21,邪神
「勇者なら何しても良いと思い込んで、小悪党も大悪党も……果ては近所の悪戯小僧まで殺し始めたイカれ野郎。それがヴァンドゥ・ダクターだ」
ゼレウスは神代を生きていた。
故に面識はなくとも噂は聞いている。
あろうことか。
神に選ばれた勇者が狂気に堕ち、封印されたと。
その者の名が、ヴァンドゥ・ダクター。
「罪の大小でいちいち対応を分別していては、手遅れになりますからね。一人の悪党を一〇日かけて裁定している間にも、他の悪党が悪虐を為してしまう。善良な営みが侵される。であれば、悪は悪。それで等しく迅速に裁くのが効率的でしょう?」
それが確信的な事実であり、疑うべくもない正論だと言わんばかり。
ヴァンドゥは滔々と語る。
「……そんな考え方に至るような経験をしたんだろうな、ってのは同情してやる」
その上で、ゼレウスは首を横に振った。
「だが、微塵も賛同はできねぇな」
「そうですか。僕も同意見ですね。邪神。あなたの境遇には同情しますが……今のあなたの行動には賛同できない。何故、そんな悪党を庇うんです?」
「誰が悪党だよ?」
「ミリー・ポッパー。そこな少女ですよ」
「はッ」
笑わせんな、とゼレウスは鼻で笑う。
「おまえにはこのガキが悪党に見えるのかよ」
「そうですねぇ。僕個人の所見としては……どちらにも転び得る中間地点、ですかね。まぁ、事前対処として殺しておいて損はしない範疇です」
「……本気でイカれてんな」
「自分の理解を超える高潔を狂気と断ずる……神の称号を冠しても、所詮は、元人間ですか」
「……元、人間?」
ヴァンドゥの発言に、ミリーが反応する。
「おや? 親しい風だのに、知らないんですか? 邪神の製造法」
「製造法、だと……?」
――「オレ以来、邪神が造られたって話も聞かねぇし」
ふとミリーの脳裏を過ぎったのは、ゼレウスと初めて会った日の発言。
「黙れ、イカれ野郎。ガキは知らなくて良い事だ」
「ははっ、睨む視線が超恐い」
口では恐いと言いつつも、ヴァンドゥは手を広げておどけてみせる。
「神代の頃に『邪神ゼレウスは意外にも善性だ』と言う噂を聞いていたのですが。そんな実に邪神らしい顔もできるのですね。……で、僕と戦うつもりですか?」
「当たり前だ。おまえを放置したら、何をどうするかわかったもんじゃあねぇ」
闘志を示すためか、ゼレウスはゴキゴキと音を立てて大爪に包まれた指を鳴らす。
「【あいつ】との約束なんでな。オレの目につく範囲で起きる悲劇は、オレが全部止める」
ここでヴァンドゥを見逃せば、多くの悲劇を看過する事になりかねない。
「理解できませんねぇ。あなたは人間を呪う筋合いはあっても、人間を庇う理由は無いはずでしょうに。現に、こんな森の中に引き籠っているのだって、人間と関わらないためだったのでは?」
「人間嫌いで引き籠っている訳じゃあねぇっつぅの」
ミリーも以前、同じ質問をした事がある。
ゼレウスの回答は「いや、オレが街に出たらよ、大騒ぎになんのは間違い無しで、下手したら軍隊とか出てくるだろ。やだよ、どっちも悪くねぇのに戦うとか」との事だった。
「一応、提案はしてやる。もしも諸々を悔い改めて、オレらと一緒に平穏に暮らす気があるってんなら……やり直す手伝いくらいはしてやるぜ」
「御冗談を。悪党を庇うような奴と同居とか、ストレスで死んじゃいますよ。まぁ復活しますけど」
会話はそこまでだった。
ゼレウスが駆け、ヴァンドゥを横薙ぎに殴り飛ばした。
冗談のような光景だった。
人が、そんな飛び方をするのかと。
ベースボールと言うスポーツがある。
ミリーは詳しいルールを存じ上げないが、とりあえず投げられた球を木の棒で打ち飛ばすスポーツだ。
まるで、それ。
ヴァンドゥは真っ直ぐに、弾丸ライナー。
血肉と脳漿を撒き散らしながら、木々をへし折って森の奥へと吹っ飛んでいった。
「……荒事は任せろと言っていただけあって、さすがだね」
