第44話 〜テコ入れ〜
八月の第二週。
水曜日の午後。
恵比寿のオフィスで、小林さんと向き合っていた。
山下さんが同席している。
小林さんは、ノートパソコンの画面を俺に向けた。
FORECASTの管理画面。グラフの線が、右肩下がりになっていた。
「有料課金者数の推移です。五月にピークの一万人を超えましたが、六月から減少傾向に入って、今月は八千五百人です」
小林さんの声は、いつも通り淡々としていた。
でも、指先が少しだけ強くキーボードに触れているのが、見えた。
「原因は、自分なりに分析しています」
「聞かせて」
「大きく二つです。一つ目は、競合の参入。大手のスポーツメディアが、AIを使った競馬予測サービスを三つ立ち上げています。無料プランが充実していて、ライトユーザーがそちらに流れている。二つ目は、的中率の天井です。現在のアルゴリズムでは、これ以上の精度改善が難しい。直近三ヶ月、横ばいが続いています」
「小林さんは、どうしたい?」
単刀直入に聞いた。
小林さんは、数字で世界を見る人だ。データの話を聞いた後に、本人の気持ちを聞くのが、一番いい。
「……新しいアルゴリズムを作りたいです」
小さく、でもはっきりと言った。
「今のモデルは、レース結果の統計分析がベースです。これを、リアルタイムのオッズ変動や、パドックの馬体情報、天候データまで取り込んだマルチモーダルモデルに作り替えたい。構想はあります。でも、今の業務を回しながらだと、研究に割ける時間がない」
「エンジニアが、もう一人いれば?」
「はい。運用と保守を任せられる人がいれば、僕は研究に集中できます」
山下さんが、メモを取りながら口を開いた。
「人材紹介会社に、条件を出しましょう。AIエンジニアで、運用経験がある方。年収は七百万前後で探せば、候補は出てくると思います」
「小林さん、その人に求めるスキルセット、書き出してくれる? 今週中に」
「わかりました」
小林さんが、少し安堵したように、肩の力を抜いた。
この人は、助けを求めるのが下手だ。自分で全部抱え込んでしまう。だから、こちらから聞きに行かないといけない。
「あと、もう一つ」
「はい」
「新しいアルゴリズムが完成するまでの間、ユーザーの離脱を食い止める施策が必要だ。何かある?」
「……コンテンツの強化は考えています。予測の結果だけじゃなくて、分析の過程を記事として配信する。なぜこの馬を推したのか、どのデータがどう作用したのか。有料会員だけが読めるコラムにすれば、付加価値になります」
「いいね。それなら小林さんの分析力が活きる。記事は週何本出せる?」
「週二本なら」
「十分。それでいこう」
小林さんが、小さく頷いた。
表情はほとんど変わらない。でも、目の奥に、火が灯ったのが見えた。
*(FORECASTは、小林さんの魂だ。自分で作ったものが衰えていくのを見るのは、つらかっただろう。でも、この人は、つらいとは言わない。代わりに、コードで答えを出そうとする)*
「小林さん、ありがとう。任せます」
「はい」
小林さんが、ノートパソコンを閉じた。
ミーティングが終わった。
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同じ日の夕方。
渋谷のスタジオに、藤原さんとアンちゃんが来ていた。
吉野さんの車で、恵比寿から渋谷に移動した。
スタジオは、雑居ビルの三階。エレベーターを降りると、防音ドアの向こうに、真新しい空間が広がっていた。
配信ブースは、まず四つが稼働していた。残りは、所属ライバーが増えるにつれて順次整備する計画だ。
一番奥の広いスペースには、ゲーム配信用のPCが並んでいる。照明がプロ仕様で、天井にはLEDパネルが敷き詰められていた。
「すごいね、ここ」
アンちゃんが、きょろきょろと見回していた。
今日は仕事前の私服。白いブラウスにデニム。化粧は軽め。
「水沢さん、はじめまして。KY Liveでディレクターをしている藤原です」
藤原さんが、丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして。水沢アンです。よろしくお願いします」
アンちゃんも、きちんと頭を下げた。
普段の砕けた雰囲気とは少し違う。初対面の仕事相手に対する、ちゃんとしたスイッチが入っていた。
「会長から、お話は伺っています。ライブ配信に興味があるとのことで」
「はい。水野さんの配信を見て、やってみたいなって思って」
「水野さんの配信、見てくださったんですね。ありがとうございます。水沢さんは、今、お仕事は?」
