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第25話 〜脈動〜

読んでいただいてありがとうございます。

ちょっと更新が久しぶりになってしまったんですけど、

第17話以降はすべて内容を修正させていただいておりますので、

もし読んでいただく場合は、第17話ぐらいから読み直していただきますと非常に助かります。


よろしくお願いいたします。


 一月十一日。

 土曜日の朝。


 タワーマンションの五十階から見える東京は、冬の光に包まれていた。

 正月の余韻はとっくに消えて、街はいつもの速度に戻っている。

 車が走り、人が歩き、ビルが影を落としている。

 全部が、窓の下にある。


 ナイトテーブルから時計を取った。

 翠色の金属。

 握った。


 温かかった。


 映像が来た。

 中山競馬場。

 第十一レース。

 ゲートが開く。

 七番の馬が先行する。

 最後の直線で外から三番が差し切る。

 着順が見えた。

 配当が見えた。

 三連単、三−七−十二。

 払い戻し、八十四万三千二百円。


 鮮明だった。

 元旦から、ビジョンのクリアさは戻っていた。

 十一月のぼやけが嘘みたいに、輪郭がはっきりしている。

 馬の毛並みの色まで見える。


 *(よし。今日も見える)*


 時計をポケットに入れた。

 シャワーを浴びて、コーヒーを淹れた。

 窓際のカウンターに座って、スマートフォンで出走表を確認する。

 中山第十一レース。

 三番、マイネルグランツ。

 七番、サンデーブレイブ。

 十二番、トウカイフェスタ。

 映像と一致する。


 馬券はネットで買った。

 三連単、三−七−十二。

 五万円。


 *(これで当たれば四百万超える。悪くない土曜日の始まりだ)*


---


 午前中は仕事をした。

 アプリの月次レポートに目を通す。

 有料会員は五千人を突破していた。

 月額八百八十円。

 単純計算で月の売上が四百四十万。

 そこから経費を引いても、事業単体で黒字が定着しつつある。


 山下さんが元旦に送ってきた年間計画書には、「四月までに有料会員八千人到達を目標とする」と書いてあった。

 山下さんは正月でも仕事をする人だった。

 元旦に年間計画書を送ってくる人を、俺は他に知らない。


 小林さんからはSlackで開発進捗の報告が来ていた。

 英語版の設計に着手しているらしい。

 西村の忘年会での発言を、もう形にし始めている。

 この人のスピード感には毎回驚かされる。


 昼前に、橘さんからXの投稿案が届いた。

 今週のレース分析。

 文章は相変わらず簡潔で正確だった。

 だが、最近はSlackの返信が遅くなっている。

 以前は五分以内に返ってきたのが、三十分、時には一時間かかることがある。


 *(……橘さん、大丈夫かな)*


 そう思いながらも、深追いはしなかった。

 人にはそれぞれの事情がある。


---


 午後一時四十分。


 ソファに座って、中山の第十一レースの発走を待っていた。

 テレビをつけている。

 グリーンチャンネル。

 パドックの映像が流れていた。


 その時だった。


 ポケットの中の時計が、熱くなった。


 *(……え?)*


 一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 朝、もう映像は見た。

 一日一回。

 それがこの時計のルールだった。

 十ヶ月間、一度も例外はなかった。


 だが、時計は確かに熱い。

 朝と同じ温度。

 間違いない。


 手を伸ばして、ポケットから時計を取り出した。

 翠色の金属が、午後の光の中で鈍く光っている。

 握った。


 映像が来た。


 *(——来た)*


 競輪。

 川崎競輪場。

 ナイター。

 バンクを走る選手たちの姿が見える。

 ゼッケンの番号が読める。

 七番の選手がまくりを打つ。

 二番が番手から出る。

 着順が見えた。

 三連単、七−二−五。

 配当が見えた。


 映像が消えた。


 手の中の時計が、ゆっくりと温度を下げていく。


 しばらく動けなかった。


 *(二回。一日に二回、映像が来た)*


 *(これは——何だ?)*


 心臓が速くなっていた。

 興奮ではない。

 恐怖でもない。

