第14話 〜水沢アン〜
4月18日、朝。
目が覚めた。
時計を握ったら温かかった。
映像が来た。バカラのテーブル。
プレイヤーが勝つ。
熱さは昨日より少し控えめだった。
*(今日は堅実な日だな)*
昨日のポーカーはあの熱さだったから、あれだけ動いた。
今日の熱さは穏やかだ。映像も1ゲームだけ見えた。大きく賭ける日じゃない。
入って、時計で確かめながら、タイミングが来たら1回だけやる日だ。
それはそれで、悪くない。
コーヒーを淹れた。
窓の外のコタイが朝の光の中にある。
4日目の朝だった。
---
「昨日のポーカー、夢に出てきた」
アンちゃんが目をこすりながらソファに座った。
コーヒーを両手で持って、遠くを見ている。
「どんな夢」
「リバーのとこ。あのカードが来た瞬間が、何回もリプレイされる夢。起きてもまだドキドキしてた」
「そんなに残ってたか」
「残るよ。だってあれはすごかったもん」
アンちゃんがこちらを向いた。
「ねえ遊馬くん、ギャンブルってずっと続けるの?」
少し考えた。
「たぶんね。やめる理由がないから」
「やめる理由がない、か」
アンちゃんがコーヒーを一口飲んだ。
「楽しいから?」
「まあね。楽しいっていうか、仕事とかに近いのかも」
「仕事って」
アンちゃんが少し笑った。
「普通の人にとってはギャンブルって仕事の逆じゃん。でも遊馬くんにとっては仕事なんだ」
「そういうことになるかな。変かもしれないけど」
「変じゃないよ。遊馬くんらしい」
「じゃあ負けたときは? 一昨日の昼みたいに350万溶かしたとき」
「経費みたいなもんだよ。たまに赤字になる日がある」
アンちゃんがしばらく考えた。
「遊馬くんって、好きなことに真っ直ぐだよね」
「褒めてるの?それ」
「褒めてるよ」
アンちゃんが笑った。
「周りにどう思われるかより、好きなことは好き。やりたいことはやる。その感じ、いいと思う。」
*(その好きなものがギャンブルってのは、どうなんだ...)*
「アンちゃんもそうだろ」
「私が?」
「ちゃんと自分の中で芯がある感じ、するよ」
アンちゃんが少し黙った。
「……そうかな」
「なんとなく、そう見える」
アンちゃんがまたコーヒーを飲んだ。
何かを少し考えているような顔だった。
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午前中、2人でコタイの外に出た。
タクシーに乗ってマカオ半島へ向かった。
20分ほどでセナド広場に着いた。
石畳の広場に、ポルトガル調の建物が並んでいる。
コタイの巨大リゾートとは全然違う空気だった。
「なんか雰囲気全然違う」
アンちゃんが言った。
「コタイと同じ国とは思えない」
「古い街だからね。たぶんこっちが本来のマカオだよ」
「へえ」
アンちゃんが石畳を踏みながら広場を見回した。
「なんか不思議な感じ。昨日まであんなキラキラしたとこにいたのに」
「落差がすごいな」
「でもこっちも好き」
アンちゃんがエッグタルトの屋台を見つけて
「食べたい」
と言った。
「いい?」
「いいよ、食べよう」
2人で並んで食べた。
温かかった。
アンちゃんが
「おいしい」
と言った。
「うん、旨いな。焼きたては違うね」
*(こういうゆっくりとした時間の使い方もいいな。楽しい)*
聖ポール天主堂跡まで歩いた。
石の壁だけが残っていた。
アンちゃんが
「なんか切ないね」
と言った。
「火事で焼けて、壁だけ残ったらしいよ」
「へえ、そうなんだ。……なんか、余計に切ない」
昼過ぎにコタイへ戻った。
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午後3時過ぎ、カジノに入った。
映像は結果だけだった。
テーブルもタイミングも、朝の映像には出ていない。
入って、適当なバカラのテーブルに座って、時計をポケットの中で握りながら確かめていく。
それだけだ。
アンちゃんが隣に座った。
最初の数ゲーム、小さくチップを入れながら時計をポケットの中で握った。
冷たかった。まだじゃない。
*(これが普通のギャンブルだ。結果がわからないまま賭ける)*
外れた。
また外れた。
小さいチップだから痛くはない。
アンちゃんが
「遊馬くん、なんかいつもと違う感じがする」
と言った。
「今は待ってるとこだよ」
「待ってる? 何を?」
「タイミング」
アンちゃんが少し首をかしげた。
「タイミングって、感覚でわかるの?」
「まあね。長年やってるとなんとなくね」
5ゲーム目。
ディーラーがカードを配る前に時計を握った。
温かかった。
*(これだ)*
プレイヤーに大きくチップを積んだ。
カードが配られた。
