第50話 〜風向き〜
十一月の最終週。
木曜日の午後。
恵比寿のオフィスの窓から、街路樹の紅葉が見えた。
銀杏が金色に染まって、歩道に落ち葉が積もっている。
十一月の東京は、一年で一番、空気が澄んでいる。
山下さんと、月次ミーティング。
「会長、十一月の全体サマリーです」
山下さんが、いつものように、きちんと整理された資料を広げた。
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「FORECASTから。有料課金者数は、八千人。先月比で百人減ですが、ほぼ横ばいです。小林さんのコラム配信と、新規ユーザー向けのキャンペーンが効いて、流出がほぼ止まりました」
「底を打ったか」
「はい。そう見て差し支えないと思います。月商は広告含めて約七百七十万。安定水準です。小林さんの新しいアルゴリズムのプロトタイプが、今月中にテスト段階に入ります。年明けには、サービスに実装できる見込みです」
「いよいよだね」
「はい。小林さんの表情が、最近少し明るくなっています。あの方は、研究ができている時が一番いい顔をします」
*(山下さんは、人のことをよく見ている。数字だけの人じゃない。それが、この人の強みだ)*
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「不動産。全物件稼働。賃料収入は約百九十七万。来年度の賃料改定に向けて、西村さんが市場調査を進めています。白金の物件は、周辺相場が上がっているので、五パーセント程度の値上げが可能かもしれません」
「西村さんに任せるよ。無理な値上げはしないように、とだけ伝えてくれ」
「承知しました」
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「KY Liveです」
山下さんが、藤原さんのレポートを開いた。
「十一月の数字は、引き続き好調です。公式アカウントのフォロワーが二万一千人。先月から九千人の増加です。ギフト連動ミネクラ配信が定期企画として定着し、毎週土曜の配信は安定して三千人以上の同時視聴を集めています」
「佐々木さんの力だね」
「はい。佐々木さんのフォロワーは、五万三千人。水野さんが八千二百人。水沢さんが五千百人。三人とも、順調に伸びています」
「企業案件は?」
「水野さんに二件目のPR案件が決まりました。ライフスタイル系のブランドで、報酬五十万円。事務所の取り分が十五万です。水沢さんにも、アパレルブランドからの打診が入っています。佐々木さんには、ゲーム会社からの案件が来ています」
「収支は?」
「ギフト収入と企業案件を合わせて、月間の売上が約六十万になりました。支出は人件費中心で約百四十五万ですので、まだ赤字ですが、赤字幅は月を追うごとに縮まっています。来年の春には、単月黒字が見えてきます」
「キャッシュは持つ?」
「現在の口座残高から逆算すると、来年二月頃に底をつく計算です。その前にKYHからの資金注入が必要です」
「わかった。タイミングを見て、対応する」
*(KY Liveは、まだ投資フェーズだ。でも、方向は合っている。人が揃って、コンテンツが形になって、数字がついてきている。あとは、時間の問題だ)*
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「あと、河村さんから報告です。新しい所属ライバーが一名、正式に契約が決まりました。コスメ系の女性配信者で、フォロワー一万五千人。十二月から活動開始予定です」
「四人目か」
「はい。年内五人の目標のうち、四人目。藤原さんが最初に掲げた目標に、着実に近づいています」
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「最後に、ナカジマ精工です」
「松田さんから、重要な報告が来ています。大手医療機器メーカーとの継続取引が正式に決まりました。月額で約百万円規模の受注です。これで、ナカジマ精工の月次収支が黒字に転換します」
「松田さんの技術が認められたってことだね」
「はい。チタン合金の微細加工で、うちの精度に匹敵する工場は、国内にほとんどないそうです。松田さんの言葉を借りれば、『ようやく、腕を見てもらえるようになった』と」
「……いい言葉だ」