 もっと根本的な、何かが変わったという確信。


 *(時計が、進化してる?)*


 テレビからファンファーレが聞こえた。

 中山の第十一レースが始まる。

 だが、俺の頭は半分、別のところにあった。


 レースは朝のビジョン通りだった。

 三−七−十二。

 三連単、的中。

 払い戻しは四百二十一万六千円。


 だが、喜びよりも先に、次の問いが浮かんだ。


 *(川崎のナイター。今日の十九時四十分発走。七−二−五。これも当たるのか?)*


---


 川崎競輪場のナイターは、冬の夜の中で白い照明に照らされていた。


 吉野さんの運転で来た。

 川崎までは四十分ほどだった。


「吉野さん、ちょっと寄り道して帰ります。すみません」


「お気になさらず」


 吉野さんは車の中で待っていてくれる。

 いつもそうだ。

 待つことに対する不満を、一度も見せたことがない。


 場内に入った。

 平日のナイターは客がまばらだ。

 土曜のナイターは少し多いが、それでも競馬場の週末とは比べものにならない。

 薄暗い観客席。

 バンクの照明だけが眩しい。


 三連単、七−二−五。

 三万円。


 レースが始まった。

 鐘が鳴る。

 先頭誘導員が退避する。

 選手たちがスピードを上げていく。

 バンクの傾斜を選手たちが駆け上がる。


 七番がまくった。

 二番が番手から出た。

 五番が三着に残った。


 着順確定。

 七−二−五。


 的中。

 払い戻し、六十八万四千百円。


 車券を握ったまま、しばらく立っていた。


 *(当たった。二回目も当たった)*


 *(一日に二回。朝と午後。別々の競技。別々の映像。両方、当たった)*


 払い戻しを受け取って、駐車場に戻った。

 吉野さんが車のドアを開けてくれた。


「お待たせしました」


「いいえ。お帰りですか」


「はい。帰ります」


 車に乗り込んだ。

 夜の川崎の街が窓の外を流れていく。


 ポケットの中の時計に触れた。

 もう冷たかった。

 今日の分は終わったらしい。


 *(一日二回。もし、これがたまたまじゃなくて、これからもずっと続くとしたら。俺の稼ぐペースは単純に倍になる)*


 *(いや、倍どころじゃない。時間帯が変われば、賭けられる競技も変わる。朝は競馬。昼は競艇。夜は競輪。一日三回来たら? 四回来たら?)*


 *(……落ち着け。まだ一日だけだ。明日も同じことが起きるかどうかは、わからない)*


 だが、体の奥に確信があった。

 これは一時的なものではない。

 時計が変わった。

 何かが、次の段階に進んだ。


---


 翌日、日曜日。


 朝、時計を握った。

 映像が来た。

 中山競馬場。

 第十レース。

 鮮明。


 午前十一時。

 時計が熱くなった。

 握った。

 映像が来た。

 平和島競艇。

 第八レース。


 午後三時。

 また熱くなった。

 映像が来た。

 立川競輪。

 第九レース。


 三回。

 一日に三回。


 全部、当たった。


 合計の払い戻しは、一千百万を超えた。


 日曜の夜、タワーマンションの窓の前に立った。

 東京の夜景が広がっている。

 レインボーブリッジが光っている。


 時計を手のひらに載せた。

 冷たい。

 でも、昼間の記憶が手に残っている。

 あの不意に訪れる熱さ。

 脈動するような、生き物のような温度。


 *(時計は生きている。最初からそう思っていた。でも、今は確信に変わった。こいつは成長してる)*


 *(問題は、これをどう使うか、だ)*


 *(競馬場で一日に三回当てたら、さすがに目立つ。もし同じ場所で何度も高額配当を出し続けたら、確実に周囲の目に留まる。今までは一日一回だから目立たなかった。でも三回、四回となったら話は別だ)*


 *(競技を分ければいい? 朝は競馬、昼は競艇、夜は競輪? でも、それぞれの会場に毎日通い続けるのか? 忙しすぎるだろ。 そもそもどの競技の未来が見えるかもわからないのに)*


 *(もっと効率のいい使い方がある気がする。一回の判断で大きく動かせる勝負。何度当てても不自然じゃない場所。そういう場所が……)*


 頭の中に、マカオの夜景が浮かんだ。

 四月に行ったカジノの記憶。

 ポーカーテーブル。

 一晩で何十ハンドも勝負する。

 勝ったり負けたりを繰り返す中で、大きなポットだけ確実に取れたら?