プレイヤー9、バンカー6。
プレイヤーが勝った。
チップが倍になって戻ってきた。
「当たった!」
アンちゃんが少し声を上げた。
「タイミングって本当にわかるんだ」
「まあね」
チップを手元に戻した。
今日の本命はこれだけだ。
ただ、それで終わりにするつもりはない。
「もう少し付き合うよ」
「え、続けるの?」
アンちゃんが嬉しそうな顔をした。
「やった」
そこからは2人でゆるく打った。
大きくは賭けない。
アンちゃんが当たって喜んで、外れて
「なんでー」
と言う。
遊馬も小さく賭けながらその隣にいた。
勝ったり負けたりを繰り返した。
収支はほぼトントンだったが、そういう時間も悪くなかった。
*(昨日のポーカーはヒリつきがあった。今日はそれとは別の、ただ一緒に遊んでいる時間だ。こっちはこっちで楽しい)*
1時間半ほどしてアンちゃんが
「そろそろいい?」
と言った。
「いいよ、出ようか」
2人でチップをキャッシュに換えた。
アンちゃんが
「私、ちょっと勝ってる」
と言って笑った。
「またか」
「またですよ」
アンちゃんがにこにこしていた。
「なんか私、カジノ向いてるんじゃないかな」
「調子に乗るなよ。そういうのが一番怖いんだから」
「わかってるわかってる」
アンちゃんが笑いながら遊馬の腕を軽く叩いた。
「でも楽しかった。ありがとう」
「こっちこそ、楽しかったよ。今日の夜、楽しみだね」
アンちゃんが
「あ! そうだ!」
と顔を上げた。
「めちゃくちゃいいご飯!」
---
ホテルに戻って、2人とも少し着替えた。
アンちゃんが洗面台の前でメイクをしながら
「どのくらいいいご飯なの?」
と聞いた。
「ミシュランのとこ、予約してある」
「え」
アンちゃんが手を止めた。
「ミシュラン!?」
「ホテル内の広東料理。山下さんが旅程表に書いてたやつ」
「山下さんが書いてたってことは、絶対いいやつじゃん!!」
アンちゃんがメイクを再開した。
手が少し早くなっていた。
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レストランに入ると、照明が落ち着いていた。
円形のテーブルに白いクロス。
窓からコタイの夜景が広がっている。
ウェイターが流れるように案内した。
アンちゃんがメニューを開いて
「読めない」
と言った。
「広東語だから」
「どうするの」
「ちょっと待って」
遊馬はスマートフォンを取り出してAIアプリを開いた。
カメラをメニューに向けると、数秒で日本語の訳が画面に重なって表示された。
「え、すご」
アンちゃんが覗き込んできた。
「なにこれ、全部日本語になってる」
「翻訳してくれるんだよ」
「めちゃくちゃ便利じゃん」
アンちゃんがスマートフォンをのぞきながら指でメニューをスクロールした。
「これ何、フカヒレ? 食べたい」
「頼もう。せっかくだし」
2人で画面を見ながら頼んだ。
フカヒレのスープ、北京ダック、蒸し海老餃子。
ウェイターが静かに動く。
料理が出てきた。
アンちゃんが一口食べて目を細めた。
「……やばい。これやばい」
「旨いか」
「美味しすぎる。なんでこんなに美味しいの」
アンちゃんがもう一口食べた。
*(食べ物の話をするとき、アンちゃんは本当に嬉しそうな顔をする。これを見るのが俺は結構好きだ)*
「よかった。連れてきた甲斐があった」
「遊馬くんは? おいしい?」
「おいしいよ。ほんとに」
「でしょ!」
アンちゃんがまた食べた。
しばらく食べながら話した。
マカオの話、昨日のポーカーの話、午前中の石畳の話。
話がゆるく続く中で、アンちゃんが少し声のトーンを落とした。
「ねえ、ルーナで働き始めたきっかけって、聞いていい?」
「聞いてもいいけど」
アンちゃんが少し笑った。
「なんで急に」
「なんとなく。知りたくなっただけ」
アンちゃんがしばらく黙って、北京ダックをひとかけ食べた。
「……22のときに上京してきたんだよ。地元、福岡なんだけど」
「へえ、福岡なんだ」
「東京でモデルやりたくて。事務所に入って、少しずつ仕事して。
でも全然うまくいかなくて、2年経ってもほとんど収入なくて」
「事務所は?」
「辞めた。続けてても変わらないと思って。
で、お金が必要だったから、最初はキャバじゃなくてバーで働いてたんだよね。
でも友達に誘われてルーナに入ったら、なんか向いてたみたいで」
「向いてた?」
「話すのが好きで、人の話聞くのも好きで。お客さんと仲良くなるのが自然とできて。それに稼げるし」
アンちゃんが少し遠くを見た。
「最初は一時的のつもりだったんだけど、気づいたら4年経ってた」
「モデルは」
