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第12話 〜社用車〜


 4月に入った週、2つの物件の決済の最終確認の日。


 今日、合計2億円が動く。


 金額としては法人口座の残高を大きく削る。

でも、会社を始めてから初めてのギャンブル以外での収益源だ。


 *(まあ、手続きも含めてほとんど山下さんと西村がやってくれたんだが)*


 1つ目の物件は、入居者がいるので毎月25.6万円が入る。

月々の話をすると地味に見えるが、年間で324万円だ。

これが積み上がる。


 2つ目の物件は空室だった。

広い1LDKで、南向きの窓から明るい光が入っていた。

いい部屋なので、入居者も早く決まるだろう。


 ところで、今日はやけに移動が多い。

事務所から不動産会社、不動産会社から銀行の担当者、銀行から港区の物件現地確認。

タクシーを3本乗り継いだ。


「社用車、買ったほうがいい気がするんですけど、どう思いますか」


 山下さんがすぐに返した。

「現預金を大きく減らした日に話すことかはさておき、あったほうがいいでしょうね」


「ですよね。今日だけでタクシー3本ですもん」


 西村がソファから跳ね起きた。

「それ俺も思ってた!!」


「そうか。じゃあディーラーに車見に行くか」


「行こう!」


「山下さんも来てください。どの車がいいか、アドバイスほしくて」


「承知しました」


---


 週末の午後、港区のトヨタ・レクサス複合ディーラーに3人で向かった。


 ディーラーに入ると、担当の営業スタッフが出てきた。

40代の男で、物腰が柔らかかった。


「本日はどのようなご用途でお考えでしょうか」


「法人の社用車です。

ビジネスでの移動が中心で、後部座席で資料確認や仕事ができる車がいいかなと思っていて」


「承知しました。ご予算はおいくらくらいをお考えでしょうか」


「一旦、予算は考えなくて大丈夫です」


 スタッフが少し間を置いた。


「……でしたら、今ちょうど在庫にアルファードのエグゼクティブラウンジがあって。

後部座席の広さと快適性が全然違いますし、おすすめなのでちょっと見てみますか」


「是非見せてください」


---


 ショールームの奥に、ホワイトパールのエグゼクティブラウンジが置いてあった。


 外から見ても存在感が違う。

ボンネットが高く、フロントグリルが主張している。

タクシーとは根本から違うボディだ。


「後部座席、どうぞ」


 スタッフがスライドドアを開けた。

ステップが静かに出てきた。乗り込んだ。


 *(うお、すご)*


 シートが別物だった。

背もたれが深く、体全体を包むような感触だった。

足を伸ばすと前に余裕がある。

スタッフがオットマンを展開した。

肘掛けからテーブルが出てきた。

読書灯がついている。


「後席モニターもオプションで追加できます。移動中も資料確認やプレゼンの確認が可能です」


 西村が助手席側から後部座席を覗き込んだ。

「これ、すごくない?ほぼ個室じゃん」


「これはやばい。タクシーとは別物ですね」


「試乗できますか」


「もちろんです。準備します」


 スタッフが運転して、近くの道を一周した。


 静かだった。

エンジン音がほとんど聞こえない。路面の凹凸もほとんど感じない。


 信号で止まった。

後部座席に座ったまま、スマートフォンを取り出してみた。

揺れない。画面が全然揺れない。


 *(めっちゃいいじゃん。本当にいい)*


 今まで、タクシーで移動しながら何かを読もうとすると揺れで集中できないことがあった。

これなら違う。

毎日乗ったとしても苦にならない気がした。


「これにします」


「ありがとうございます!」


 スタッフが少し嬉しそうな顔をした。


「オプションはいかがでしょうか」


「全部つけてください」


「ユニバーサルステップ、後席モニター、カラーヘッドアップディスプレイ、パノラマルーフ、モデリスタエアロも含めてよろしいですか」


「全部で」


 西村が俺の耳元に寄ってきた。


「全部盛りかよ」

とつぶやいた。


「どうせなら、な」


「さすが」

 西村が少し笑った。


 スタッフが見積もりを準備している間、西村が少し考えた。