「超小型インペラの研究も、第四段階に進んでいます。大学の研究チームが論文を準備しているそうです。発表されれば、学術的な注目も集まります」
*(松田さんの工場を買ってから、まだ一年も経っていない。でも、確実に前に進んでいる。長期戦の中に、小さな勝利が積み重なっている)*
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ミーティングが終わった。
山下さんが、資料をまとめながら、ふと口を開いた。
「会長」
「何?」
「一年前の今頃を、覚えていますか」
「一年前?」
「はい。去年の十一月。会社を設立して、まだ半年も経っていなかった頃です。社員は、私と西村さんと、あと……当時のメンバーで四人。オフィスも、この半分のスペースでした」
「懐かしいね」
「今は、KY Holdingsのメンバーだけで七人。KY Liveが四名の所属ライバーに藤原さんと河村さん。ナカジマ精工が松田さん以下数十名。関わる人の数が、一年で数倍になりました」
「そうだね」
「事業も、四つになりました。FORECAST、不動産、KY Live、ナカジマ精工。一年前には、想像もしていなかった規模です」
山下さんが、少し間を置いた。
「会長は、一年後のことを、考えていますか」
「一年後か」
「はい。この会社がどうなっていくのか。会長が、何をしたいのか」
窓の外を見た。
銀杏の葉が、風に舞っていた。
「……まだ、はっきりとは見えてない。でも、風向きが変わってきてる気はしてる」
「風向き」
「うん。今までは、目の前にあるものを一つずつ拾ってきた。人に出会って、その人がやりたいことに金を出して、一緒に走ってきた。それは、これからも変わらない。でも、最近、それだけじゃないものが、頭の隅にある」
「それは、何ですか」
「……まだ、言葉にならない。もう少し、考えさせてくれ」
「わかりました」
山下さんが、静かに頷いた。
この人は、待てる人だ。結論を急がせない。それが、参謀としての最大の美点だ。
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午後。
スタジオに顔を出した。
藤原さんが、新しい所属ライバーのプロフィールシートを見せてくれた。
真鍋優奈、二十六歳。コスメ系の配信者。メイク動画とレビューが中心。
きれいな顔立ちだが、喋り方に親しみがある。動画を見せてもらったが、確かにいいセンスだった。
「真鍋さんが加わると、事務所のジャンルが四つに分かれます。水野さんの雑談・料理、水沢さんの雑談・トーク、佐々木さんのゲーム、真鍋さんのコスメ・美容。それぞれの視聴者層が違うので、事務所全体としてリーチが広がります」
「五人目の目処は?」
「河村さんが、音楽系の配信者に声をかけています。ギター弾き語りの男性で、フォロワー一万二千人。年内に契約できれば、当初の目標達成です」
「いいペースだ」
「はい。会長が最初に『年内に五人』と言った時は、正直、厳しいかもと思いましたが、河村さんのスカウト力が想像以上でした」
*(人を見つけて、人に任せる。その繰り返しだ)*
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水野さんとアンちゃんが、スタジオにいた。
今夜はコラボ配信の日だ。二人で一緒に、料理配信をする。
「会長、見ていきますか?」
水野さんが聞いた。
「少しだけね。邪魔しないようにするよ」
「邪魔じゃないですよ。いつもギフトありがとうございます」
水野さんが、にこっと笑った。
*(バレてるのか。匿名なのに)*
「匿名さんのギフトのタイミングが、いつも絶妙なんですよ。会話が盛り上がった瞬間にレインボーが来るので、もしかして会長じゃないかなって」
「……ノーコメントで」
水野さんとアンちゃんが、笑った。
スタジオを出て、吉野さんの車に乗った。
車の中で、スマートフォンを見た。
里中さんから、写真付きのLINEが来ていた。
華やかなパーティー会場の写真。テーブルに花が並んで、奥にステージが見える。照明が、暖色系に統一されていて、センスの良さが伝わってくる。
*「桐島さん、ご報告です。今年一番大きかった案件、無事終わりました! 先月お話ししたクライアントとは別のやつですけど。大成功!」*
先月、銀座のバーで会った時、「別の案件が三つ重なって死にそう」と言っていた。その一つだろう。
