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第16話 〜帰国〜


4月19日、朝。


目が覚めた。


いつもの動作で時計を取り出した。

握った。


温かかった。


映像が来た。


カジノのテーブル。

ブラックジャックのディーラーの手が動いた。

エースとキング。

ナチュラルブラックジャック。


*(また来た)*


昨日のバカラに続いて、3日連続だった。


---


翌日も温かかった。


映像にはスロットのリールが回っていた。

ハイレートの台。

揃う絵柄が見えた。


*(4日連続か)*


マカオに来てから温かかった日は、これで4日になった。

ポーカー、バカラ、ブラックジャック、そしてスロット。

それぞれの日に映像が来て、映像通りに動いた。


海外でも、時計は変わらなかった。

それだけははっきりした。


---


4月21日は冷たかった。

 

映像は来なかった。

カジノには行かなかった。


アンちゃんとコタイの街を歩いた。

土産を買い回って、夕方に部屋に戻った。


*(こういう日も悪くない)*


---


4月22日、朝。


目が覚めた。


時計を握った。


冷たかった。


*(最終日も来なかったか)*


カーテンを開けた。


コタイの朝が広がっていた。

白く明るい光の中に、ホテルとカジノが並んでいる。


昨夜も夜通しネオンが灯っていたはずのその建物が、朝の光の中では妙に静かだった。


コーヒーを淹れた。

窓の前に立って、カップを両手で持った。


悪くない旅だった。

それだけは間違いない。


---


帰国便の機内で、CAから入国カードと一緒に一枚の書類を渡された。


「支払手段等の携帯輸出・輸入申告書」

と書いてある。


隣でアンちゃんが首を傾けた。


「それなに?」


「現金の申告書。100万円超えたら出さないといけない」


「え、税金取られるの?」


「関税はかからない。申告するだけだよ」


「じゃあなんで申告するの」


「しないと罰則があるから。懲役か罰金」


「こわっ」


アンちゃんが少し目を丸くした。


「カジノで勝った分も申告しなきゃいけないの?」


「現金で持って帰るならね」


「じゃあ私も書く?」

アンちゃんがスマートフォンを取り出した。


「アンちゃんは自分の分を計算して、100万超えてたら書く」


「やばい、計算する」

アンちゃんが真剣な顔でスマートフォンをいじり始めた。


書類に記入した。

持ち込む現金額を円換算で記入する欄がある。


*(申告するだけでいい。それはわかってる。ただ所得税のほうは山下さんに任せるしかない)*


マカオで稼いだ金は個人の一時所得になる。


税金の処理は、帰国してから山下さんに話す必要があった。


「私、ギリギリ100万いかなかった」

アンちゃんがほっとした顔で言った。


「よかったじゃないか」


「ほんとに。遊馬くんは?」


「俺は超えてる」


「いっぱい勝ったもんね」

アンちゃんが少し笑った。


「カジノって、申告書書くことになるくらい勝てるとか、やばいね」


*(まあ、確かにそうだな)*


「アンちゃんも次来たら申告する側に回ってるかもよ」


「えー、さすがにないでしょ」

アンちゃんが笑った。


---


羽田に着いたのは昼過ぎだった。


入国審査を抜けて、税関で申告書を提出した。


担当の職員が金額を確認して、特に何も言わずに手続きを進めた。

それだけだった。


荷物を受け取って、ターミナルの出口に出た。


タクシー乗り場に向かった。

アンちゃんが隣を歩いている。


「先にアンちゃんの家寄っていく?」


「え、いいの?」


「どうせ通り道だし」


アンちゃんが少し笑った。

「じゃあ甘えちゃう」


タクシーに乗り込んだ。

アンちゃんが住所を告げた。


「マカオ、楽しかったね」

アンちゃんが窓の外を見ながら言った。


「うん、ほんとに」


「また行こうね。絶対」


「そうだね。また行こう」


「それ行かないやつ」

アンちゃんが笑いながら言った。


「絶対行くからね」


「行くよ。約束」


「よし」

アンちゃんが満足そうな顔をした。


*(7日間、ずっと一緒にいた。それが急に終わる感じがする)*


アンちゃんの家の前でタクシーが止まった。


アンちゃんがスーツケースを引きながら降りた。

振り返って、少し手を振った。


「ありがとね。楽しかった」


「俺も楽しかったよ」


「またね」


「また」


ドアが閉まった。

タクシーが動き出した。


「南青山まで」

と運転手に言った。


---


部屋に入った。


7日間空けていた部屋は、空気が少しよどんでいた。

窓を少し開けた。

4月の風が入ってきた。


*(帰ってきた)*


荷物をソファの横に置いた。

スーツケースを開けるのは後でいい。


ベッドに仰向けに倒れた。


天井が白い。

見慣れた天井だ。

染みがない。


マカオの部屋は天井が高かった。

バスタブが2個あった。

窓の外にコタイのリゾートが広がっていた。


*(あれはあれでよかったけど、ここはここでいい)*


目を閉じた。


静かだった。


---


翌日、事務所に顔を出した。


スーツケースから出しておいたマカオの土産の紙袋を持って行った。


ドアを開けた瞬間、西村が立ち上がった。

 