「思ったんだけど……会長、最近プライベートも充実してそうだし、個人的に結構使うんじゃないの」


「会長言うなよ」


「まあまあ、でどうなの?」

 西村が笑った。


「どうせ買うなら、そうなるかもな。タクシー使うのもあれだし」


「だよね……じゃあ俺の分も1台買っていい?とかいってみたり」


「買えよ」


 西村が固まった。

「え」


「確かに、そのほうが俺も車を使うタイミングとか気を使わなくて済むし」


「まじ?」


「うん。代表なんだから、一台持ってていいだろ」


「心の友よ」

 西村が神を崇むような顔でこちらをみてきた。


 *(本当に調子いいな、西村)*


 西村がゆっくりとショールームを見回した。

そしてレクサスのフロアに視線が向いた。


「……レクサスのLS、見てもいいですか」

とスタッフに言った。


 声が少し緊張していた。


---


 レクサスのフロアに移った。


 LSが1台、ガンメタリックのボディで展示されていた。

ロングボディで、全体に低く構えている。


 近くに立つと、重厚感が全然違う。


 西村がゆっくりと近づいた。

一周した。立ち止まってボディラインを眺めた。

触ろうとして、少し手を止めた。


「触っていいですか」


「どうぞ」


 西村がボンネットをそっと撫でた。

真剣な顔だった。


「……めちゃくちゃかっこいい」

 西村がこちらを向いた。


「いいんじゃない?これで」


「これ、いいの?本当に買っていいの?」


「買えよ。いい顔してるぞ、お前」


「うわあ」

 西村がまたボディを撫でた。


「やばい。本物だ」


 *(西村、子どもみたいになってる)*


「試乗されますか」


 西村が運転席に乗り込んだ。

ハンドルを握って、前を向いた。

しばらく何も言わなかった。


「……このハンドル、本革ですか」


「はい。レザーステアリングです。シートもセミアニリンレザーです」


 西村がゆっくりとシートに深く座り直した。

ルームミラーを少し調整した。

まるで最初から自分の車に乗っているみたいな動作だった。


「遊馬、ちょっと乗ってみてよ」


 助手席に乗り込んだ。

シートが体に馴染む。

ダッシュボードが洗練されている。


「どう?」

 西村が聞いた。


「いい車だな。お前に似合ってる」


「だよな!」

 西村がハンドルを軽く叩いた。


 山下さんがフロアの端から静かに言った。


「少し値は張りますが、まあ一応代表ですし、いいと思います」


「これにします」

 西村が即答した。


---


 見積もりの話になった。


 営業スタッフが2台分の明細を並べた。


 アルファード エグゼクティブラウンジ フルオプション・諸費用込み、1,180万円。


 レクサス LS・諸費用込み、1,380万円。


 合計、2,560万円。


 山下さんが

「法人名義で一括購入でよろしいですか」

と確認した。


「はい、お願いします」


「両車とも登録完了まで3〜4週間かかります」

 スタッフが言った。


「了解しました」


 山下さんが静かにサインした。

スタッフが深くお辞儀をした。


 *(2,560万。まあちょっと頑張れば取り返せる額だし、いいよな)*


「ちなみに山下さんはいらないんですか」


「私は車を持っていますので、大丈夫です」


「そうでしたか」


 *(山下さん、何に乗ってるんだろう)*


---


 ディーラーを出て、3人で歩きながら俺は言った。


「今更だけど、アルファードに運転手つけたいんですよね。誰かいい人いないかな」


 西村がすぐに

「俺が探すよ」

と返した。


「本当に?頼めるか」


「車買ってもらったんだから当然でしょ」

 西村がすっと真顔になった。


「責任感あって、ドライバー経験もあるやつ、ちゃんと探す」


 *(西村に任せとけば大丈夫か)*


「任せた。頼む」


 西村がうなずいた。


---


 ディーラーを出たのは夕方だった。


「飯行こうよ」

 西村が言った。


「行くか」


 山下さんが

「私は先に失礼します」

と静かに言った。


 電話が来たらしく、スマートフォンを耳に当てながら先に歩いていった。


「山下さん、お疲れ様でした。また明日」


「失礼します」


 2人で近くの焼き鳥屋に入った。

