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パンドラの恋人  作者: 櫛名田慎吾
最終章
44/46

人の肌って、温かいんだな

 △




 その夜、私は高橋くんとごく自然に結ばれた。当然、というか夏休みにも確認したとおりに高橋くんにとってもそれは初めてのことで、二人とも緊張の極地だった。




 自分が援交なんかをしたせいで実の母が入院中だとか、本当は父親と血が繋がってないんじゃないかという話を聞かされたとか、そんな異常な精神状態の二人でもなかったのならば、私たちが結ばれるのはもっと先だったのかもしれない。けれどお互いにお互いの秘密を確認しあった今、私と高橋くんを遮る壁は無くなっていた。


 


 初めて裸になって触れ合った高橋くんの肌は、私が思っていた以上に温かかった。高橋くんは高橋くんで、ちょっと恥ずかしそうにしながら私の胸に頬を埋める。




「人の肌って、温かいんだな」




 いま自分が感じていることと同じ感想を言った高橋くんがおかしくて、私は思わずクスクスと笑ってしまう。目の前には見慣れた高橋くんのくせ毛。それをこんなに間近で見るのが初めての私は、笑いながらその髪を手ぐしで撫でるように触った。




「長谷川、なんで笑うの?」




 少しだけ不満そうな顔の高橋くんが顔を向けてくる。




「高橋くんが私と同じ事を思ったからだけど」




 その答えを聞いた高橋くんは、私と同じようにクスクスと笑いながら今度は優しく私を抱きしめてくれた。




 それは不思議な感覚だった。援交をしているときにはオトコの手で触られても何も感じないばかりか嫌悪感さえ覚えたのに、高橋くんに身体を触れられると、温かな幸せを感じる。本当に好きな人が相手だとこんなにも違うものかと、今更ながら人の感覚の違いに私は驚く。初めての瞬間は最初だけ少し痛かったけれど、それはそれでまた幸せな気持ちで、その初めての痛みを高橋くん相手に見せられたことが嬉しくて、そして今までの色々な感情も重なって、結局私は泣いてしまった。





「ごめんな、長谷川。そんなに痛かった? 優しくしたつもりなんだけど……」




 息を整え終えた高橋くんが、心配そうに私の頭をやさしく撫でてくれる。夏、彼に失恋したときにバッサリと切った髪は少し伸びていて、今ではもう首筋が少し隠れるくらいになっていた。少しハスキーだけどよく通る高橋くんの声と、頬に伝わる彼の心臓の鼓動が私に幸せを運んで、本当にこの人のことが好きなんだと改めて思う。




「痛かったよ。でも、信じてくれた? 援交で最後までしなかったとか、裸にもならなかったとか」




 やっぱり私は性格が悪い。ここにきても自分の処女の価値を高橋くんに見せつけるなんて、本当に意地が悪い。




「そんなの最初から信じてたよ。裸になって抱きしめたときに、長谷川の身体が震えてたし、長谷川の泣き顔を見たら疑うなんてできないって」




 なんだかちょっと余裕そうに笑いながらそんなことを言う高橋くんを見て、私は少しだけむかついた。そして、やっぱり感情のままに憎まれ口を言ってしまう。




「ああ高橋くん、最後までしたら余裕ぶってそういうふうに言うんだ。高橋くんだって最初私の身体を触る手がプルプルしてたけど? 終わったらそんなこと言うの?」




「えっ? 俺そんなに震えてなんかなかったって!」




「それに、いざっていう時に『あれ? あれ?』って、何回もやり直ししてたよね?」




「バカ! だって、俺も初めてだったんだからしょうがないだろ! 長谷川に嫌がられるほど痛がられたらどうしようとか、その……、すぐに……終わっちゃったらどうしようとか。俺だってさ、いろいろ長谷川の事を大切にしようと考えたんだからな」




 自分の恥ずかしさを紛らすためか、そう言って高橋くんはまた私をギュッと抱きしめてくれた。少し汗ばんだ腕の中で、私もまた人肌の温かさに酔いしれる。そしてきっといま高橋くんの顔は、私の弟のようにちょっと可愛い拗ねた顔をしているのだろうと、そんな想像をしてしまう。こんなに優しい高橋くんをこれからは独り占めできて、そして本当に素直に言いたいことを言えるのかと思うと、これで良かったんだと私は全てを受け入れることができた。