「キャバクラで働いてます。六本木で」
「なるほど。接客のお仕事をされているなら、トーク力はベースとしてお持ちですね。配信で一番大事なのは、視聴者との会話のキャッチボールなので」
藤原さんが、メモを取りながら話を進めた。
プロの目で、アンちゃんのポテンシャルを測っている。
「配信のジャンルは、何か考えていますか?」
「……まだ全然。雑談とか、かな」
「雑談配信は、実は一番難しいんです。トークだけで視聴者を引きつけなきゃいけないので。でも、水沢さんがそれをやりたいと言うなら、それが一番の強みになる可能性もあります」
「え、そうなんですか」
「はい。キャバクラのお仕事って、一対一の接客ですよね。配信は一対多ですが、上手い配信者は、一人一人のコメントに反応して、一対一の連続にするんです。水沢さんには、その素養があると思います」
アンちゃんが、少し驚いた顔をした。
自分の仕事が、そういう形で評価されたのは、初めてだったのかもしれない。
「まずは、テスト配信をしてみましょう。非公開で、スタッフだけが見る形で。そこでカメラの前に立ってみて、感覚を掴んでもらえれば」
「はい。お願いします」
アンちゃんが、真剣な顔で頷いた。
藤原さんが、スタジオの設備を案内しながら、配信の基本的な流れを説明した。
照明の当て方。カメラの角度。マイクの距離。コメントの拾い方。
アンちゃんは、一つ一つ、素直に聞いていた。
*(この人は、新しいことを吸収するのが早い。キャバでも、最初は何もわからなかったのに、気がついたら本指名の嬢になっていた。配信でも、同じことが起きるかもしれない)*
「テスト配信は、来週の水曜日でどうですか。お仕事のシフトと合いますか」
「水曜は休みなので、大丈夫です」
「では、午後三時にここに来てください。一時間くらい、カメラの前で自由に喋ってもらいます。テーマは、何でもいいです。日常の話、仕事の話、好きなものの話。水沢さんが自然に喋れることが一番大事なので」
「わかりました。ありがとうございます、藤原さん」
アンちゃんが、帰り際に、俺の方を見た。
「ねえ、遊馬くん」
「ん?」
「藤原さん、すごくいい人だね。ちゃんとしてる」
「でしょ。うちの自慢のディレクターだよ」
「うん。なんか、安心した」
アンちゃんが、少し照れたように笑って、エレベーターに乗った。
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アンちゃんが帰った後、藤原さんとスタジオに残った。
「水沢さん、いいですね。第一印象は、かなりポテンシャルが高いと感じました」
「どのあたりが?」
「まず、声がいい。低すぎず高すぎず、聞いていて疲れない声質です。配信では、これが意外と大きい。あと、相手の話を受けてから返す間の取り方が、自然にできている。キャバクラで鍛えられたんでしょうね」
「テスト配信、楽しみにしてます」
「はい。それと、別件で報告があります」
藤原さんが、ノートパソコンを開いた。
「水野さんの配信データです。初配信から十日間の推移ですが、毎日配信を続けた結果、フォロワーが二千八百人まで伸びています。同時視聴のピークも、初日の三百二十八人から、直近では五百人を超える日が出てきました」
「十日で五百人。早いね」
「はい。水野さんの強みは、継続力です。毎日休まず配信して、視聴者との関係を積み上げている。TikTokのアルゴリズムも、毎日配信するアカウントを優遇する傾向があるので、好循環が生まれています」
「いい流れだ」
「それと、もう一つ。マネージャーの採用を進めたいと考えています」
「マネージャー?」
「はい。今は僕が水野さんの配信スケジュール管理から企業案件の営業まで全部やっていますが、水沢さんが加わると、一人では回せなくなります。それに、新人ライバーの発掘も並行して進めたい」
「新人の発掘?」
「はい。TikTokで一定のフォロワーを持っているけど、マネタイズがうまくできていない配信者がたくさんいます。そういう人たちに声をかけて、事務所に入ってもらう。機材とスタジオを提供して、配信のクオリティを上げる。企業案件の営業も事務所が代行する。配信者にとってはメリットしかない設計です」
「収益配分は、今の水野さんと同じ形?」
「はい。プラットフォーム四十五パーセント、事務所十パーセント、配信者四十五パーセント。配信者の取り分は、無所属でも事務所所属でも変わらない。事務所の十パーセントは、プラットフォームの取り分から出るので」
「それなら、声をかけやすいね」