「今も細々とやってるよ。SNSで発信して、たまに撮影の仕事来たりする。でもメインじゃなくなったね、もう」
「やめたいと思ったことは?」
アンちゃんが少し考えた。
「キャバのこと? それともモデル活動のこと?」
「どっちでも」
「キャバは……たまにあるよ。やっぱり疲れるし、嫌な客もいるし。
でもそのたびに、なんか自分で選んでここにいるんだよな、って思い直す」
「自分で選んでる、か」
「うん。誰かに言われてやってるわけじゃないから。それは大事にしてる」
アンちゃんがこちらを向いた。
「モデルもそう。続けてるのも自分で決めてるから。うまくいかなくてもそれは自分の選択だから、後悔しないって決めてる」
*(なるほど。だから、芯がある感じがするんだ)*
「かっこいいな、アンちゃん」
アンちゃんが目を丸くした。
「え、遊馬くんに言われた。かっこいいって」
「だってそうだろ」
「……ありがとう」
アンちゃんが少し照れた顔をした。
「なんか、そういうこと言ってくれる人があんまりいなかったから」
「言ってくれる人がいなかった?」
「みんななんか、ルーナで働いてるっていうと変な顔するじゃん。
すごいねって言ってくれる人もいるけど、なんかそれって本当に褒めてるわけじゃないんだよね。
でも遊馬くんはそういう顔しないから」
「なんで変な顔するんだ」
「わかんない」
アンちゃんが笑った。
「でも遊馬くんはお客さんとして来てくれてたけど、他のお客さんと違って最初から結構接しやすかったんだよね。変に気を遣わなくていいっていうか」
*(俺はただギャンブルで勝って気分がいい日に飲みに行ってただけだ。でもそれがアンちゃんにはそう届いてたのか)*
「そっか。よかった、そう感じてもらえてたなら」
「うん」
アンちゃんがまた料理を食べた。
「ごちそうさまって言ったら終わりそうで、食べるのもったいない」
「まだあるよ。ゆっくり食べなよ」
「もう一品頼んでいい?」
「もちろん、頼みなよ。好きなだけ」
アンちゃんがウェイターを呼んだ。
メニューを開いてまた写真を眺め始めた。
さっきより少し顔が明るかった。
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部屋に戻った。
アンちゃんがベランダに出て、コタイの夜景を眺めた。
俺も隣に立った。
「マカオ来てよかったな」
アンちゃんが言った。
「そうだね」
「もう4日目か。あと3日しかないじゃん」
「帰ってからも会えるだろ」
アンちゃんが少しこちらを向いた。
「……そういうこと、ちゃんと言ってくれるんだね」
「なんで」
「なんか、遊馬くんって言いそうで言わないじゃん、そういうの。だから」
アンちゃんが少し笑った。
「嬉しかった」
夜風が吹いた。
「ねえ」
アンちゃんが少し俺に近づいた。
「今日のディナー、本当においしかった。ありがとう」
「よかった」
「遊馬くん、ありがとうって言われたとき、ちゃんと受け取ってくれるよね」
「受け取るよ、そりゃ。お礼ちゃんと言ってくれてるんだから」
アンちゃんがまた笑った。
「そういうとこが好き」
*(そういうとこが好き、か。さらっと言うな)*
「帰ってからも来てよ会ってよ?」
しばらくして、アンちゃんが言った。
「お店には来なくていいから」
「なんで?」
「お客さんとしてっていうのも、もう違うかなって」
アンちゃんがコタイの夜景を見たまま言った。
「真剣には向き合ってるけど、キャバクラに対して本気ってわけでもないし」
少し間があった。
「なるほどね。わかった」
アンちゃんが俺を見た。それから、小さく笑った。
それだけだった。
*(関係性が進展したみたいで嬉しいけど、今後もお店には行くだろうな)*
夜景が揺れていた。
それからは、あまり言葉がなかった。
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**── 残高メモ ──**
| 4/18 バカラ(映像あり・1ゲーム) | +約80万円(個人現金) |
|:--|--:|
| ミシュランディナー・その他個人費用(4/18) | ▲約10万円 |
| 前話繰り越し(個人) | 約5,931万円 |
| **桐島遊馬 個人資金** | **約6,001万円** |
| ホテル追加1泊分(4/18) | ▲約30万円(法人経費) |
|:--|--:|
| 前話繰り越し(法人) | 約1億2,290万円 |
| **KY Holdings 法人口座** | **約1億2,260万円** |
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*【第15話へ続く】*