*「おめでとう。写真見ただけでも、すごくいい雰囲気が伝わる」*
*「ありがとうございます。準備期間三ヶ月、徹夜も何回かあったけど、お客さんが喜んでくれたから全部報われました」*
*「里中さんの企画力だよ。ちゃんと休んでね」*
*「明日は爆睡します笑 桐島さんも、お忙しいと思いますが、お体に気をつけて。また飲みに行きましょう」*
*「もちろん。いつでも」*
里中さんらしい報告だった。
軽くて、明るくて、距離が近すぎない。
仕事が好きで、仕事を楽しんでいる人の、いい表情がLINEの文面から伝わってくる。
*(里中さんは、会うたびに少しずつ、仕事の話が楽しそうになっている。いいことだ)*
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夜。
吉野さんの車で、大井に向かった。
大井競馬場。
ナイター。
十一月の大井は、空気が冷たくなっていた。
息が少しだけ白い。
照明塔の明かりが、冬の気配を帯びた夜空に映えていた。
指定席に座って、ホットワインを買った。
大井のフードコートは、季節ごとにメニューが変わる。秋冬のホットワインは、ここの名物だ。
時計が温かくなった。
握った。
第十レース。
ダート1800メートル。
四番が先行して直線で粘る映像。九番が外から差して一着。四番が二着。七番が三着。
3連単。9-4-7。
出走表を見た。
九番は、六番人気。前走は大敗しているが、1800メートルは得意距離。大井のダートとの相性がいい。
四番は、一番人気の先行馬。実力は確かだが、直線で止まる映像が見えた。
七番は、九番人気の穴馬。長い距離で時折好走する。
*(一番人気が粘るが差される。配当が跳ねるパターンだ)*
3連単。9-4-7。
五万円。
レースが始まった。
四番が、スタートから先行して、ペースを作った。
直線。四番が粘る。しかし、外から九番が伸びてきた。
九番が四番を差し切って一着。四番が二着で粘った。
七番が、内から伸びて三着に入った。
9-4-7。確定。
払い戻し。
3連単。配当、百六十八倍。
五万円が、八百四十万円。
*(八百四十万。大きい)*
ホットワインを飲み干した。
大井の夜空を見上げた。
星は見えない。でも、照明塔の光が、星の代わりに輝いていた。
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帰りの車の中。
窓の外を、湾岸線の夜景が流れていた。
レインボーブリッジの光。お台場のビル群。東京タワーが、遠くで赤く光っている。
一年前。
俺は、タワーマンションのリビングで、一人で懐中時計を握っていた。
何もなかった。金だけがあった。
今は、違う。
金はもっと増えた。でも、金だけじゃないものが、周りにある。
人がいる。事業がある。やるべきことがある。
小林さんは、新しいアルゴリズムを作っている。
藤原さんは、KY Liveを事業として成り立たせようとしている。
松田さんは、チタンの精度を極限まで追求している。
水野さんとアンちゃんは、カメラの前で、自分の言葉を届けている。
佐々木さんは、画面の向こうの人たちを、笑わせている。
山下さんは、全部を見守りながら、静かに支えている。
西村さんは、不動産の現場を一人で回している。
吉野さんは、俺が行きたい場所に、いつでも連れていってくれる。
*(俺は、一人じゃない)*
*(そして、風向きが変わってきている)*
*(保護犬のこと。シングルマザーのこと。社会の中で、金があれば解決できるのに、金がないから解決できないこと。そういうものが、視界に入り始めている)*
*(今はまだ、種だ。でも、種は蒔かれた。いつか、芽が出る。その時に、動く)*
*(今は、目の前の事業を、一個ずつ。確実に)*
タワーマンションに着いた。
エレベーターで上がって、リビングに入った。
窓の外に、東京の夜景が広がっていた。
ソファに座って、懐中時計を取り出した。
銀色の蓋。すり減った彫刻。
祖父の形見。
握った。
温かかった。
でも、映像は来なかった。
*(今は、レースの時間じゃない。ただ、温かいだけだ)*
懐中時計を、テーブルの上に置いた。
照明を少し落として、コーヒーを淹れた。
十一月の夜は、静かだった。
窓の外の光が、いつもより優しく見えた。