「おかえり!!」


「ただいま」


「マカオどうだった?!」


「よかったよ、めちゃくちゃ」


「それだけ?! もうちょっと具体的に言ってよ」


「すんごい楽しかったよ。アンちゃんが150万勝った」


「は? 会長が勝ったんじゃなくて?」


「そう。俺はビギナーズラックに全部持ってかれた」


「えー、それめちゃくちゃ面白いじゃん。あとで詳しく聞かせてよ」


西村がソファに崩れ落ちた。


橘さんが振り返って、軽く頭を下げた。

「お帰りなさい」


「ただいまです。これ、橘さんに。マカオの名産の肉乾です」

橘さんの机に紙袋を置いた。


橘さんが袋の中を確認した。

マカオの老舗店の肉乾の詰め合わせだった。

豚と牛の干し肉を5種類、丁寧に箱詰めにしてある。


「……ありがとうございます」

橘さんが少し間を置いてから言った。


箱をしまう前に、橘さんがスマートフォンを一瞬確認した。

画面に何かの通知が並んでいたが、すぐにポケットに戻した。


*(まあ、仕事の通知か何かだろ)*


小林さんがモニターから目を離してこちらを見た。


「お帰りなさい。マカオ、天気はよかったですか」


「よかったですよ。毎日晴れてて。これ、小林さんに」


小林さんが受け取った。

手榴弾の形をした丸い缶。

マカオの有名店の杏仁餅が入っている。


「缶が珍しいですね」


「マカオの老舗の土産らしいんで」


「ありがとうございます」

小林さんが丁寧に頭を下げた。


西村が立ち上がってきた。

「俺は? 俺のは?」


「はい。お待たせ」


渡すと、西村が袋の中を覗いた。

コタイの高級ホテルのパティスリーが詰めたマカロンのBOXだった。

ひとつひとつが宝石のように並んでいる。


「うわ、これめちゃくちゃセンスいいじゃん」

西村が目を輝かせた。


「ホテルの中のやつだよ」


「ありがとう!! てかこれ持ってきてくれたんだ。気が利くじゃん」


「だろ」


*(土産を買わないという発想がなかっただけだ)*


山下さんが近づいてきた。


「お帰りなさいませ」


「ただいまです。山下さんにこれ」


山下さんが受け取った。

重みのある箱だった。

マカオの老舗茶荘の普洱茶。

茶筒と茶葉のセットで、年代物の茶葉を使っているという説明が箱に書いてある。


山下さんがしばらく箱を見た。


「……普洱茶ですか」


「マカオはお茶の文化も残ってるんで。山下さん、好きかなと思って」


「……好きです。ありがとうございます」

山下さんが静かに言った。


*(山下さんが「好きです」と言った。珍しい)*


4人が揃ったのを確認してから、もう一つの紙袋を机の上に置いた。


「もう一つある。ちょっと集まってもらえますか」


西村が

「え、なに?」

と言いながらソファから立ち上がった。


橘さんと小林さんも近づいてきた。


袋の中から、オレンジ色の箱が4つ出てきた。

エルメスのボックスだった。


「マカオのコタイにエルメスが入ってて。せっかくなんで」


西村が固まった。


「……え」

 

