が、した。
*(気のせいか)*
*(……気のせいだと、いいけど)*
明日は、ラスベガス。
山下さんが、合流する。
そして、山下さんが、会わせたい、という、男が、待っている。
---
**── 遠征収支メモ(速報・第74話/十二月十九日)──**
*海外遠征の勝ち金は、帰国後にまとめて雑所得として申告・納税予定。下記は税引前の速報値。*
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話までの累計勝ち金(税引前) | +約3,000万円 |
| シンガポール・バカラ/BJ収支(税引前) | +約6,000万円 |
| 渡航・滞在・打ち上げ費(バンコク/シンガポール分) | ▲約1,500万円 |
| **遠征速報・累計勝ち金(税引前)** | **+約9,000万円** |
*時計、シンガポールでは鮮明。ただし夜、温度がわずかに弱まる兆候。次はラスベガス(最終地)。山下が合流し、ある人物と引き合わせる予定。*
---
*【第75話へ続く】*