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**── 残高メモ(第50話)──**
*第3章前半の節目。全事業俯瞰。FORECAST底打ち、KY Live成長、ナカジマ精工黒字化。所属ライバー4人目加入。保護犬・社会福祉への関心が芽生え、物語の方向が変わり始める。*
### 個人資金(桐島遊馬)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約19,487.8万円 |
| 大井競馬ナイター 3連単(5万→840万) | +約835万円 |
| 競馬・競艇収入(11月中旬〜下旬・片手間分) | +約200万円 |
| 飲食費・交通費等 | ▲約3万円 |
| **桐島遊馬 個人資金** | **約20,519.8万円** |
*注:個人資金が約2億500万円。ナカジマ精工への追加出資1,000万を差し引いても堅調に増加。*
### 法人資金(KY Holdings)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約5,312.4万円 |
| FORECAST 11月月次売上(横ばい安定) | +約770万円 |
| 不動産賃料収入(11月・全物件) | +約197万円 |
| オフィス賃料・人件費等(11月分) | ▲約390万円 |
| 新エンジニア宮本 給与(11月分) | ▲約58万円 |
| **KY Holdings 法人口座** | **約5,831.4万円** |
### KY Live
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約328.5万円 |
| ギフト収入合計(事務所分10%・全ライバー・11月) | +約18万円 |
| 企業案件収入(水野PR案件2件目・事務所分30%) | +約15万円 |
| 藤原誠 月額報酬(11月分) | ▲約60万円 |
| 河村マネージャー 月額報酬(11月分) | ▲約40万円 |
| 水野まり 月額サポート(11月分) | ▲約15万円 |
| 水沢アン 月額サポート(11月分) | ▲約15万円 |
| 佐々木拓也 月額サポート(11月分) | ▲約15万円 |
| **KY Live 法人口座** | **約216.5万円** |
*注:KY Liveの月間収入が約33万に成長(ギフト18万+企業案件15万)。支出は145万。赤字幅は月112万に縮小。12月に真鍋優奈が加入予定(支出+15万/月だが、企業案件増が見込める)。キャッシュが薄くなる来年1-2月にKYHからの資金注入を予定。*
### ナカジマ精工
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約4,465万円 |
| 受注加工売上(11月分) | +約350万円 |
| 大手メーカー継続取引(11月分) | +約120万円 |
| 人件費(従業員14名・社保込み) | ▲約350万円 |
| 研究費・材料費 | ▲約50万円 |
| 工場賃料(桐島個人名義物件) | ▲約30万円 |
| 光熱費・設備維持費 | ▲約40万円 |
| **ナカジマ精工 口座残高** | **約4,465万円** |
*注:ナカジマ精工が月次黒字に転換(受注350万+大手取引120万=月470万、支出470万で収支均衡)。超小型インペラ研究は第四段階。来月以降、大手取引の拡大で月次黒字定着の見込み。*
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### 全体サマリー(第50話時点)
| 口座 | 残高 |
|:--|--:|
| 桐島遊馬(個人) | 約20,519.8万円 |
| KY Holdings(法人) | 約5,831.4万円 |
| KY Live | 約216.5万円 |
| ナカジマ精工 | 約4,465万円 |
| **合計** | **約31,077.7万円** |
*物語開始からの総資産:約3.1億円。*
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*【第51話 へ続く】*