「はい。ただ、スカウトと面談と契約管理をする人間が必要です。マネージャーを一人、早急に採用したい」
「わかった。山下さんに話しておく。条件は?」
「ライバー業界かエンタメ業界の経験がある方。年齢は問いません。月額報酬は四十万程度で」
「了解。藤原さん、どんどん進めてくれ」
「ありがとうございます。年内に所属ライバーを五人まで増やすのが目標です。水野さん、水沢さんに加えて、あと三人。スカウト候補のリストは、すでに作り始めています」
*(藤原さんは、言われなくても先を見ている。この人をディレクターに据えたのは、正解だった)*
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夜。
タワーマンションのリビングで、水野さんの配信をチェックした。
今夜のテーマは「お料理配信」。
スタジオのキッチンスペースで、オムライスを作っていた。
スマートフォンの縦画面に、水野さんの手元が映っている。
フライパンの上で卵がふわりと広がる。コメントが画面の下から湧き上がる。
「え、ケチャップでハートとか描ける人いる? 私、絶対失敗するんだけど」
コメント欄が盛り上がった。「やってやって!」「失敗していいから!」「ケチャップ芸人ww」。
ハートが画面の右側をふわふわと上っていく。
ギフトも飛んでいた。スターやフラワーが、画面を彩っている。
水野さんが、ケチャップでハートを描こうとして、見事に歪んだ。
「……ね? 言ったでしょ。これ、ハートじゃなくてカブトムシじゃん」
コメントが爆笑していた。
*(この人は、失敗を笑いに変えられる。それが才能だ)*
配信を見ながら、スマートフォンでもう一つの画面を開いた。
明日の川崎競馬のナイター開催の出走表。
懐中時計が、ポケットの中で、微かに温かくなった。
*(明日も、稼ぐ)*
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木曜日の夕方。
吉野さんの車で、川崎競馬場に向かった。
ナイター開催。
照明塔の明かりが、夕暮れの空に浮かんでいた。
時計が温かくなった。
握ると、映像が来た。
第七レース。
三番、五番、十一番。この順番で入線する映像。
三連単。3-5-11。
五万円を投じた。
レースが始まった。
三番の馬が、最後の直線で一気に前に出た。五番がそれに続く。十一番が、内から差してきて三着に入った。
的中。
配当は、百二十八倍。
払い戻し、六百四十万円。
*(悪くない)*
続けて第九レース。
時計が再び温かくなった。
七番、二番、九番。
十万円を投じた。
的中。
配当は、七十二倍。
払い戻し、七百二十万円。
二レースで、一千三百六十万円。
投資額は十五万円。
*(法人の口座が薄い。今月中に、もう少し積んでおきたい)*
競馬場を出て、吉野さんの車に乗った。
「吉野さん、今日はそのままタワマンで」
「承知しました」
車の中で、スマートフォンを開いた。
山下さんにLINE。
*「明日、オフィスで時間もらえますか。法人への資金注入について、相談したいです」*
*「承知しました。午前中であれば空いております」*
*(KYHの口座が千二百万しかない。来月のFORECAST売上と不動産賃料で回せるとはいえ、余裕がなさすぎる。個人の資金から、追加で注入しておいた方がいい)*
窓の外を、川崎の夜景が流れていった。
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金曜日。
午前中に、山下さんとオフィスで打ち合わせ。
「法人口座の件ですが、現在の残高が約千二百万円。来月のFORECAST売上が約八百五十万、不動産賃料が約百九十七万。一方で、オフィス賃料と人件費が約三百九十万。差し引きで月末には約千九百万程度になる見込みです」
「FORECAST用のエンジニア採用と、KY Liveのマネージャー採用が入ると、月の固定費がさらに上がるよね」
「はい。エンジニアの年収七百万なら月約五十八万、マネージャーが月四十万。合わせて月約百万の増加です」
「個人から三千万を追加で入れます」
「三千万。承知しました。時期は?」
「来週中に」
「わかりました。資本金の増資として処理しますか、それとも役員貸付にしますか」
「増資で」
「承知しました。手続きを進めます」
*(これで、法人の口座に余裕ができる。FORECASTのテコ入れ、KY Liveの拡大、両方に対応できる)*
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午後。