「財布、お揃いで買ってきた。俺の分も同じやつ持ってる」


西村がボックスを受け取って、蓋を開けた。

ベアン コンパクトウォレット。

エトゥープのグレインドレザー。

シンプルで、飽きない一本だ。


「……やばい」

西村が少し声を落とした。


「やばいって何が」


「いや、高かったろ。マジでありがとう」


「気にするなよ。お前らがいてくれるから買えるんだから」


山下さんが静かに箱を確認していた。


橘さんは何も言わず、財布を手に取って一度眺めた。


小林さんが

「ありがとうございます」

と丁寧に頭を下げた。


少し間を置いた。


「お揃いで買ったんで、使ってください」


西村が何か言いかけて、一度止まった。


「じゃあ、これは仕事頑張らなきゃいけない理由がもう一個できたわ!!」

西村が顔を上げた。

いつものテンションが戻ってきた。


山下さんが一礼した。

「ありがとうございます」


橘さんも短く、

「ありがとうございます」

と言った。


「じゃあ仕事の話に戻りましょう」


山下さんがいつもの表情に戻って言った。


「港区の1LDKの件ですが、先週から交渉が1件進んでいます。今週中に連絡が来る予定です」


「了解です。いい感じですね」


「高輪の2LDKは今月も問題なく入金がありました。それからアルファードの件ですが、今日の午後に納車の予定です」


西村がソファから跳ね起きた。

「そうだ!!今日でしょ! 俺も行く!」


「来るか」


「当然でしょ! 運転手の人も今日来るじゃん」


「そうだな。じゃあ一緒に行こう」


「ちゃんと選んだから。俺が」

西村が少し真顔になって言った。


「わかってる。西村に任せてやっぱり良かったわ」


「信頼してよね」


「してるよ」


西村がまた笑った。


*(西村、ちゃんとやってる。それは知ってる)*


---


午後、ディーラーに向かった。

西村がタクシーの中でずっと喋っていた。


ショールームの前に、ホワイトパールのアルファードが停まっていた。

先月試乗したときと同じ車体だが、納車仕立ての光沢がある。


手続きを終えて、ディーラーを出た。


事務所への運転は山下さんがしてくれた。


事務所に戻ると、見慣れない男がソファに座って待っていた。


40代の前半くらいだろう。

背が高く、体格がいい。

黒いスーツが体に合っている。

表情がほとんど動かない。


立ち上がって、深く頭を下げた。

「吉野と申します。よろしくお願いいたします」


声が低く、落ち着いていた。

余計な言葉がなかった。


「桐島です。こちらこそよろしくお願いします」


「はい」


それだけだった。


*(俺と同じくらいしか喋らないタイプだ)*


西村が横に立ちながら言った。

「前職は警備会社で15年。俺が直接話を聞いて、これはいいと思って。どう?」


吉野さんを少し見た。

立ち方が真っ直ぐで、視線がぶれない。


「いい人そうだと思う。西村、いい仕事してくれたな」


「でしょ」

西村が少し満足そうな顔をした。


山下さんが静かに言った。

「では雇用条件の最終確認を。吉野さん、少しよろしいですか」


「はい」


吉野さんが山下さんの方を向いた。

西村の勢いにも、山下さんの静けさにも、同じ温度で対応している。


手続きが一段落したところで、吉野さんに向かって聞いた。


「南青山から港区の事務所まで、車でどのくらいかかりますか」


「時間帯にもよりますが、空いていれば15分ほどかと。朝の混雑時で20分前後です」


「わかりました。呼ぶときは出発の30分から1時間前には連絡するようにします」


「承知しました」


吉野さんが一度うなずいた。

それだけだった。余計な愛想がない。


*(いい)*


「車はどこに停めておくんですか」

山下さんに目を向けながら言った。


山下さんがすぐに返した。

「吉野さんのご自宅の近くに月極駐車場を手配します。費用は法人で処理しますので」


「助かります。吉野さんも、遠いところ申し訳ないですけど、よろしくお願いします」


「とんでもないことです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

吉野さんが言った。


吉野さんが一礼して、事務所を出ていった。


西村が横に来て、小声で言った。

「よかったろ」


「ああ。ちゃんと選んでた」


「だから言ったじゃん」

西村がにやっとした。


*(信頼して正解だった)*


---


翌朝。


目が覚めた。


枕元の時計を手に取った。

翠色の金属が、4月の朝の光の中でくすんだ光を返している。


握った。


温かかった。


映像が来た。


東京競馬場。

芝のコース。

番号は7番。外から差し込んでくる映像だった。


*(帰ってきた)*


胸の中で何かがほぐれる感じがした。


マカオでは7日間のうち4日映像が来た。

帰国した翌々日の朝にも来た。