「まぁな。だが、まだ終わってねぇっぽい」
そうだ。
ヴァンドゥは自称不死身であり、その自称を否定できない特異な肉体を持っている。
「元とは言え勇者相手だから警戒したが、ありゃあ神術にかまけてたタイプだな。とっとと片付けてくる」
「…………ああ、気を付けて」
ミリーは一瞬、口をついて出かけた疑問がある。
それは、先ほどのヴァンドゥの発言。
――元人間。
――邪神の製造法。
……だが、躊躇った。
まず、今はそんな事を訊いている場合ではないから。
そして、それは、本当に訊いて良い事なのか、判断に迷った。
――「ガキは知らなくて良い事だ」
ゼレウスがヴァンドゥを恫喝した時、ミリーには彼の背中しか見えなかった。
だが、それでも伝わった。
……怒りが。
思い出させるな。
誰にも教えるな。
そんな怒りが、全身から噴き出していた。
「……安心しろ。どうしても気になるってんなら、後でちゃんと話すさ」
「!」
ミリーの様子から、悟ったのだろう。
ゼレウスは黒鉄の頬を歪めて、微笑みながらそう言った。
「大丈夫、なのかい?」
「まぁ、わざわざ誰かに話す事じゃあねぇが……引っかかったまんまじゃあ気持ち悪いだろ?」
「……いや、過ぎた気遣いだよ」
「おう?」
「私は、誰かが秘密にしたい事を無理矢理に聞き出すような趣味悪ではないさ。元々、他人事には興味関心が薄い方だからね」
「……クハハ、ったく。おまえは本当、ふてぶてしいな」
何だかんだ言いつつ、気にはなっているくせに。
ゼレウスの心境も汲み取って、話さなくても良い流れを作ろうとしている。
その素直ではない言動が誤解の火種になったようだが。
ゼレウスから見れば、実に可愛げのある事だ。
「んじゃあまぁ、話すかどうかは、後でゆっくり考えるぜ」
◆
霧に包まれた密林の中。
木端微塵に弾け飛んだヴァンドゥの頭が、修復していく。
「やれやれ、僕が正義の徒でなければ、即死でしたね」
修復された顔面には、余裕たっぷりな笑顔が張り付いていた。
そんなヴァンドゥの前に現れたのは、邪神、ゼレウス。
「この破壊性、さすがは――自律式超攻撃呪術【邪神】と言ったところですか? それとも、【全身呪術人間】と言う方がお好みですか?」
「呼ぶんならゼレウスって呼べ。気に入ってんだよ」
「名前を尊ぶだなんて。つくづく、僕が知識として知る邪神とは別物ですね」
剣を構えつつ、ヴァンドゥが立ち上がる。
見世物を眺めるような、ニヤけ面で。
「人を呪い、世界を呪い、すべての破滅を望む【呪い】の極致。それがまぁ、どうしてそんな」
「おまえに教える義理は無ぇ」
「ケチですねぇ。教えてくださいよ。減るものでもあるまいし」
「……知ってっか? 誰かの秘密を無理矢理に聞き出そうってのは、趣味悪なんだぜ」
「僕の知らない持論ですね。どうでもいいです」
ヴァンドゥが動く。
剣を振りかぶり、直進。
シンプルな突撃だ。反撃を防いだり躱したりしようと言う気概が無い。
「不死身にかまけたやり方だな」
「効果的なのですよ!」
ヴァンドゥの剣が光を帯びる。聖なる光、神術による強化――いや、秘術による強化。
ゼレウスの表皮をも斬り裂けるだろう。
クロスカウンター狙い。
自分が致命傷を受けながらでも、相手に致命傷を入れる算段。
普通なら差し違える結果になるが、ヴァンドゥは再生する。
そうやって、多くの戦場で殺戮をしてきたのだろう。
殺しても死なないどころか、殺されながら殺しにくる戦士など、止めようが無い。
確かに、効果的と言えるだろう。
「バカバカしい」
不死身ゆえに実現する悍ましい戦法を、ゼレウスは唾棄するように切って捨てた。
そして、傍らの巨木を裏拳で殴りつける。
「術式起動、【腹内破裂経験】」
ゼレウスの全身に刻まれた呪文が淡く発光し、呪術が起動。
彼の過去の経験から抽出された呪いが、彼の拳を通じて巨木へと襲い掛かる。
次の瞬間。
巨木はまるで、内部に大量の異物を注入されたかのように、破裂!