 何度当てても「上手いプレイヤー」で済む。


 *(海外カジノだ)*


 *(マカオか、ラスベガスか。海外のキャッシュゲーム。ポーカー、バカラ、ブラックジャック。一日に何度も発動するこの時計の新しい性質を、最も自然に活かせる場所)*


 窓の外の夜景を見つめた。

 東京タワーの赤い光が、冬の空に滲んでいる。


 *(でも、まだ早い。まずは、この変化がどこまで続くのか確かめる。一週間、二週間。パターンを把握してから動く)*


 時計をナイトテーブルに置いた。

 翠色の金属が、夜景の光を受けて、微かに輝いていた。


---


 一月の第三週。

 水曜日の午後。


 西村と一緒に、大田区の工場を訪ねた。


 吉野さんの運転で環七を南に下る。

 ビルの谷間を抜けて、住宅と工場が混在する地域に入る。

 道が狭くなる。

 看板が古くなる。

 空気が変わる。


 中島鉄也。

 七十二歳。

 有限会社ナカジマ精工の創業者であり、現役の社長。


 秋から何度か顔を合わせていた。

 最初は警戒されていた。

 「若い社長さんが何の用だ」という目。

 それが、会うたびに少しずつ変わっていった。


 今日は、工場の中を見せてもらう約束だった。


 車が工場の前に着いた。

 二階建て。

 壁はトタン。

 看板の文字は半分消えかけている。

 でも、入口の前は掃き清められていた。

 一本のゴミもない。


「来たか」


 中島さんが入口に立っていた。

 作業着姿。

 背は低いが、肩幅が広い。

 手が大きい。

 節くれだった指。

 爪の間に、金属の粉が染みついている。

 何十年も洗い続けて、それでも取れない色だ。


「お邪魔します、中島さん」


「靴は履き替えてくれ。中は土足禁止だ」


 入口で安全靴に履き替えた。

 西村も同じように履き替える。


 工場の中に入った瞬間、空気が変わった。


 油の匂い。

 金属の匂い。

 旋盤のモーター音が低く唸っている。

 天井から蛍光灯がぶら下がっていて、その下で職人たちが黙々と手を動かしている。


 古い。

 機械は年季が入っている。

 だが、一台一台が丁寧に手入れされていた。

 油を差したばかりの金属の表面が光っている。

 床に切粉が散っているが、通路は確保されている。

 安全第一の張り紙。

 作業手順書が壁に貼ってある。


 *(この工場は、金がないんじゃない。金はないけど、誇りはある。その差は大きい)*


「これがうちのメインだ」


 中島さんが奥の機械の前で立ち止まった。

 五軸マシニングセンタ。

 古い型番だが、改造の跡がある。


「この機械はこの会社用にカスタマイズしたものだ」


「中島さんが手を入れたってことですか」


「メーカーの標準じゃ精度が足りなかったんでな。主軸のベアリングを入れ替えて、テーブルの送り機構も自分で調整した。カタログスペックより二段上の精度が出る」


「二段上って、ミクロンの話ですか」


「サブミクロンだ」


 中島さんの目が、一瞬だけ光った。

 技術の話をする時だけ見せる表情。

 秋に初めて会った時から、この表情に惹かれていた。


 西村が横で黙って聞いている。

 西村はこの手の技術の話はわからない。

 でも、人の熱を感じ取る感覚は誰よりも鋭い。


 工場を一通り見て回った。

 旋盤が五台。

 マシニングセンタが三台。

 研削盤が二台。

 測定室が一つ。

 従業員は今日出勤しているのが十人ほど。

 全員が五十代以上に見えた。


 事務所に戻って、お茶を出された。

 急須で淹れた緑茶。

 湯呑みにヒビが入っている。


「中島さん、一つ聞いてもいいですか」


「なんだ」


「前に西村から聞いたんですけど、二十年前は医療機器の試作をやってたって」


 中島さんの手が止まった。

 湯呑みを持ったまま、一瞬だけ目を伏せた。


「……ああ。やってた」


「どんなものを?」


「人工心臓のポンプ部品だ」


 声のトーンが変わった。

 それまでの朴訥な口調に、別の色が混じった。

 懐かしさか。

 悔しさか。

 両方だろう。


「ポンプの中に、インペラっていう羽根車がある。血液を送り出すための部品だ。これを小さく、軽く、精密に作る。それが、うちの得意だった」


「得意だった?」


「今もできる。技術は残ってる。ただ、注文が来なくなった。大手が内製化して、うちみたいな町工場は切られた。……まあ、よくある話だ」


 中島さんは湯呑みに口をつけた。

 お茶を飲む間、沈黙が落ちた。


「正直に言うとな、桐島さん」


「はい」


「うちは、もう長くない。売上九千万、利益はトントンだが、実態は三期連続の赤字だ。決算は税理士がうまく整理してくれてるから数字の上では薄く黒字になったり、薄く赤字になったりだが、借入金が増え続けてる。三千二百万。うちの規模じゃ、重い」