時計は変わらず動いていた。


温度を確かめた。

熱さはそこそこ強い。悪くない日だ。


窓を開けた。

南青山の4月の朝の空気が入ってきた。


*(さて)*


---


カフェに寄った。


エスプレッソと厚切りトースト。

出走表をスマートフォンで開いた。


東京競馬場、第7レース。

7番を探した。


馬名を確認した。

熱さと映像の内容が一致している。

今日は確かな日だ。


*(行こう)*


吉野さんに連絡した。

30分後に南青山まで来てほしい、と伝えた。


「承知しました」


一言だけ返ってきた。


アルファードが静かに横付けされたのは、ちょうど30分後だった。


---


競馬場に着くまでの間、仕切りのガラス越しに吉野さんの後頭部が見えた。

真っ直ぐ前を向いている。

余計な動きがない。


*(この人はギャンブルとかしないんだろうな)*


発走の30分前に着いた。


春の平日の東京競馬場は、週末ほど人が多くない。

指定席に座って、出走表をもう一度確認した。


第7レース。7番。


単勝オッズを確認した。


映像に余分な情報はなかった。

外から差してくる馬体だけが焼きついている。

3連単ではなく、単勝か馬連でいい日だ。


窓口で賭けた。


発走した。


最後の直線、外から7番が伸びてきた。

映像と同じ軌道だった。


*(ああ)*


先頭でゴールした。


払い戻し窓口に向かった。

手続きをして、現金を受け取った。


淡々としたものだった。

マカオのポーカーで手が揃ったときのような高揚感はない。

ただ、確実な仕事をした後の、静かな手応えがある。


*(仕事みたいなもんだ。でも、まあ悪くない)*


競馬場を出た。

駐車場の端に、アルファードが静かに待っていた。


乗り込む前に少し空を見た。

4月の空が高かった。


乗り込んだ。


「池袋のほうに寄ってもらえますか」


「承知しました」


---


帰りの車の中で、少し考えた。


マカオでそれなりに稼いだ。

4日間映像が来て、4日間きちんと動いた。

1日だけ映像のない日にカジノに入ったが、アンちゃんと笑いながら負けた。


*(あれはあれで悪くなかった)*


8年間、根拠のない確信で賭け続けて負け続けた男が、今は月に数千万動かしている。

金が増えて、生活が落ち着いて、マカオで笑いながら負けられるくらいには余裕ができた。


時計で映像が見えるときは、仕事だ。

確実に当てて、確実に回収する。


一方で、映像のない日にたまに少し遊ぶのは、もう構わない気がしていた。

金額を決めて、負けを受け入れて、それで終わる。

マカオでそういう楽しみ方を覚えた。


*(ただし、どっぷりはいかない。それだけは守る)*


吉野さんがハンドルを静かに動かした。

信号が変わった。

池袋が近くなってきた。


---


アルファードが池袋の路肩に止まった。


「着きました」


「ありがとうございます。今日はこれで上がっていいですよ。助かりました」


吉野さんがバックミラーをこちらに向けた。


「よろしいのですか」


「はい。お疲れ様でした」


「……ありがとうございます。では、失礼いたします」


吉野さんが深く頭を下げた。


車を降りた。

アルファードがゆっくりと走り去っていった。


*(初日からこの対応か。何となく、うまくやっていけそうだな)*


夕方の池袋の空気が、少し冷えていた。


---


扉を開けると、いつもの空気が返ってきた。

煙草と酒の匂いに、低いジャズが混ざっている。


「あら、おかえりなさい」

カウンターの奥から、和代さんが声をかけてきた。


「ただいまです。8日ぶりくらいですかね」


「マカオでしょ、聞いてたわよ。どうだった?」


「よかったですよ。ちゃんと楽しんできました」


「それだけ?」

和代さんが笑った。


「みんなにそう言われるんですよね」


「あなたはいつもそれだけなのよ。もう少し話してちょうだい」


「和代さんに話したらネタ尽きるから困るじゃないですか」


「まあ、口が達者になったわね」

和代さんが笑った。


福田さんが奥から顔を出した。

「おかえり。久しぶりだな」


「久しぶりです。1杯いいですか」


「どうぞどうぞ」


ハイボールを頼んで、カウンターに座った。


「そうだ、これ」

手提げの袋から瓶を2本取り出して、カウンターに置いた。


福田さんが瓶を手に取った。

ラベルを眺める。


「なんだこれ」


「マカオの地ビールです。ポルトガル統治の名残りで、向こうの醸造所が作ってるやつで。一本はスタウト、もう一本はラガー」


「へえ」

福田さんが少し目を細めた。


「遊馬くん、気が利くな」


「久しぶりに飲みに来るんで、何も持たずには来れないじゃないですか」


和代さんが奥から顔を出して瓶を見た。

「まあ。マカオのビールなんて初めて見た」


「珍しいでしょ。向こうじゃ普通に売ってるんですけど」