カウンター席に並んで座った。


「ていうかこの会社のお金事情どうなってるんだよ」

 西村がジョッキを傾けながら言った。


「買ってもらっておいてなんだけど、今日だけで2億2000万円くらい使ったことになるけど、会社のお金は大丈夫なのか?」


「まあ、なんとかなる。山下さんがなんとかしてくれる」


「なんだそれ、どこかのタイミングで資金源が何か俺にも教えろよ」

 西村が串を手に取った。


 *(やっぱり、おかしいと思うよな)*


「そのうちな」


「そのうちって、どのうちだよ」


「お前のそういうところ好きだよ」


「何だよ急に。気持ち悪いな」


「信用して深くは詮索してこないところとか、だよ」


「なんか今日の遊馬おかしいぞ」

 西村が笑った。


「なんだよ」


「いやいつもと違うからだろ」


 タレのつくねを食った。

旨かった。


「なあ、遊馬」


「うん」


「ここまで車も出してもらって、会社でもいい立場もらって、給料もかなり出してもらってるじゃん」

 西村が前を向いたまま言った。


「だから本当に結果出したいんだよな。仕事もちゃんとやって、会社が大きくなるように、代表として全力尽くすよ」


「うん、知ってるよ」


「……代表にしてくれて、ありがとうな。俺を代表にして良かったって思ってもらえるように、頑張るから」


 しばらく、2人とも黙ってビールを飲んだ。


「まあ」

 遊馬は言った。


「西村に任せてやっぱり良かったわ」


 西村が少し笑った。

「言っとくけど、本音だからな」


「知ってるよ」


 *(西村の「全力でやる」は、だいたい本当だ。8ヶ月一緒にやってきて、それだけはわかった)*


 店を出た。

夜の港区の空気が当たった。

遠くにレインボーブリッジの灯りが見えた。


---


 ニュースアプリを流していると、競馬の記事が目に入った。


「サクラノホマレ、今春限りで引退へ 7歳の古豪に花道」


 少し手が止まった。


 東京競馬場「秋隅田賞」。

5万円が43万円になった。

時計がいつもより熱かった。

他の日とは明らかに違う熱さで、「この馬はなんか特別だな」と思った。


 *(引退か。しかも今春って、もうすぐじゃないか)*


 記事を読んだ。

最終戦は五月下旬の東京競馬場、「立夏ステークス」になる予定、とあった。

通算成績、主な勝ち鞍。淡々とした記事だった。


 *(勝たせてもらった馬だ)*


 別に何かするわけではない。

でも、しばらく画面を見たままでいた。


 以前勝たせてもらった日から数えると、もう半年以上経っている。

あの日5万円が43万円になった。

時計がいつもより熱かった。


 中山でも来た。

春墨田賞で1,800万を稼がせてもらった。

中山のパドックで、柵越しに近くで見たこともある。あの時、一瞬だけ目が合った気がした。気のせいだとしても、あの一瞬のことは、まだ覚えている。

それだけの縁がある馬だ。


 馬主というものがいる。

この馬を持っていた人間がいる。生産して、育てて、レースに出してきた人間たちがいる。

俺はその馬に賭けただけだ。

でも、賭けた。何度も。


 *(最後のレース、ちゃんと見に行こうかな。時計が温かくなくても。縁を作ってもらった馬だ、送るくらいはしたい)*


 画面を閉じた。


---


 4月14日。


 山下さんから最終確認のメッセージが来た。


「明日の旅程をご確認ください。羽田発13:15、マカオ国際空港着17:45(現地時間)。

ホテルへの送迎はホテル側が手配済みです。

ホテル名と予約番号を添付します。

何かご不明な点があれば本日中にご連絡ください」


 PDFが3枚来た。

フライトの確認書、ホテルの予約書、緊急連絡先のリスト。


「確認しました。問題ありません。いつもありがとうございます」

と返した。


「承知しました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」

と来た。


 アンちゃんからもメッセージが来た。

「明日!!!楽しみすぎて今日全然寝れない気がする」 


 少し考えてから返した。

「じゃあ今からうち来る?」


「え、いいの?!」


「どうせ寝れないなら、一緒にいた方がいいだろ」


「行く!!!今から支度する!!!」


 30分ほどしてインターホンが鳴った。