「……」


「俺は今七十二だ。体も、昔みたいには動かん。老骨に鞭打って、毎朝五時に工場に出て、夜九時まで機械の前に立って、それでようやく何とか回してる。今年に入ってからは、背中と膝が限界でな。このペースが続けられるのは、あと一年が限度だ」


「中島さん、息子さんは」


 中島さんが、少しだけ、目を伏せた。


「健太郎。四十五だ。今は川崎のメーカー勤務で、生産管理の課長をやっとる。家庭もあるし、子供も二人いる。安定した給料を貰ってる」


「継ぐ話は」


「一度もしたことがない」


「一度も?」


「当たり前だ。俺は、こいつを継がせるわけにはいかんと、ずっと思ってた」


 中島さんが、湯呑みをテーブルに置いた。

 少し、音が大きかった。


「三千二百万の借金と、老朽化した設備と、下向きの売上と、平均年齢五十八の職人たち。そんなもんを、息子に押し付けられるか。健太郎には健太郎の人生がある。俺の尻拭いをさせるために、息子を道連れにするわけにはいかん」


「……」


「だから、去年の秋頃から、売却を考え始めた。会社を畳んで、借金を精算して、職人たちにはそれぞれ退職金の形を作って、俺自身は田舎に引っ込んで、釣りでもして余生を過ごす。そういう絵を、描いてた」


 中島さんが、ふっと息を吐いた。


「西村から、若くて景気のいい社長がいると聞いた時、正直、金になる工場じゃねえから、話だけ聞いて終わるだろうと思ってた。でも、あんた、何回も来たな」


「すいません、しつこくて」


「いや、有り難かった」


 中島さんが、小さく笑った。


「それで、話が戻るんだが」


「はい」


「その技術で、やりたいことがあったんじゃないか、って、あんた、聞いてくれたな」


 中島さんが顔を上げた。

 俺の目を見た。

 数秒、何も言わなかった。

 それから、立ち上がって、事務所の奥の棚からファイルを一つ持ってきた。


 テーブルの上に置いた。

 厚さ三センチほど。

 表紙に「特許出願資料」と書いてある。


「見てくれ」


 ファイルを開いた。

 図面が出てきた。

 チタン合金製の超小型インペラ。

 直径十二ミリ。

 肉厚〇・三ミリの翼が六枚。

 従来品の半分以下のサイズ。


「これは?」


「体内埋め込み型の心臓補助装置——LVADっていうんだが——そのポンプの中核部品だ。今のLVADは、装置が大きくて、体外にバッテリーとケーブルを出さなきゃならない。患者は一生、腹からケーブルをぶら下げて暮らす。感染症のリスクも高い」


 中島さんの声に力がこもっていた。


「このインペラが実用化できれば、ポンプ全体を劇的に小さくできる。バッテリーも含めて全部体内に収まるサイズにできる可能性がある。心臓移植を待ってる患者が、普通の生活を送れるようになる」


「特許は?」


「取ってある。十五年前に出願して、日本とアメリカで成立してる。ただ、試作品を作って、動物実験まで持っていく資金がなかった。医療機器の研究開発は金が溶ける。研究に金を突っ込んで、本業の体力が削れて、ここまで来ちまった」


 中島さんは自嘲するように笑った。

 だが、その笑みの奥に、まだ火が残っていた。

 消えかけているが、完全には消えていない火。


「夢物語だって笑うか、桐島さん」


「笑わないですよ」


 俺はファイルの図面を見つめた。

 直径十二ミリのインペラ。

 翼の一枚一枚に、職人の魂が込められている。

 図面の線の一本一本に、二十年の執念が詰まっている。


「中島さん。俺、この工場いや、会社を買いたいと思ってます」


 言葉が、自分でも思っていたより早く出た。


 中島さんが目を見開いた。

 西村も一瞬、こちらを見た。


「……買う?」


「はい。ただ、条件があります」


「条件?」


「一つ。中島さんに残ってほしい。技術顧問として。この特許の研究開発を、ちゃんと進めたいんです」


「……」


「二つ。借入金は企業買収時に、俺の方で全部精算します。中島さん個人にも、工場にも、借金を残しません」


「……全部」


「はい。三千二百万、全部です」


「……」


「三つ」


 俺は、少しだけ、言葉を選んだ。


「息子さんに、相談してもらえませんか」


 中島さんの動きが、止まった。


「健太郎に?」


「はい。さっき、健太郎さんは川崎のメーカーで生産管理の課長をされてると、伺いました。中島さんは『継がせるわけにはいかない』と、ずっと思ってきた。でも、それは、借金と赤字をそのまま継がせたくなかったからですよね」