「開けていい?」

福田さんが聞いた。


「どうぞ。ぜひ」


福田さんがラガーの栓を抜いて、グラスに少し注いだ。

一口飲んで、しばらく黙っていた。


「……うまいな」


「そうですか。よかった」


「軽くていい。癖がない」

福田さんがグラスをカウンターに置いた。


「マカオって行ったことないけど、こういうもん作ってるんだな」


「カジノのイメージしかないですよね」


「だな」

福田さんが笑った。


「またよかったやつがあったら買ってきてよ。遊馬くんが土産を持ってくるの、初めてだろ」


「そうでしたっけ」


「そうだよ。いつもぶらっと来てぶらっと帰るじゃないか」


「じゃあ次も何か持ってきます。福田さんの好み、ちょっと覚えておきます」


「楽しみにしてる」

福田さんが小さく笑って、厨房に戻った。


視線の端に、桑原さんがいた。


いつものコーナーの席。

開いた本の前に、グラスが一つ置いてある。

さらっとした白いシャツ。

本から目を動かさない。


ちらっと背表紙が見えた。

英語のタイトルだった。


*(いた)*


手提げの袋を確認した。

ジンジーニャの瓶がちゃんとある。


*(桑原さんがいたら渡そうと思っていた。いてよかった)*


桑原さんがこちらを見ずに言った。

「帰ってきたんですか」


「帰ってきました。しばらくいなかったですよね、桑原さんも」


「先週帰りました。納期があるので、のんびりはしていられません」


手提げの袋から小さな包みを取り出した。


「これ、よかったら。マカオのお土産です。ポルトガルのジンジーニャというリキュールで、マカオにもその文化が残っていて。

好みに合わなければ無理に飲まなくていいですが」


桑原さんが本から目を上げた。

包みを受け取って、少し見た。

小さな瓶だった。

サクランボを漬けた深い赤色のリキュール。


「……ポルトガルのお酒は好きです」

桑原さんが静かに言った。


「そうですか。よかったです」


「ありがとうございます」


桑原さんがグラスを脇に置いて、包みをそっとカウンターの端に置いた。


しばらく2人ともグラスを傾けていた。

ジャズが低く流れていた。


桑原さんが本を閉じて、ふと言った。

「連絡先、交換しておきますか。

私も今度海外に行くときは、遊馬さんにお土産を買ってこようと思っていますので」


*(桑原さんの方から言うとは思わなかった)*


「はい、ぜひ」


2人でスマートフォンを出した。

LINEのQRコードを読み込んだ。


「じゃあ、登録しておきます」

桑原さんが言った。


「はい。よろしくお願いします」


桑原さんがまた本を開いた。

それだけだった。


でも、前と少し違う気がした。


桑原さんが本に視線を戻しながら、ほんのわずか口元が動いた。


*(笑ったのか。今)*


ウイスキーを飲んだ。

氷が鳴った。


ジャズが低く流れていた。


桑原さんがページをめくった。

ウイスキーを飲んだ。

福田さんがグラスを磨いていた。


いつもの夜だった。

悪くない夜だった。


---


**── マカオ収支メモ(確定版)──**


| 日付 | 内容 | 収支(個人) |

|:--|:--|--:|

| 4/16 | バカラ・ルーレット(映像なし) | ▲350万円 |

| 4/17 | ポーカー(映像あり・熱強) | +700万円 |

| 4/18 | バカラ(映像あり・熱控えめ) | +80万円 |

| 4/19 | ブラックジャック(映像あり) | +250万円 |

| 4/20 | スロット・ハイレート台(映像あり・熱強) | +350万円 |

| 4/19〜22 個人費用(食事・観光等) | | ▲20万円 |

| エルメス(ベアン コンパクトウォレット×5) | | ▲350万円 |

| 土産代(肉乾・杏仁餅・マカロン・普洱茶・地ビール・ジンジーニャ等) | | ▲80万円 |

| **マカオ個人収支合計** | | **+580万円** |


---


**── 残高メモ ──**


| 帰国後初競馬(映像あり・単勝) | +約210万円(個人現金) |

|:--|--:|

| 帰国後個人費用(4/22〜) | ▲約30万円 |

| 前話繰り越し(個人)+マカオ収支反映後 | 約6,581万円 |

| **桐島遊馬 個人資金** | **約6,761万円** |


| 高輪の2LDK 賃料入金(4月分) | +約25.6万円(法人収入) |

|:--|--:|

| マカオ旅行 法人経費残分(4/19〜22・ホテル等) | ▲約40万円 |

| 前話繰り越し(法人) | 約1億2,260万円 |

| **KY Holdings 法人口座** | **約1億2,246万円** |


---


*【第17話へ続く】*


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