ドアを開けると、アンちゃんが小さいボストンバッグを持って立っていた。


「来ちゃった」

と言って笑った。


「いらっしゃい。お疲れ」


「明日早いのに」

 アンちゃんが部屋に入りながら言った。


「でも寝れないよりましでしょ」


「確かに」


 ワインを開けて、2人でソファに座った。

マカオの話、ホテルの話、何をしたいかという話。


 アンちゃんがスマートフォンでコタイのリゾートの写真を見せながら

「ここのプール絶対行きたい」

と言った。


「じゃあ初日に行こう」


「やった!」


「遊馬くんってカジノ経験あるの?ラスベガスとかも」


「国内しかないよ」


「じゃあ私と一緒だ」

 アンちゃんが少し嬉しそうに言った。


「初めての海外カジノ、一緒だね」


「そうだな。一緒に覚えよう」


 海外のカジノは確かに初めてで、時計の力が通じるかどうかもわからない。

完全な未知の場所に行く。


 *(さて、どうなることやら)*


「バカラとかブラックジャックとか、ルール教えてよ」

 アンちゃんが言った。


「バカラはシンプルだよ。簡単にいうと、プレイヤーかバンカーかの2つの選択肢から片方を選んでかけるだけ」


 アンちゃんが

「なるほど」

と言いながらワインを飲んだ。


「細かいのは向こうで一緒に覚えればいいよ」


「先生になってよ」


「あんまり期待するなよ」


 *(まあ、向こうで覚えればいい)*


 何し崩し的にベットに移動して....

気づいたら何度も繰り返していた。


「……遊馬くん、明日飛行機あるんだけど」


 アンちゃんが天井を向いたまま言った。


「わかってるよ」


「本当に?」


 アンちゃんがため息をついて、また笑った。


---


 翌朝、2人ともクタクタだった。


 アンちゃんがベッドから起き上がりながら

「眠い」

とつぶやいた。


「俺も」


「誰のせい?」


「お互い様だろ」


 アンちゃんが笑いながら洗面所に向かった。


 スーツケースを開けた。

荷物はあまり多くない。

財布、パスポート、時計——


 枕元の時計を手に取った。


 翠色の金属が、朝の光の中でくすんだ光を返している。

逆向きに動く針が、今日も静かに刻んでいる。


 *(マカオで使えるかどうかはわからない。使えなくても使えても、嬉しいし悲しいな)*


 ギャンブルが好きな人間のサガである。


 握ってみた。


 映像は来なかった。

今日は冷たいままだった。


 時計をスーツケースの内ポケットに入れた。


「準備できた」

 アンちゃんが洗面所から出てきた。


 目の下にうっすらクマがある。


「俺も準備できたよ」


「クマ出てる」

 アンちゃんが俺の顔を見て言った。


「アンちゃんもな」


「あはは」

 アンちゃんが笑った。


「まあいっか。飛行機でも寝れるし」


「そうしよう。行こうか」


 南青山を出た。

4月の朝の空気が、2人にまとわりついた。


---


**── 残高メモ ──**


| 3/21〜4/14の収益(25日間・通常稼働) | **+約4,900万円** |

|:--|--:|

| 3/25 役員報酬支払い(山下・西村・遊馬 額面計) | ▲約1,000万円 |

| 橘修・小林賢司 給与(3月分正規) | ▲約110万円 |

| 社用車購入① アルファード エグゼクティブラウンジ(フルオプション・諸費用込) | ▲約1,180万円 |

| 社用車購入② レクサス LS(諸費用込) | ▲約1,380万円 |

| 不動産決済 港区高輪2LDK・港区1LDK 合計(4月末) | ▲2億円 |

| 前話繰り越し(法人) | 約3億1,200万円 |

| **KY Holdings 法人口座** | **約1億2,400万円** |


| 3/25 役員報酬受取(手取り・額面500万) | +約270万円 |

|:--|--:|

| 生活費・外食(3/21〜4/14) | ▲約20万円 |

| 前話繰り越し(個人) | 約5,336万円 |

| **桐島遊馬 個人資金** | **約5,586万円** |


---


*【第13話へ続く】*


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