「ねえ高橋くん」




「なに?」




「高橋くんのちょっと拗ねた顔って、私の弟によく似てるんだよ」




「ええ……、なんだよそれ」




 私が少し視線を上げると、やっぱりちょっと拗ねたような可愛い顔がそこにある。この先高橋くんの家族に何があっても、彼のことを信じていたいと私は思う。




「なあ長谷川」




「なに?」




 今度は高橋くんが私に聞いてくる。




「俺、どうしたらいいと思う?」




「どう? って、何が?」




「つまり、自分の家族のことなんだけど……。さっき長谷川に言われてさ、もう父親とは血が繋がってなくてもいいかなって思い始めてはいるんだ。あと、兄貴とは元々仲が悪いし、けどさ……」




 けれど、出生のことでお母さんを問い詰めるのは自分には無理だ、でもどうやってお母さんと接すればいいかなんてわからない、と高橋くんは私に聞いてきたのだ。




「俺、とてものこと母さんのことは恨めないんだ。もし父親が違っていたとしても母さんから生まれたのは事実だし、俺まで母さんを問い詰めて家族全員が全員バラバラになったら……、ホントに俺の十八年間何だったんだろうって思えてきて。だから、母さんは恨めないんだ、でもそれをどうやって伝えたらいいのかもわからない」




 それを聞いて、私はやっぱり高橋くんは優しいと再確認をする。そんな高橋くんに私から言えるのは、もうこれ以上高橋くんが傷ついて欲しくないということだけだった。




「高橋くんが思ってる通りにお母さんに言ったらいいと思うよ」




「俺が思ってる通りに?」




「うん、お母さんのことは恨めないって、それからもしも父親と血が繋がってなくても、もういいかなって、ホントに高橋くんが思ってる通りに。そうしたら多分……」




 私は、そうしたら多分これ以上高橋くんが傷つくことは無いんじゃないかな、と言おうとしたのだけれど、そこで少し言葉が詰まってしまった。もう十分すぎるほど傷ついている高橋くんに、「これ以上傷つかないよ」なんて言えない自分がいた。




「多分?」




 言葉の続きを待っているのか、高橋くんが不安そうな目で私を見る。その目を見ると、ますますもう傷つかないなんて言えなくなる。




「多分、大丈夫だよ。オンナの勘だから安心して!」




「オンナの勘か、そっか、じゃあそう言ってみるよ」




 まだ完全に納得したような表情ではなかったけれど、高橋くんはそう言って少しだけ笑ってくれた。私はその優しげな笑顔に向かって、これからもし傷ついたとしても私が何度でも癒やしてあげるから、と心の中で呟いたのだった。




 △




 少し二人でまどろんだあと、私たちはようやく明日からの日常生活の話をするようになった。私が高校を休んで今日で一週間。休んだ理由のすべては高橋くんのことなのだから、これ以上私が休む理由なんてない。




「ねえ高橋くん。私、明日から学校に行くね、本当に入院中のお母さんを安心させないとだめだし」




「うん、それがいいよ」




 高橋春哉の事件が世間に少しでも漏れているのだとしたら、高橋くんはこれから卒業までのあいだ、周囲に何かを言われるかもしれない。けれど三学期に入ればすぐに自主登校。実際には年末まで我慢すればいいし、私はずっと彼の味方でいる。もしも私が白い目で見られてもそれは自分が蒔いた種だし、仕方がないと諦める。そして高橋くんを私が守る、それが私のけじめだと心に誓った。




 そんなことを思っていると、私の髪を触りながら、高橋くんがポツリと受験のことを呟く。




「年末を越したら、もう受験……だよな」




「え? ああ、うんそうだよね。私、受験勉強を一週間してないよ。ねえ高橋くん、高橋くんは大学どこに行くつもり?」




 私の質問に、今日初めて高橋くんが嫌そうな顔を見せた。優しく私の髪を撫でていた手がピタリと止まる。




「今回の件でさ、学費的に絶対に家から通える国公立じゃないと無理になったと思う。父親はどっかに飛ばされそうだし、それ以上に離婚まで行きそうな雰囲気だし。俺は離婚したら父親と暮らすなんてもうまっぴらごめんだけど、母さんと一緒に暮らすにしても学費が安いところじゃないと」




「だったら、私と一緒のところ受けようよ。私だって学費は安いところじゃないと無理だから」




 高橋くんと同じ大学に行く。そんなことは今朝まで考えたこともなかったけれど、来年からも彼と同じ学校に行けるなら、こんなに嬉しいことはない。




「たとえば、どこ?」




「えっと、横国とか」




「長谷川……、横国って、最近の模試の判定どうだった?」




「え、一応Bだったけど……」




「あ~あ……、なんだよ長谷川もかよ」




 高橋くんはギュッと私を抱きしめたあと、深いため息をついて脱力をしたのだった。

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