再び渋谷のスタジオに顔を出した。
藤原さんが、一人でデスクに向かっていた。
二台のモニターに、TikTokの配信画面とスプレッドシートが並んでいる。
「会長、こちらを見てください」
スプレッドシートに、スカウト候補のリストが並んでいた。
「TikTokで一万フォロワー以上、定期的に配信しているけど、無所属の配信者をリストアップしました。現時点で十二名。ジャンルは、雑談、ゲーム、料理、美容。うちの事務所の方向性に合いそうな��を中心に選んでいます」
「この中で、特に可能性が高いのは?」
「三名ですね。一人目は、ゲーム配信の男性。フォロワー二万三千。トークが面白くて、リアクションが大きい。スタジオのPC設備を使えば、配信のクオリティが一気に上がります。二人目は、コスメ系の女性。フォロワー一万五千。企業案件が取りやすいジャンルです。三人目は——」
「まず、その三人にコンタクトを取ってくれ。マネージャーの採用と並行して」
「わかりました」
*(水野さんが軌道に乗り始めて、アンちゃんがテスト配信を控えていて、新人のスカウトも始まる。KY Liveが、少しずつ形になってきている)*
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夜。
タワーマンションに帰った。
リビングのソファに座って、今日の整理をした。
FORECAST。
小林さんが、新しいアルゴリズムの開発に着手する。
エンジニアの採用を進める。
週二本のコラム配信で、ユーザーの離脱を食い止める。
KY Live。
水野さんは、毎日の配信で着実にファンを増やしている。
アンちゃんのテスト配信が、来週水曜日。
マネージャーの採用と、新人ライバーのスカウトを並行して進める。
年内に所属ライバー五人が目標。
法人。
個人資金から三千万を追加増資する。
不動産。
安定稼働中。問題なし。
ナカジマ精工。
精密加工の精度が、着実に上がっている。長期戦だが、方向は合っている。
*(一個ずつ、手を打っていく。全部を同時に完璧にはできない。でも、一個ずつなら、できる)*
窓の外に、東京の夜景が広がっていた。
八月の夜は、まだ暑かった。
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**── 残高メモ(第44話)──**
*FORECAST テコ入れ開始(エンジニア採用・コラム施策)。アンちゃん×藤原顔合わせ。KY Liveマネージャー採用・新人スカウト開始。川崎競馬ナイター2レース的中。*
### 個人資金(桐島遊馬)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約18,370.8万円 |
| 川崎競馬ナイター 3連単×2(5万→640万、10万→720万) | +約1,345万円 |
| 競馬・競艇収入(8月中旬・片手間分) | +約150万円 |
| 飲食費・交通費等 | ▲約2万円 |
| KY Holdingsへ増資 | ▲約3,000万円 |
| **桐島遊馬 個人資金** | **約16,863.8万円** |
### 法人資金(KY Holdings)
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約1,234.4万円 |
| 桐島遊馬 個人増資 | +約3,000万円 |
| **KY Holdings 法人口座** | **約4,234.4万円** |
*注:エンジニア(FORECAST用)、マネージャー(KY Live用)の採用費・月額報酬は翌月以降に計上。*
### KY Live
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | ���635.3万円 |
| 水野まり配信 ギフト収入(事務所分10%・8月中旬分) | +約1.2万円 |
| **KY Live 法人口座** | **約636.5万円** |
*注:水野まりのフォロワー2,800人、同時視聴ピーク500人超。ギフト収入は増加傾向。*
### ナカジマ精工
| 項目 | 金額 |
|:--|--:|
| 前話末時点 | 約3,585万円 |
| *(8月分は第43話で計上済み)* | ― |
| **ナカジマ精工 口座残高** | **約3,585万円** |
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*【第45話 へ続く】*