「!?」
まさしく木端微塵になった木片の散弾が、ヴァンドゥへと横薙ぎに降り注ぐ。
回避も防御も捨てて真っ直ぐに突進中だったヴァンドゥは当然、直撃。
顔面器官を筆頭に全身前面、木片の散弾に抉られる。
「ぎゃぅああ……!?」
「呪術は相手本体にかけるだけじゃあねぇ。こう言う使い方もあるんだよ」
「ぐぎ、あなたこそ……僕を舐めるなぁ!」
普通の人間ならもうまともに動けないレベルの苦痛だろうに、ヴァンドゥは一瞬ひるんだだけで突進を再開した。
戦場で銃弾の雨あられの中を突撃し続けるような戦法を繰り返している内に痛覚耐性でもできたか。
この程度では、止まらない。
「別に、舐めてねぇよ」
これで片が付くなどと楽観はしていない。
あくまでこれは、ただの目潰しだ。
木片の散弾で感覚器官はすべて潰した。
ヴァンドゥの攻撃は大雑把になる。
当然、ゼレウスはそれを余裕で回避。
そして、一方的にカウンターの拳を叩き込み、同時に、
「術式起動、【四肢粉砕経験】」
ミリーを助けた時、トロルの四肢をねじ切った呪術。
ヴァンドゥの四肢が、血肉を撒き散らしながらもげ飛ぶ。
「ぎ、ぃあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
悶絶、絶叫。
しかし、足を失って地に落ちたヴァンドゥは笑っていた。
「ひーッ、ひーッ……こ、これが呪術……効きますねぇ……! 僕の鈍った痛覚にも強烈に響く……苦痛そのものが再現されている……! そしてやっぱりさすがは邪神……こんな苦痛をも経験しているだなんて……!」
「…………………………」
ゼレウスが見下ろす中、ヴァンドゥの四肢が修復されていく。
全身に突き刺さった木片も再生した肉に押し出され、どんどん抜けていく。
秘術による不死身。
それが、ヴァンドゥ最大の武器。
「ですがねぇ、どれだけ強烈な呪術を使えても、あなたに勝ち目はありませんよぉ、邪神ゼレウス……! あなたには限界がある、所詮は呪術だ。ですが僕は神の御業の模倣! 限界など存在しないのです!」
「そうだろうな。神術だの秘術だのの厄介な所は、そこだ。マジで限界が無ぇ」
神代の頃に、呆れるほどに目にしてきた理不尽な力。
神術だの秘術だの、本当、「そんなのありか」と叫びたくなるような奇跡の暴力だ。
「だが、限界を設定させる事はできる」
「……はい?」
「おまえ、『死ねない』んじゃあなくて『死なない』だけだろ」
ヴァンドゥはおそらく、「死ぬ事が不可能」のではない。
ただ「死ぬ事も可能だが、死なないように設定している」だけだ。
「だから、無理だと思ったら早目に諦めてくれ」
「何を言って……ぎッ!?」
再生中のヴァンドゥの頭を、ゼレウスは思い切り踏みつけた。
ヴァンドゥの頭が圧し潰されて変形するが、すぐに修復が始まる。
「おまえがタカをくくっている通りだよ。オレには限界がある。オレが日に撃てる呪術は、まぁ二〇が限度だ。それくらいなら耐えられるだろうって、おまえ、思ってんだろ」
神々の不思議エネルギーやそれと似た法則を参照する秘術とは違う。
魔術が魔力を必要とするように。
呪術には呪力と言う明確なエネルギーソースがあり、それが枯渇すれば使えない。
「呪術は起動する呪文の内容に関わらず、一回ごとに一定の呪力を消費する。どんだけ節約しようが、上限回数は変わらねぇ」
呪術は「呪文を起動する事」に呪力を消費する。
その呪文がどんな苦痛経験を再現するかは関係無い。
一定のコストにつき、ひとつの呪文が一回、発動するだけ。
「だが、裏技がある」
「……なに?」
「神代出身のおまえは知っているだろうが、一応説明してやる」
しんどそうに首を鳴らしながら、ゼレウスは淡々と口を開く。
「邪神を造るのは簡単だ。たった独りの人間を、とことんまで嬲って嬲って嬲り尽くして、この世を呪わせる。この世そのものに呪いをかけさせる」
「そ、れが、何だと……」
神代では有名な話だった事だ。
ただでさえナンセンスな呪術の中で、最もナンセンス極まる最悪の術式がある、それが邪神だと。
「死ねないように、死なせてもらえずに、ひたすら嬲り続けられる――それは『邪神になるための儀式』と言うひとつの苦痛経験であるとも捉えられる」
ひとつの苦痛経験を加工して、ひとつの呪文が作られる。
そして、その呪文を一度起動すれば、加工に用いた苦痛経験がまるごと再現される。
「…………、ッ……!? ま、まさか……」
「まぁ、死にたくなったら死ねば良い。耐えろだなんて酷ぇ事は言わねぇよ。どうせ耐え抜いたって、呪いを加工する術師がいなけりゃあ邪神にゃあなれないからな」
ゼレウスは少しだけ、寂しそうな表情を浮かべた。
ヴァンドゥに心底から同情する顔だ。
「……どうする?」
最後の問いかけ。
もしも、ヴァンドゥが「許してくれ、勘弁してくれ」と命乞いをしたのなら、その時は――
「舐めるなと言いましたよ……! あなた程度が耐えられた苦痛、正義の徒である僕が耐えられないはずがないでしょう!」
「……バカが」
――誰が、耐えられただなんて言った。
ただ、死ねなかっただけだ。死なせてもらえなかっただけだ。
……だが、口で言っても無駄だろう。
ヴァンドゥの目は、狂気に満ちている。
己を狂信している。己を否定する言葉は一切、信じない。そんな目だ。
「無理はすんなよ」
ゼレウスの全身、血黒色の呪文が、淡く発光する。
「術式起動――【邪神変生経験】」