「……」


「借金を精算して、研究開発と設備投資の資金は俺が新しく入れて、経営はKY Holdingsの子会社として黒字運営を目指す。そういう状態なら、健太郎さんが『親父の夢を継ぐ』選択肢も、あっていいと思うんです」


 中島さんは、黙っていた。

 湯呑みを持つ手が、微かに震えていた。


「桐島さん、あんた、うちの息子に会ったこともないだろう」


「ないです」


「なんでそんな提案をする」


「中島さんの今日の顔を見てて、思いました。息子さんに継がせない決心をした親父の顔と、本当は継がせたかった親父の顔、両方が見えるんです」


 中島さんが、しばらく、目を閉じた。

 十秒。

 二十秒。

 三十秒近く、そのまま動かなかった。


 西村が、横で、静かに息を吸うのが聞こえた。


「……桐島さん」


「はい」


「あんた、ちょっと、ずるいぞ」


「すいません」


「考えさせてくれ。俺だけじゃ決められん。健太郎にも、話す」


「お願いします」


「金がかかるぞ。研究だけで億は飛ぶ」


「知ってます」


「しかも、うまくいく保証はない。十年かかるかもしれない。二十年かかるかもしれない」


「それでも」


 中島さんは湯呑みをテーブルに置いた。

 置く音が、静かな事務所に響いた。


「……少し、時間をくれ。健太郎と話す」


「もちろんです。急ぎません」


「嘘つけ。あんたの目、急いでるよ」


 中島さんが、初めて笑った。

 皺の深い顔に、温かい笑みが浮かんだ。


 帰りの車の中で、西村が言った。


「遊馬、お前やっぱすげえな。あの親父さん、俺が何ヶ月通っても、あの特許の話は一回もしなかったぞ。息子の話も、初めて聞いた」


「たまたまだよ。話の流れで」


「たまたまじゃねえって。お前が聞いたから、出してきたんだよ。あの人、信用した相手にしか見せないタイプだ」


「健太郎さん、工場を継ぐって言うと思う?」


「さあな。でも、あの親父さんが自分から『健太郎と話す』って言った時点で、半分は答えが出てる気がするぞ」


「どういうことだ」


「親父さんの中に、もしかしたら継がせてやれる道があるかもしれない、って光が差したってことだろ。今まで絶対継がせないって言い切ってた人間が、『話してみる』って言うんだから」


 窓の外を見た。

 大田区の町工場が並ぶ通り。

 夕日が工場のトタン屋根に当たって、オレンジ色に染まっている。


 *(やりたいことが、また一つ増えた。金が要る。今の手持ちじゃ足りない。時計は進化した。一日に複数回。この力を最大限に使える場所は……)*


 ポケットの中の時計に触れた。

 冷たい。

 でも、明日の朝にはまた温かくなる。

 そして昼にも。

 夜にも。


 *(ラスベガス。本気で考える時が来たのかもしれない)*


---


**── 残高メモ(第25話・1月下旬時点)──**


*時計進化の検証段階。まだ控えめな運用にとどめている。工場買収を視野に入れるには、今の手持ちでは全く足りない。*


### 個人資金(桐島遊馬)


| 項目 | 金額 |

|:--|--:|

| 前巻末繰り越し | 約8,796万円 |

| 1月ギャンブル収入(進化確認・控えめ検証) | +約400万円 |

| 個人生活費(1月分) | ▲約15万円 |

| **桐島遊馬 個人資金** | **約9,181万円** |


### 法人資金(KY Holdings)


| 項目 | 金額 |

|:--|--:|

| 前巻末繰り越し | 約6,326.2万円 |

| アプリ収入(1月分) | +約450万円 |

| 賃料収入(1月分) | +約42.8万円 |

| 法人経費(1月分・役員報酬/人件費/家賃等) | ▲約900万円 |

| 育成預託料(八十七番・1月分) | ▲約15万円 |

| **KY Holdings 法人口座** | **約5,904万円** |


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